番外編 中学三年生十一月:縁堂ゆえ
「おい、もう朝だぞ」
部屋の扉を挟んで声が聞こえる。
部屋の主は目を開けずに布団を被って聞こえないフリをする。
しばらくしてガチャリと扉が開く音がする。
「ゆえ、もうパン焼いてるから起きな」
声の主がゆえが被っている掛け布団に手をかける。
「んーー」
ゆえは抵抗をするが、あっという間に掛け布団は剥がされる。
中からもみくちゃになってゆえが出てきた。
「ヨスガはらんぼう」
目が開かないままゆえが起こしに来たヨスガに文句を垂れる。
「はいはい。柏陽台目指してるんだから、ちゃんと一人でも起きれるようにならないとダメだぞ」
「いつもはちゃんと起きてるもん」
「わかってるよ。顔洗って、身だしなみ整えたらおいで。朝ご飯の用意して待ってるから」
「うん」
ゆえは素直に返事をして、ヨスガが部屋から出て行くのを見送った。
ゆえの部屋にはしまっていない洗濯物もあったが、ヨスガは気にも留めなかった。少しだけ不機嫌になって「まぁ、兄妹なんてそんなものか」と呟く。
縁堂ゆえ。彼女は縁堂ヨスガの双子の妹だった。
「おはよ、ゆえ」
ヨスガがリビングに入ったゆえに改めて朝の挨拶をする。
「おはよ」
のっそりと動きながらゆえも挨拶を返す。
食卓からはパンとコーヒーの匂いがふわりとする。朝の匂いだ。
「いただきます」
ゆえはイスに座ってもそもそとトーストされた食パンに齧りつく。トーストにはすでにイチゴのジャムが塗られていた。
続いてミルクと砂糖が入ったコーヒーを飲んで、ヨーグルトを食べる。
「ごちそうさまでした」
「はいよ。食器は片付けとくから、制服に着替えてきな」
ヨスガがテキパキと机の上を片付けて水拭きまで済ませる。
ゆえは歯を磨いてから自室に戻り、制服に袖を通す。髪はポニーテールにまとめる。
「お待たせ」
ゆえが玄関に向かうと、ヨスガが靴を履いて待っていた。
「出る時間ぴったりだから大丈夫だよ」
ゆえも靴を履いて二人で家を出る。
季節は秋真っ盛りで木枯らしがゆえを足下から凍えさせる。
ゆえはヨスガに寄りかかりながら歩く。
「寒いなら下履くとかしろよ」
歩きづらそうにしながらヨスガが苦言を呈する。
「まだタイツはあつい」
ゆえは反論しながらヨスガに身を寄せる。
「歩きづらいだろ」
「おしくらまんじゅうだよ」
「いつまでもおこちゃまだな。イッテェないきなり蹴るなって」
ヨスガのおちょくりにゆえは足で応戦する。スカートがめくれないようにローキックだ。
「お前、高校でもその調子でいくのかよ」
ヨスガが足をさすりながらゆえにぼやく。
「ヨスガにしかやらないもん」
ゆえの返事にヨスガは怪訝な表情をする。
「何言ってんだよ。一緒の高校には行かないんだろ?」
「え?」
ゆえは足下が崩れ落ちていくように感じた。
否、実際に崩れ落ちている。
隣にいたヨスガはゆえが落下していくのに気づかずにいる。
ゆえが必死に「ヨスガ!」と叫んで手を伸ばしてもその手が届く事は無かった。
「うわぁぁぁ!!!」
叫びながら目を覚ます。
ドクドクと早鐘を打つ心臓の鼓動で胸と耳が痛かった。
時刻は五時になったばかりで日はまだ出ていない。
「ゆめ……」
目覚めた少女はジワジワと夢の中身を思い出す。思い出していく内に視界がぼやけてくる。
俯きながらぽとりぽとりと大粒の涙を掛け布団に落とす。
古淵ゆえは嗚咽しながら身体を丸めてうずくまった。
涙を枯らしたゆえはのそりと身体を起こしてカーテンを開ける。
空が白みだしていた。
外の様子をほんの少しだけぼんやりと眺めて、ゆえは机に向かった。
取り出したのは鉛筆とスケッチブック。感情のままに線を走らせる。
ゆえが見た夢は都合の良い妄想だった。ヨスガといつまでも繋がっていられる関係に自身をねじ込んだ。
中学生になって、多くの恋が生まれては消えてゆくのをゆえは見ていた。小学校の頃から噂されていた二人も結ばれたと思ったら別れていた。
ゆえにはヨスガしかいなかった。
だからゆえはヨスガの恋人になりたくなかった。ずっと一緒にいたいから。
恋は永遠じゃないと何度も観測し、導き出した答えが今見た夢なのか、とゆえは絶望する。
もう手遅れなのだとゆえは思った。自分ではどうしようもできない悲しみがゆえの心を塗り潰す。
そんな悲しみや絶望をスケッチブックに殴り描く。そうしないと自分がおかしくなりそうだからだ。
ゆえから溢れ出す負の感情がスケッチブックに昇華されていく。途中、涙がまた溢れ出して絵を滲ませる。涙も今のゆえには絵の具だった。
いつもの起床時刻に鳴るアラームで創作の手を止める。
ゆえは自分の心がようやく落ち着いたのを自覚する。
何事も無かったかのように繕って、洗面台に向かい、鏡を見る。
