一年生三月:球技祭⑤
女子の決勝戦が始まる時刻になった。
球技祭のほとんどの種目が終わり、ギャラリーも増えていた。
ヨスガは保健室から戻ってきたゆかりと合流し、さらにゆえの魔の手から帰ってきた陽太もそこに加わった。
試合前、ゆえがヨスガ達の前に立つ。
「ゆかり、仇は取る」
「暴力はダメですからね」
ゆえの物騒な宣言に、ゆかりはしっかりと釘を刺す。
「わかってる。ヨスガも見ててね。陽太は帰れ」
「なんでだよ」
試合前のゆえと陽太のやり取りを知らないヨスガ達は曖昧に笑いながら二人のやり取りを見届けていた。
ゆえ達一組と松井達八組が整列し、挨拶を交わした。
手を出す事は無かったが、ゆえはしっかりゆかりを倒した女子の事を見つめていた。
その女子は気味悪そうにしながら目を逸らした。
「よろしく」
松井がゆえに握手をする。
「私も結川さんの件には思うところがある。けれど、それとは別に古淵さんと試合ができるのはとても楽しみ。だから、よろしくお願いします」
松井の言葉にゆえは少しだけ目を丸くした後に不敵に笑う。
「うん。私も松井と真剣勝負したいって思ってた。思い出させてくれてありがと」
ゆえが松井の手を強く握り返した。
ゆえ達一組のキックオフで試合が始まろうとしている。
センターサークルには一組で唯一のサッカー部員であるゆっこが立っていた。
ゆえはセンターサークルの円周上に立ってスタンバイしている。
試合開始の笛が鳴る。
ゆっこはゆえにボールを預け、すぐさま相手陣内に走り出す。
ゴールに向かって走り出した後、左のコーナフラッグの方へと方向転換する。
その動きに視線が集中する。
ゆえが帰宅部でもサッカーが上手い事はこれまでの二試合で周知の事実だった。
球技祭までの間、定期的に練習に付き合っていた松井も当然理解していた。
「レイ!ゆっこ気をつけて!」
松井にレイと呼ばれた選手はゆかりを倒したサッカー部員だ。
ゆっこの位置の確認に、松井が少しだけ視界の意識をゆっこに寄せてコーチングする。
ボールを受けたゆえが八組の陣地目がけて蹴り込んできたのが、松井の間接視野で見えた。
松井が正面に意識を戻すと、視界の右上にボールが飛んできていた。
「え」と言う間も無く松井は身体を反転させてボールの落下地点に手を伸ばす。油断で跳ぶだけのバネは溜まっておらず、必死に手を伸ばした。
懸命に伸ばした手はなんとかボールを指先に捕らえ、コートの外へボールを弾き出した。
松井はその勢いのままなんとか受け身を取って倒れ込んだ。ドッドッドッドと心臓が鳴っているのを感じる。深呼吸をしてどうにか立ち上がろうとする。
「一度も見せてなかったのによく止めたね。さすがヨスガの弟子。でも、油断大敵」
松井の前にはゆえが立っており、松井に手を貸した。
「死ぬかとおもった。でも点は入らなかった。まだまだこれからだよ」
松井が虚勢を張る。その態度にゆえは愉快そうに笑って応えた。
「え、いきなり二人ともすごかったですね」
開始早々のゆえと松井の攻防にゆかりは声を上げて興奮していた。
「いきなりぶっ放したなぁ」
ヨスガも感心する。
「しかもアイツ、走り込んできた女子にほんの少しキーパーが視線を動かした瞬間に撃ちやがった。最初から狙ってたなこりゃ」
陽太が一連のシーンを振り返る。
ゆっこからボールを受けたゆえは、ジッと松井の観察をしていた。
松井が良い選手なのはゆえもわかっていた。だから観察した。
女子サッカー部の松井がゆっこのランニングを無視できる訳が無かった。
松井の視線がほんの少しだけゆっこに移ったその瞬間、ゆえはボールを蹴り出した。
ゆえが獲得したコーナーキックをゆっこが蹴る。
一組の攻撃はゆえとゆっこが軸だ。ゆえは身長が低いのでショートコーナーでのリスタートを選択する。
「むぅ、さすがに無理か」
ゆっこから受けたボールをゆえが直接狙うが、あっさり松井がキャッチした。
ゆえ達が引き返したのを確認して、松井が近くの選手にパスをする。
それをレイがさらに受けてドリブルを開始しようとする。
ゆえはそれを追わずに素通りさせる。
ゆっこもレイにちょっかいをかけずに傍観する。
ゆえとゆっこが守備に参加しない事にレイは安堵しながらドリブルをする。
脅威がいない事に油断してドリブルが大きくなった瞬間、レイとボールの間に影が割って入った。
ゆえだ。
レイが通り過ぎた後にすぐさま反転し、身体を割り込ませるタイミングを窺っていた。
ゆえがボールを奪取するが、止まりきれなかったレイがそのままゆえに乗りかかる。
レイはゆえを支点にして勢いのままに背中から落ちた。ゆえが潰される事は無かった。
慌てて審判が笛を鳴らす。
「ふうん、これじゃダメなんだ」
倒れているレイをゆえが見下ろす。
レイにゆえが手を差し伸べる。
レイがおそるおそるゆえの手を取り立ち上がる。
