番外編 一年生四月春休み:帰省
「ただいま」
人に向けて言うのはとても久しぶりだとゆかりは感じた。
「お帰りなさい。と言っても自分の家って感じがしないわ」
迎え入れたのはゆかりの母だった。
春休みのある日、ゆかりの母が実家に滞在すると聞いたゆかりは帰省をする事にした。
実家と言っても普段は人のいない空き家だ。
転勤族の両親に中学生まで着いていったゆかりには実家と言うよりも物置の印象が強かった。
ゆかりの部屋には寮に持ち出さなかった小説達が大量に並んでいる。
柏陽台高校からも二時間足らずで辿り着くので、明日には帰るつもりだった。
「わたしも夏休みに様子見に帰ったりはしたけど、あんまり家って感じでは無いかも。生ゴミ出したくないから外で食べてたし」
学校での敬語では無く、砕けた口調でゆかりが話す。
「そうだ、忘れない内に」
ゆかりの母が土産袋を持ってくる。
「年末年始に泊らせてもらった縁堂さんと古淵さんに渡しといて」
ゆかりが手渡されたのは高級なレトルトカレーだった。
「こういうのって菓子折とかじゃないの?」
美味しそうなパッケージ写真を眺めながらゆかりが口にする。
「いや、日持ちする方が良いかと思ってね。ご両親に渡せるかタイミングもわからないし。まぁ、ゆかりのお友達の胃の中に入っても全然良いんだけどね」
母親の説明にゆかりは納得する。それと同時に美味しそうなレトルトカレーに思いを馳せる。
「九個ずつ入ってるから、もし寮で食べるなら分けて貰えば?」
ゆかりの思考を知ってか知らずか、ゆかりの母は付け足す。
「わたしが食い意地張ってる人みたいじゃない?」
ゆかりが事実は置いておいてむくれる。
「違わないでしょ」
それをピシャリと言い返す。
「そうだけど……。ありがと」
観念したゆかりは素直に感謝する。
「どういたしまして。私もゆかりに友達が出来たって聞いて嬉しかったし、まさかお泊まりまでするとは思わなかったからね。奮発しちゃった。もし食べるなら味わいなさい」
「うん」
母親に友達が出来て喜ばれている事に少しだけむずがゆさを感じながらゆかりは返事をした。
「お父さんなんて男の子の家にお泊まりって聞いて誇張抜きでひっくり返ってたよ」
ゆかりの母が思い出し笑いをする。
「ゆえさんもいるしそもそもご両親のいる実家だって言ったのに」
ゆかりは呆れた風を装って返事をする。ヨスガと二人きりで一夜を共にした事は絶対に秘密にしないといけないと思った。
「それはそれよ。でも良かったよ本当に」
「お父さんもお母さんも心配し過ぎだったんだよ。絶対三年間いるんだから、友達もできるって」
文化祭までクラスメイトに高値の花として遠巻きにされていて、ヨスガとゆえだけが友人だった事は話さなかった。
「そうね。学校生活も寮生活も充実してるみたいで嬉しいよ」
「さっきから良かったとか嬉しいとかばっかりじゃない?」
ゆかりの疑問に母親は優しく微笑む。
「当たり前でしょ。私達の都合で飛び回ってたゆかりが、しっかり腰を据えて友人関係を育んで一年を過ごしたんだから。嬉しい以外の感情は無いよ」
母親のまっすぐな言葉にゆかりは照れくさそうに頬をかく。
「友達の話、聞く?」
ゆかりの提案を母親は快く受け入れた。
「急かす訳じゃ無いってちゃんと前置きした上で聞くけど、ゆかりは進路どうするかとか考えてる?」
外で夕食を済ませて帰宅をし、食休みにゆかりの母が訊ねる。
「生物系の学部で学びたいって思ってるけど、良い?」
「遠慮するところじゃないよ。そもそも、前から水族館にも興味あったもんね」
母親の言葉にゆかりは「ありがとう」と返事をする。
「通える範囲だったらこの家使っても良いからね。もちろん、別の場所で部屋を借りても良いし」
