一年生三月:ホワイトデー③
ゆかりと別れたヨスガは、ゆえの部屋の前に居た。
ゆえに連絡をしても既読はつくが返信が無かったので、ひとまず食事を済ませてからゆえの部屋に向かった。
ピンポーンとヨスガがインターホンを押す。
間も無くカチャリと扉が開いて、ゆえが顔を出した。
ヨスガから奪い取ったスウェットに身を包んでいた。
髪はボサついていて、目を腫れぼったそうにしている。
「既読はついたから寄ってみたけど、寝てたか?」
ヨスガは目の腫れに触れずに訊ねる。
「うん。帰ったら眠くなって寝てた。起きたのは連絡が来る前」
ヨスガのメッセージで起きたわけじゃないよ、とゆえが返事をする。
「そっか。入って大丈夫?」
「いいよ」
ゆえがヨスガを玄関に招き入れて扉を閉める。
「おじゃまします。リビングちゃんと片付いてるよな?」
「片付けた」
お決まりの確認をしてヨスガがゆえに続いてリビングに入る。
ゆえの部屋は片付いていた。ヨスガがお見舞いに行った時のようなイラストの散乱も無かった。
ゆえがベッドに腰かけて、ヨスガに隣に座るように催促する。
ヨスガが隣に腰かけると、ゆえがヨスガの肩に寄りかかってきた。
「まずはマカロンのお返しをさせてくれない?」
ヨスガがバッグに手を伸ばそうとする。
「身体で払ってもいいよ」
「払いません」
ヨスガがゆえの頭をコツンと叩く。
ゆえは素直に引き下がってヨスガのお返しを待つ。
「先に言っとくけど、ホワイトデーのお菓子の意味とか知らずに買ったからな」
「マシュマロでも買ったの?」
ゆかりと同じ返事が返ってきてヨスガは心の中で小さく笑う。
「いや、違う。良い意味のやつ。不機嫌になるのは待ってくれって。意味を知らずに買ったのに、意味を持たせて渡したくなかったんだよ」
ゆえの表情に慌ててヨスガは弁明をし、赤い包装でラッピングされた金平糖を手渡した。
ゆえはそれを受け取って、すぐに開封する。
中には赤系統の色で着色された金平糖が瓶に詰められていた。
「綺麗」
ゆえはまじまじと金平糖の入った瓶を眺める。
「気に入ったなら良かった」
「食べさせて」
ゆえは金平糖をヨスガに返して、ヨスガに寄りかかる。
「言うと思ったよ」
ヨスガは金平糖を一つ取り出して隣のゆえに近づける。
ゆえに食べさせるのは慣れたものだった。
ゆえはパクりとヨスガの指に触れる事無く金平糖を食べている。
「膝枕で食べさせて」
「危ないからダメ」
ゆえの要求を即座に却下する。
「じゃあ膝に乗って食べさせて」
「まぁそれならいいか」
今度は渋りながらも許可をする。
ふっかけた後のヨスガは甘い事をゆえはよく知っていた。
「やった」
ヨスガがゆえとの間に挟むクッションを取り出す前に、ゆえはヨスガの膝の上に乗った。
正面を向き合って。
「お前それは」
当然、ヨスガは狼狽える。
「膝に乗って良いって言った。前言撤回はだめ」
ゆえは両足をヨスガの腰に回してガッツリとホールドした。
「頼むから勘弁してくれ」
ヨスガが弱々しく抗議する。強い力でゆえの事を振り払えない上に、自分自身の生理現象に意識が向きすぎていっぱいいっぱいだった。
「じゃあ、一粒食べさせてくれたらいいよ」
ゆえの条件提示にヨスガが慌てて金平糖を取り出してゆえの唇に近づける。
ゆえはそれを避ける。
「食べてくれ」
「食べさせて」
ぺろりと小さな舌を出してゆえがヨスガを挑発する。
ヨスガはため息をついて、金平糖を持っていない方の手でゆえの頭を抱き寄せる。
身体の前面がゆえの小柄ながら凹凸のついた柔らかな身体と密着する。
そんな事もお構いなしにヨスガはゆえの唇に金平糖を押しつける。器用に鼻をつまんで口呼吸をさせる事で金平糖を食べさせる事に成功した。
達成感と共にヨスガは倒れ込む、ゆえもそのまま同じ様に倒れ込んで、ヨスガを押し倒す形になる。
「ヨスガに無理矢理されちゃった」
呼吸を荒くしながらゆえがヨスガを見下ろす。
「言い方」
ヨスガはゆえを剥がそうと躍起になりながら言い返す。
「いやん、鬼畜なヨスガに乱暴されちゃう」
ゆえがヨスガの身体に密着したまま悪ふざけをする。
「また耳元で喋るぞ」
「それはやだ」
ゆえがそそくさとヨスガから離れる。
「良い武器見つけたな」
ヨスガがなんとなしに言う。
「別に使っても良いんだよ?その後のヨスガがどうなるかはわからないけど」
「わかったよ。気をつける」
「今日は許してあげる。私でも良いってわかったし」
ヨスガは無言を貫き通す。
「じゃあ今度は球技大会の分。一緒に寝よ」