レイが立ち上がる間際、ゆえが耳打ちをする。
「よわ」
立ち上がったレイがゆえを睨みつける。ゆえは言うだけ言ってフリーキックに備えて守備に入った。
冷静さを欠いたレイがフリーキックを枠外に外し、その後は拮抗した状態になった。
ゆえとゆっこの猛攻を松井が防ぎ、八組の攻撃の芽をゆえが摘むという構図だった。
「もうちょいで終わりか」
ゆえがポツリと呟いてゆっこと目配せする。
「よーっしみんないこ!」
ゆっこが声をかけながらボールを持ち出す。
途端、ゴールキーパーを除いた一組の選手達が相手陣内に入ってきた。
サッカー未経験者だとしても数は力。八組の選手達も自陣に戻らざる負えない。
ハーフコートのさらに半分の窮屈な長方形の中に両チーム入り乱れる。
「よし、じゃあ後はゆえにお任せ~」
ゆえにボールを渡してゆっこもカオスに身を投じる。
素人の中に無視できない脅威が入り込み、松井は緊張感を高める。
ゆえは流れに身を任せるようにボールを運ぶ。合間にゆっこが顔を出してボールを受け渡す。
あっという間にゆえはペナルティエリアに侵入し、松井と一対一になる。
松井はゆえを観察する。ゆえとの一対一はゆかりの練習に混ざった時に何度もやっていた。
今日こそは止めると意気込む松井を嘲笑うかのようにゆえは横にパスをする。
そこに走り込んだのはゆっこじゃなかった。
一組女子で一番足の速い陸上部の女子が無人のゴールにゆえの優しいパスを蹴り込んだ。
「今日は一対一じゃないからね。私達の勝ち」
一組のゴールに観客が沸く。
ゆかりがヨスガとハイタッチをしているのがゆえからも見える。
ゆえは親指をヨスガ達に立てて胸を張る。後ろからゴールを決めた選手やゆっこがのしかかって潰された。
試合はそのまま終了し、女子の部はゆえ達一組の優勝で幕を閉じた。
挨拶を終えてゆえの下に松井がやってくる。
「古淵さんの言う通りだったね。たくさん一対一をやったから頭の中から試合だった事が抜けちゃった。ゆっこがサイドに走って行ったのも狙い通り?」
最後の得点シーン、ゆえがペナルティエリアに侵入している横でゆっこがコーナーフラッグの方に走っていた。ゆっこを無視できないレイがそれを追う。
フィニッシャーになった陸上部の女子以外の選手もゆっこのサイドに寄っていき、生まれたスペースにゆえがパスを流しこんでアシストした。
「良いでしょ。皆でやろって決めてたんだ」
満足げにゆえが語る。
「完敗だよ。でも楽しかった。また一緒にボール蹴ろう」
松井が改めて握手を求める。
「いいよ。ね、みどりって呼ぶね」
ゆえが握手に応じながら宣言する。
松井が少しだけ驚くも、嬉しそうに笑う。
「もちろん。次は負けないよ、ゆえ」
ゆえも嬉しそうに笑った。
「おい」
決勝を終えた選手達がコートを後にする中、ゆえがレイに声をかける。
レイがゆえの方を向く。
「二度とゆかりに関わるな」
レイが顔を歪めて舌打ちをして去って行った。
「一応あんなでも私をサッカー部に誘ってくれた人だから、許さないと思うけど矛を収めてくれるとありがたいかな」
「みどりに免じてあげる」
ゆえは渋々松井の言葉を受け入れた。
「ゆえさん、おめでとうございます!」
ゆえがヨスガ達の下に戻ってくると、ゆかりがゆえに抱きついてきた。大いに興奮している。
「きつい」
文句を言いつつゆえもまんざらでは無い。
ゆえはもみくちゃにされながらヨスガの方を見る。
「お疲れ」
ヨスガがゆえを労う。
「もっと褒めて」
ゆかりに抱きつかれたまま、ゆえはヨスガに頭を差し出す。
「まずは汗を拭きな」
ヨスガはゆえの頭にスポーツタオルをふわりと被せた。
「撫でて」
要求が直接的なものになってヨスガは苦笑する。
「TPOを考えな。それにもう俺の出番だ」
ゆえの要求を躱して、ヨスガが決勝戦の準備をする。
「ケチ」
「後でな」
「じゃあ許す。頑張れ」
ゆかりに汗を拭われながら、ゆえが激励をする。
「まぁ勝つだろ。面白いもん見せてくれよ?」
陽太もそれに続く。
「当事者じゃないからって気楽に言うなぁ。相手はAチームだぞ」
「スカウティングまでしておいてよく言うぜ。頑張れよ」
ヨスガが陽太と話し終えると、ゆえをタオルに包んでいるゆかりと目が合った。
「えっと」
ヨスガは言葉が出ない。この決勝戦に特別なモチベーションがある事はゆかりには知られたくなかった。
「本当は自分のクラスを応援した方が良いんでしょうけど、わたしはヨスガくんを応援しますね」
はにかみながらヨスガに告げる。
見返りが欲しいわけじゃない。大切な人の穏やかな時間を守りたいだけだった。
けれど、ゆかりの言葉に力が沸いてくるのをヨスガは自覚した。
「うん、頑張ってくる」
ヨスガはコートへと駆けていく。一人で勝手に背負っていた使命感が軽くなった気がした。