「いいの?」
「もう成人になるんだからダメな理由無いでしょ。そういう線引きを抜きにしても、寮で自炊もしっかりしてるし、生活で心配な部分は無いよ」
「ひっくり返ったお父さんが許すとは思わなかったからビックリしたよ」
ゆかりはここにいない父親の事を思い浮かべる。
「せっかく買ったのに物置にしかしてないのはもったいないでしょって説得したからね」
ゆかりは母親の説得に心の中で感謝する。本を選抜せずに暮らせるなんて夢のようだと二年後の生活に思いを馳せていた。
「あ、そういえばお見合いって興味ある?」
「え?」ゆかりの夢心地は突如として終わった。
「ゆかりの生活能力は問題無いけれど、大学生の一人暮らしは心配だからってお父さんが思いついたんだよ。ちゃんと友達ができたってわかってからは言わなくなったけどね」
さすがにどうかしてるよね、と言外にゆかりの母がぼやく。
ゆかりには母親の言葉が届いていなかった。ヨスガの事だけを考えていた。
ヨスガじゃない誰かと結ばれる事を考えたくなかった。
ヨスガに想いを伝えられないまま去りたくなかった。
ヨスガのものになりたい。
いっその事逃げてしまおうかとさえ考えてしまう。
逃げたところでどうしようもないと気づいてゆかりは正気に戻る。
「嫌です」
砕けた態度から敬語に戻る。
俯きながらゆかりは言葉を絞り出す。
「うん。わかった」
ゆかりの母はそれをあっさり受け入れる。
ゆかりは俯いたまま固まる。
「そもそもお父さんもただの口癖で行動を起こしてる訳じゃ無いしね。楽しく高校生活を送れてるってわかってもう頭の中からも抜けてるかもね。
大体、そんな大事な話ならちゃんと面と向かって話してくれるでしょ」
母親の言葉にゆかりはハッとする。ゆかりの父親はそういう人だと言う事を、ヨスガと離ればなれになる悲しみが塗り潰してしまっていた。
「ただの雑談のつもりだったんだ。ほんっとうにゴメン」
ゆかりの母が娘に頭を下げる。
ゆかりもすっかり冷静になっていた。
「ううん。わたしもお父さんの事を悪く思っちゃってた。そんな人じゃないのにね」
「その言葉だけで仕事頑張れるよ。録音してお父さんに送っていい?」
携帯電話を取り出す母親をゆかりは拒否した。
「じゃあ、帰るね」
翌朝、ゆかりは寮に持ち帰る本と共に寮に帰る。
「気をつけてね。久しぶりに会えて良かったよ」
ゆかりの母が玄関まで着いてくる。
「わたしも会えて良かった」
「ハメを外し過ぎず、二年生も楽しんでね」
「うん。気をつけるよ」
ヨスガとの出来事やヨスガに抱いた感情を思い返しながらゆかりが返事をする。
「じゃあね」
ゆかりが家を出るのをゆかりの母が手を振って見送った。
しばらくして家の電話が鳴った。
「もしもし?ゆかりならちょっと前に帰ったよ」
電話の主はゆかりの父親だった。
「ゆかりに用があるなら携帯に連絡すればいいのに。ふふ、わかってるって家族の団欒でしょ」
にこやかに夫婦同士の雑談を交わす。
「お友達の話もたくさんしてくれたよ。本当に良かった。
あ、そうそう。お見合いは嫌だって」
受話器の向こうから声が聞こえなくなる。
「わかってるって。その気は無いんでしょ。だから雑談がてら話したんだって。ゆかりも誤解してないから大丈夫。
お見合いを拒否した時のゆかりの様子、気になる?
あれはきっと好きな男の子がいるね。男の子の友達の話は縁堂さんしか話してなかったから、きっとそうなのかもね。
まぁまぁ、今はしっかり見守ろうよ。詮索もしちゃダメだからね。
うん。じゃあまた今度ね」
ゆかりの母は電話を切って伸びをした。
人物紹介
結川ゆかり:ヨスガに恋をしている。
ゆかりの母:ゆかりが恋をしている事を察する。