「頭だけじゃダメなのかよ」
「うん。利息」
ゆえがエスカレートした要求をする。
「めちゃくちゃ言うなぁ。泊まらないからな」
「うん、いいよ。来て」
ゆえがベッドに横になってヨスガの手を引く。誘われるがままにヨスガはゆえと向かい合うように横向きに寝転がった。
ゆえは引いた手もろともヨスガの胸に抱きついた。
顔はヨスガの胸に埋めずに、ヨスガを見つめている。
近くで見たゆえの目は、より痛々しく見えた。
「目、どうしたんだよ」
思わずヨスガは訊ねる。ゆえの身体が自身の触覚に働きかける心地良さよりも心配が勝った。
「幸せな夢を見て、起きたら夢だったから悲しかった」
ゆえは素直に答える。
ヨスガは空いている腕で優しくゆえの頬を撫でて、その後頭を撫でた。
「前もそんな日があったな。中学の時だっけ」
ヨスガの優しい手にゆえは微睡む。
「中三の時あった」
「あの時はゆえのお母さんもだいぶ心配してたよな。ゆえが頑張って距離を取ってるって知ってるのに、その上で連絡してくれたもん」
当時の事をヨスガは懐かしむ。
早朝の五時、ゆえの母親がゆえの部屋から鼻をすすりながら何かを描いている音がするとヨスガに連絡が入ったのだ。
その時もひどい目をしていた。
ヨスガがゆえの家に寄った時のゆえの困惑と喜びと悲しみが入り交じったような表情がヨスガは忘れられなかった。
「今回も何か描いたのか?」
「秘密。誰にも見せない」
ゆえはヨスガに対して拒絶の意思を見せる。
中学三年生の時も、どんな夢だったかも、起きてからどんな絵を描いたのかも、ヨスガには教えてくれなかった。
「そっか。わかった」
ゆえの頭を自分の胸に抱き寄せて優しく背中をさする。
ゆえが気持ちよさそうに頭をヨスガに擦りつける。
「そのまま寝ても良いよ」
気が変わったヨスガは、ゆえが良い夢を見れるように全力で甘やかす事にした。
「歯磨いてない」
「それもそうか。じゃあ、磨くか」
ヨスガが起き上がろうとして、ゆえも一緒に起き上がる。
「……いいの?」
ゆえが不安げにヨスガを見る。
「今日は甘やかすって決めたからな。明日は早起きだぞ」
ヨスガはおどけて最後に付け足す。
ゆえはうつむいたまま「ありがとう」と告げた。
なぜか用意されているヨスガ用の歯ブラシを使ってヨスガも歯を磨き、ヨスガはシャワーも借りた。
高校に入学してから強奪されていたスウェットに身を包み、二人はもう一度ベッドに横になる。
「おいで」
今度はヨスガがゆえを迎え入れる。
眠る時に関しては自分の融通の利かない部分は意識しなくなっていた。
ゆえがのっそりとヨスガの身体に寄り添う。
「女慣れしてきてちょっとやだ」
「どこかの誰かさんが距離感おかしいからな」
ヨスガは目の前のゆえと、ゆかりの事を考えながら言い返す。
ゆえは小さくヨスガの胸を叩いて抗議した。
静かな時間が流れる。
ヨスガの耳からは離れているはずなのに、ゆえの鼓動が耳を揺らしているように感じた。
「ヨスガは、ゆかりの事が好きなんだよね」
静寂を破るようにゆえがぽつりと呟く。
「文化祭の時も、球技祭の時も、あんなに感情振り乱してた。あんなヨスガ初めて。
なのに今は私の事を抱いてる」
言い方が悪い、と言い返す事ができなかった。
ヨスガもずっと考えている事だった。
「中一の時、私がえっちな目で見られて距離を置こうとしたのとは正反対」
「それは」
ヨスガは言い淀む。
ゆかりが傷つきそうになった時に身体が動いたのは、ゆえの影響が大いにあるとヨスガは思っていた。
ゆえを遠ざけて悲しませ、そんな相手に救われた。影響が無いわけが無かった。
だからと言って、ゆえから見ればゆかりがヨスガに特別気をかけられていると思われるのも当然だった。故にヨスガは何も言えなかった。
「いじわるしすぎたね。ヨスガは私に影響受けたんだよね。うるさくなった図書館に嫌な気分になった時も、ゆかりがサッカーで倒された時に駆けつけた時も、ヨスガの中に私がいるってわかって嬉しかったし誇らしかった。かっこよかったよ。えらいえらい」
ゆえがヨスガを撫でようと手を伸ばす。
「私はそれだけで十分嬉しい。この一年、ヨスガはたくさん変わったけどその中に私が居た。それだけで満足」
ゆえの腕がヨスガを抱きしめる。
「そう思ってたんだけれど」
ヨスガから目を逸らしてゆえが言葉を切る。
ヨスガはじっと待つ。
「お節介でわがままな親友が、もう一度ヨスガの事を考えろって言ってきた。利敵行為なのにね」
ゆかりの事だった。
