一年生三月:球技祭⑧
「ヨスガくん、背中大丈夫ですか?」
挨拶を終えてクラスメイトとも解散したヨスガに、ゆかりが駆け寄って開口一番に訊ねる。
「これくらいよくある事だし大丈夫だよ」
やせ我慢と言うほどでは無いが強がりである。試合を終えて落ち着いてきたヨスガの身体は控えめに痛みを訴えている。
「ナイスキー。俺達の最後の公式戦を思い出したよ。よく止めたな」
陽太がヨスガを労う。
「俺も同じ事思ったよ。走馬燈みたいだった」
ヨスガが笑いながら応える。
「面白いもん見せて貰ったよ。レギュラーもこのままブン捕っちまえ」
「そうはいかないだろ」
苦笑するヨスガに陽太は真剣な目を返す。
「いや、今のお前ならできるよ。勝つための準備を自発的にして結果も出した。そういう成功体験は魔物だぜ。それだけでまた頑張ろうと思えるし、戦おうと思える」
「俺はユース生でもなければ、高校経由でプロを目指す人間でも無いよ。そんな執念を持って毎日取り組めないよ」
ヨスガは陽太の言葉を否定する。
「まぁ今はそうかもな。でも次の練習とか、きっかけ一つで思考は変わるぞ。どれくらい伸びるか期待してるよ」
「まぁ心に止めておくよ」
ヨスガが陽太との会話を切り上げると、背中に氷を突っ込まれた。
ヨスガはビクリと身を固まらせる。
「ちゃんと冷やせ」
ゆえが氷嚢を貰ってきていた。
「素肌は止めろよ。心臓止まるかと思ったぞ」
文句を言いながらゆえから氷嚢を取り上げて、体操服越しに背中に当てる。
「ごめん」
「いいよ。ありがとな」
ゆえが嬉しそうに頷く。
そんな二人のやり取りを、陽太は目を細めながら眺めていた。
「よし、俺は帰るわ」
「早く帰れ」
陽太の言葉にゆえが辛辣に返す。
「またな」
「たまには俺の試合も観に来てくれよ?」
そう言い残して陽太は立ち去っていった。
「あの、氷嚢持ちましょうか?」
陽太が去った後、ゆかりがヨスガの背中を見やりながら提案する。
「いや、大丈夫だよ。腫れてるわけでもないし」
ヨスガが遠慮すると、パァンと背中に衝撃が走った。ゆえが力一杯に平手打ちを背中にかましたのだ。
「はい腫れた」
「お前さすがに怒るぞ」
「これでも怒るのが確定しないなんて優しいね」
ゆえはひらりとヨスガの悪態を躱す。
「目立つのが恥ずかしいなら別の場所で冷やせば良い。ぐっどらっく」
ゆえは親指を上げながら立ち去っていった。
「えっと、移動しませんか?」
「そうだね、ここはまだ人が多いし」
ヨスガとゆかりは氷嚢を持ったまま移動を始める。
特に何かを話すでも無く、二人はこれまで何度もお世話になった屋根付きのベンチに辿り着いた。
何も言わずとも二人でそこに足が向かった事がゆかりには嬉しかった。
「氷嚢貸してください」
ベンチに腰かけ、ゆかりが氷嚢を受け取る。
ゆえが叩いた場所に氷嚢が当てられ、ヨスガは冷感に気持ち良くなっていた。
「ありがとう。しっかしゆえのやつなんだったんだ」
ヨスガがここにいないゆえの悪態をつく。
ゆかりは今日のヨスガの時間をゆえに譲られた、と思っていた。その理由もわかっていた。
「ゆえさんはわたしに二人きりでお礼をする時間を作ってくれたんだと思います」
「お礼?」
身に覚えの無いヨスガが首を傾げる。
「ヨスガくんが球技祭を頑張ったのって、わたしのためなんですよね?」
ゆかりの言葉にヨスガは身を固くする。しらばっくれようと思ったが、背中越しに容易にゆかりにバレてしまう。
「ふふ、ヨスガくんはわかりやすいですね。もう誤魔化しても無駄ですよ」
