一年生三月:球技祭④
ヨスガの準決勝が終わった頃、陽太はゆえの魔の手から逃げ切って水を飲んでいた。
「トレーニングとかしてるわけじゃないのになんであんなに長く走れるんだよ」
息を整えながらゆえに悪態をつく。
「天才だから」
「うわぁ!」
陽太の悪態に返答が来る。顔を上げるとそこにはゆえが立っていた。
陽太は心臓が止まるかと思った。
「音も無く近づくんじゃねぇよ。死ぬかと思った。ってなんでハサミ持ってんだよ。まさか……」
ゆえの手にハサミが握られている事に気づいた陽太が恐怖する。
「お前の返り血なんか浴びたくない」
心底不快そうにゆえが陽太を見下ろす。
「じゃあ、なんだよ」
気を取り直して陽太がゆえに訊ねる。もうさっきの癇癪は収まったと踏んでいた。
「これで結んでるところから髪切って」
ゆえが片手で長いポニーテールの根元を掴みながら陽太にハサミを手渡そうとする。
「は?」
ゆえの要求に陽太は呆気に取られる。
「ゆかりを傷つけた女をころしたいけど、審判もグルだと思う。髪のせいで反則とか言われたら嫌だから切り落としておきたい」
極端過ぎるゆえの動機に陽太の開いた口がふさがらない。
「ヨスガにもゆかりにも頼めない。お願い」
ゆえの必死な言葉に陽太は冷静さを取り戻す。
「二人に頼んでも止められるからか?」
「うん」
「そっか」
相槌を打ちながら陽太がゆいからハサミを受け取る。
ただの文房具のハサミだった。
「じゃあ俺も切らない」
陽太はそう宣言して、ゆえに奪われないようにハサミを頭上に持ち上げた。
「なんで」
歯を食いしばりながらゆえが陽太を睨みつける。
中学時代、何度も同じ様に睨まれてきた陽太には何も怖くなかった。
「お前がそんな理由で髪を切ったら、ヨスガも結川さんも傷つくだろ。お前もそれは本意じゃないだろ」
ゆえは陽太を睨みつけたまま頷いた。
「あと、お前の言い方も気にくわない。殺すはダメだろ」
「それは、うん。言い過ぎた」
ゆえが視線を逸らして反省する。
「わかりゃ良いんだよ。まだ気にくわないところもあるし」
「なんだよ」
ゆえが再び陽太を睨む。陽太はよくもまぁこんな猛獣を手なずけているなぁと、かつてのチームメイトを心の中で称賛する。
「お前が自分で髪を切らない事だよ。髪が邪魔って言うなら自分で適当に切って、試合の後に整えて貰えばいいだろ」
ゆえは言い返さずに黙っている。
「こういう無茶をする時はいつも事後報告だからな。それをしないって事は、髪を切ってもらう事でお前の復讐心を肯定して欲しいってとこだろ。そんな事に荷担する気は無いね」
陽太の言葉にゆえが力なく座り込む。もうハサミを使う事は無いと思い、陽太も掲げていた手を下ろす。
「お前にとって結川さんがものすごく大切なのはわかった。でもそのやり方は喜ぶ人がいない」
ゆえは体育座りになって顔を埋める。陽太はちろりと見えるゆえの脚に視線が吸い込まれないようにした。
「大体、お前はそんな事しなくたって強いだろ」
陽太は顔を背けたまま言葉を続ける。
「中学時代に俺達をコテンパンにした古淵ゆえはどこ行ったんだよ。お前ならそのなっがいポニーテールも関係なしに、審判にさえつけいる隙も与えずに相手を叩き潰せると思ってるんだけどな。
もう天才じゃなくなったか?」
陽太の激励と煽りにゆえが立ち上がる。
「言うじゃん。見てろよ」
ゆえが陽太を見上げる。ほんの少しだけ目が赤くなっているように見えたが、陽太はそれを無視した。
「当たり前だろ。ヨスガとお前のサッカーを見に来たんだよ」
陽太がニヤリと笑って返事をする。
ゆえは不機嫌そうにしながら陽太に背を向けてコートに向かう。陽太もそれに続く。
しばらく歩いたところでゆえが立ち止まる。
「陽太」
「ん?」
「止めてくれてありがとう」
「別に俺は復讐の片棒担ぎたくなかっただけだよ」
「ヨスガに言うなよ」
「へいへい」
陽太の返事を聞いて、ゆえは再びコートに向かって歩き始めた。