「私はもうちゃんと一人で立ってるって、ヨスガ離れできてるって言ってきた。今もこんなに甘やかされてるのにね」
ゆえの言葉にヨスガは優しく頬を撫でる。心地よさに痺れながら、ゆえはヨスガの顔を見上げる。
「そんな事無いよ。今、俺がゆえを甘やかしてるのは、俺がそうしたいからそうしてるんだ。球技祭のご褒美とか関係ない」
ヨスガがゆえの頬をさらにもちもちとつまみながら笑う。
「ゆえは辛い時は隠すからな。秋に体調崩した時とか、今日とか。まぁ、後は中三の時の夢の日か。一番甘えたいだろそんな日は。なのに隠そうとする。ヘタクソだけどな」
ゆえは何も言わずに話を聞き続ける。
「ゆえなりの気遣いなのかもしれないけどね。そんな気遣いができるヤツが俺離れ出来てないわけないだろ」
「たまたまヨスガが気づいただけで、本当は辛い日をもっと隠してるとは思わないの?」
「それなら余計にゆえはしっかりしてるって思うだけだよ」
「ヨスガの気を引きたくて、辛いフリをしているとは思わないの?」
「思わないね。ゆえだから」
ヨスガはゆえの目を見て断言する。
ゆえはヨスガの胸に顔を埋める。
「なにそれ。ばか」
グリグリと頭を擦りつける。
「ヨスガもゆかりもばか。知らないフリして勝手にくっつけば良かったのに」
ゆえが独り言のように悪態をつく。
しばらく無言の時間が続く。
「今の時間は楽しいし幸せ。でも、続けば続くほど最後には皆辛い思いになる。それでも、私はヨスガ離れしたって言う?」
「あぁ、言うよ」
二者択一の大きな分かれ道をヨスガは迷い無く進む。
ゆえはほんの少しだけの呆れと、胸の奥から込み上がってくる想いに翻弄される。
「今抱いてる私の事を選んでくれないくせに、その気にさせるんだ」
「それはまだ、ごめん」
ヨスガは誠心誠意謝る事しかできなかった。
たくさんの変化があった。譲れない戦いもあった。ゆえがヨスガ離れしたとヨスガ自身が認めた。それでもなおヨスガは選ぶ事に恐怖していた。
それとは別に、球技祭での成功がヨスガを勝負の世界に駆り立てていた。
「わかってる。今のヨスガはサッカーに没頭したいんだよね」
ゆえも理解していた。
ヨスガが五組に勝利した時の昂揚は、ゆかりの平穏を守った事によるモノでは無かった。
当然それはゆかりも気づいていた。だから二人はヨスガの見えないところで停戦協定を結んだ。
大好きなヨスガが没頭する姿が見たかったから。
「ごめん」
もう一度ヨスガが謝る。
「いいよ。でもちゃんと私とゆかりをいつも通り構ってね。ちょっとえっちなのもいいよ」
「それはダメだろ」
ヨスガがコツンとゆえの頭を叩く。
ゆえはお返しにヨスガの頬を引っ張る。
「応援してる。頑張ってね」
ゆえが引っ張っていたヨスガの頬から手を離し、モゾモゾとヨスガと同じ頭の位置まで這い出る。
「ありがとう。枕使うなら譲るけど」
枕の高さまで上がってきたゆえと目が合う。
ゆえは返事をせずに両手でヨスガの両頬を掴む。
そのままゆえはヨスガと唇を重ねた。
ヨスガの身が固まるのがゆえの手を通じて伝わる。
ほんの一瞬のファーストキスは歯磨き粉のミントの味がした。
「これは応援で、抜け駆けじゃないから」
唇を離したゆえがヨスガに言いながら、枕をひったくって顔を隠す。
ドッドッドと痛いほど心臓が鳴っていた。
「これから眠るんじゃなかったのかよ」
混乱のままにヨスガは言葉を絞り出す。
「うん。寝よ」
ゆえが再びヨスガの胸元に頭を寄せて眠り出す。
「心臓、煩い。早く静かにさせて」
「お前がそうしたんだろ」
ゆえのクレームにヨスガが言い返す。
「お見舞いに来てくれた時の朝、キスくらいなら許そうとしてた癖に何を今さら」
「それは、まぁそうだけどさ」
ヨスガが口ごもる。
実際、お見舞いの翌日、ゆえに耳元で叫ばれたあの時、ゆえの気が済むのなら高校生のヨスガが責任を取れない事以外は何をされても許すつもりだった。
「ヨスガが添い寝はヨスガの意思って言ったから、キスは球技祭の甘やかしの利息ね。今日だけ」
「わかったよ。今回だけな」
ゆえの主張をヨスガはため息混じりに認める。
「はじめてがヨスガで嬉しい。おやすみ」
ゆえはヨスガの心臓に文句を言ったにも関わらず、あっさりと眠りに入った。
「言い逃げするなよ」
残されたヨスガはまだ眠りに落ちていないはずのゆえに悪態をつきながら部屋の明かりを消した。心臓がまだ煩かった。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。ファーストキスはゆえ。
古淵ゆえ:ファーストキスはヨスガ。