愉快そうにゆかりが笑う。
ヨスガは言葉に詰まる。
「球技祭の練習をするようになってから、男女のサッカー部の人に見られる事が多くなったんですよ。あかねちゃんもいつもより過保護な雰囲気でした。松井さんも相手になってくれていたので、未経験者で気合いの入った人がいる、みたいに噂されているのかと思っていました。けれど、違ったみたいですね」
ヨスガは黙ってゆかりの言葉に耳を傾ける。
「わたしが失点して負けた時のヨスガくんの表情とか、あかねちゃんのヨスガくんへの態度が引っかかったんです。その後、男子の決勝戦でヨスガくんと別府くんが睨み合ってたのを見て、あかねちゃんを問い詰めて知りました」
「……まぁ、そもそも女子サッカー部の方はともかく、別府の件は陽太も知ってたくらいだし、秘密にする方が無理があるか」
苦々しげにヨスガが呟く。ゆかりに知られない事が一番良かった。
「最後の最後までわたしは知りませんでしたけどね。ヨスガくんが名俳優だったら気づかなかったかもしれませんね」
氷嚢でヨスガの背中を優しく撫でながら、ゆかりが返事をする。
「応援に呼ばない事が正解だったか」
「怒りますよ」
氷嚢を持っていない方の手で、後ろからヨスガの頬をゆかりがつねる。
「ごめんなさい」
「二度と言わないでくださいね」
ゆかりがグリグリと氷嚢を押しつける。氷の角張った部分が皮膚に刺さって痛気持ちいい。
「わたしはヨスガくんにもあかねちゃんにも感謝するチャンスを逃すところだったんです。わたしにとって嬉しい事を取り上げないでください。文化祭の時もヨスガくんは心配し過ぎです」
「それに関しては、そろそろそういう人間だって理解してくれるとありがたいかもしれない」
ヨスガは弱々しく反論する
「もちろん、もう理解してますよ。だから、わたしもわたしが幸せだと思う出来事を逃さないようにヨスガくんの事を見ていますね」
ゆかりの言葉にヨスガは顔が熱くなる。背中の氷も全部溶けてしまうのではないかとさえ思った。
ゆかりが無言になる。
ヨスガが気になってゆかりの方へ振り返る。
そこには茹でダコになったゆかりがいた。
「恥ずかしいなら言わないでください?」
ヨスガがゆかりから氷嚢を奪い取ってゆかりの頬にくっつける。
「ひゃ!」という悲鳴と共にゆかりが再起動し、恨みがましくヨスガを見る。
「ヨスガくんはいじわるです」
「はいはい」
何度も重ねたやり取りに、自然に二人の間に笑みが零れる。
「ヨスガくん」
ゆかりが笑いながらヨスガの目を見る。
「はい」
ヨスガもゆかりの事を見る。
「優勝おめでとうございます。それと、わたしの時間を大切に守ってくれてありがとうございます」
満面の笑みでゆかりがヨスガに祝福と感謝を述べる。
「俺が言われたいのは『優勝おめでとう』だけなんだけどな」
ゆかりのお見舞いに行った時の事を思い返しながら、ヨスガが返事をする。
「もう、ああ言えばこう言うんですから。ヨスガくん。優勝おめでとうございます。かっこよかったですよ」
ゆかりが口を尖らせながら言い直す。最後に付け足したのはちょっとした仕返しだ。
「ありがとう」
「後で優勝したゆえさんの事をちゃんと甘やかしてくださいね」
ヨスガがゆえの頭を撫でるのを後回しにしていた事をゆかりは思い出させる。
ヨスガは、言葉として伝えられていないゆかりの想いと、それに反してゆえを甘やかして良いのかと、思考と行動のギャップにひっそりと混乱した。