「ひどいかお」
真っ赤な目がゆえを見つめ返していた。
腫れてしまったものはしょうがない、と顔を洗いながら割り切る。
学校に行くのは憂鬱だが、生活態度が大事な事もよくわかっていた。
出来る限り誤魔化してリビングに向かい、朝食を食べる。食パンは自分でトーストして、自分でジャムを塗る。コーヒーも自分で味を調節する。
夢の中のヨスガを思い出して少しだけ悲しくなる。夢じゃ無くてもヨスガならゆえ好みのご飯を出してくれると確信していた。
ヨスガが恋しかった。
中学三年生になって進路を決める時に、ヨスガに自分自身で決めるように叱られた。
それからゆえはヨスガにつきまとう事も意識して減らした。
ヨスガのためにヨスガから離れる。ゆえの心はすり減っていた。
ヨスガのいない食卓は味気無く、ゆえはあっさりと平らげた。
歯を磨いて制服に袖を通す。姿見に映る自分に無理矢理笑いかける。歪な笑顔だった。
鏡に映る自分に落ち込んでいると、ピンポーンとインターホンが鳴った。
ゆえはインターホンのモニターを見て玄関に駆け出す。
「よぉ」
扉の前にはヨスガが立っていた。
「どうして」
ゆえは俯きながらヨスガに訊ねる。
衝動的に家から飛び出したが、ヨスガに顔は見られたくなかった。
「ゆえのお母さんから連絡が来たんだよ。お前、朝から泣きながらなんか描いてたんだろ?」
ゆえは黙りこくる。ゆえがリビングに下りてくるまでに母親はすでに出勤していた。
「心配だったから来た。ゆえが頑張ってるのはわかってるけどさ」
ヨスガの言葉にゆえは俯いたまま目をギュッと閉じた。今すぐヨスガの胸に飛び込みたかった。中学三年生になってから今までの間に育まれた理性がそれを許さなかった。
俯いたままのゆえにヨスガが歩み寄る。
「ゆえ。おいで」
ヨスガが頭を優しく撫でる。髪はまだ結んでいなかった。
玄関の前とはいえ外は外。それにも関わらずゆえはヨスガにしがみついて顔を埋めた。
制服のボタンが顔にぶつかる。秋の外気に曝されたヨスガの制服はひんやりとして、ほんの少し秋のにおいがした。
「我慢してたのに来るなよバカ」
顔を埋めたままゆえがヨスガの背中を叩く。
「ごめん」
ヨスガはゆえの背中を優しくさする。
「学校、行きたくない」
ヨスガに理性を蒸発させられたゆえは我慢していたワガママを漏らす。
「柏陽台に行くために頑張ってるんだから、そこは頑張ろう。一緒に学校行くから」
「内申なんか無くても試験で余裕だもん。今日だけ休みたい」
実際、ゆえの要領の良さはヨスガも理解している。柏陽台高校に受かるのは容易いだろうと思っている。
「弱ったなぁ。でもまぁ仕方無いか」
抱きつくゆえを離してヨスガは学校に向かおうとする。
しかしゆえは離れない。
「ゆえ、俺は学校行くんだけど」
「や」
「や、じゃなくてだな」
ゆえはヨスガの背中をさらに力を込めて抱きしめた。
「抱えていくぞ」
ヨスガはため息をつきながらゆえを抱えようとする。
「髪、縛ってくれたら行く」
ゆえは観念してヨスガから離れて要求する。
「わかったよ」
ヨスガはゆえに連れられて家の中に入ってゆえの長い髪を一つにまとめて結んだ。
ゆえは時々髪をヨスガに任せるので慣れたモノだった。
「ありがと」
ゆえの憂鬱な気分は薄れていた。
バッグを持って改めて二人で家を出る。
朝の夢を思い出してゆえは再び憂鬱な気分になる。
「なんで早起きしてたか聞かないの?」
通学路でゆえが訊ねる。
「話したいなら聞くけど」
ヨスガは積極的に聞くつもりは無かった。
「いつもならお構いなしに話してくるだろ」
ヨスガが続ける。
ゆえは少しだけ黙りこんでから口を開く。
「幸せな夢を見て、起きたら夢だったから悲しかった」
「それはしんどいな」
ヨスガが相槌を打つ。
「どんな夢だったかとか、どんな絵を描いてたかとかは聞いても大丈夫か?」
「それは秘密」
ヨスガとずっと一緒にいられる夢も、それが不可能な絶望を燃料に描き上げた作品もヨスガに見せる訳にはいかなかった。
「そっか」
ヨスガはゆえの頭をぽんぽんと叩いてから優しく撫でる。
「頑張って距離を取ってるゆえが怒るとは思うけど、しんどかったら呼んで良いからな」
「ありがと」
ゆえはヨスガに肩を寄せて歩く。
幸福だった。やっぱりヨスガが好きだった。
だから恋はしない。ずっとヨスガを愛する事が許される手段はわからない。それでもずっとヨスガの側にいたいとゆえは思った。
人物紹介(夢)
縁堂ゆえ:ヨスガの双子の妹。そんなものはない。
縁堂ヨスガ:ゆえの双子の兄。そんなものはない。
人物紹介(現実)
古淵ゆえ:ヨスガを愛している。ヨスガの恋人になりたくない。
縁堂ヨスガ:ヨスガ。ゆえを大切に想っている。




