一年生二月:ゆかりの誕生日
ゆかりが初恋を自覚してからしばらくして、二月になった。
二月二日。今日はゆかりの誕生日だ。
昼休みは青井と赤羽根に袋詰めの菓子を貰った。
友達同士の誕生日のお祝いの相場がわからなかったゆかりは、青井や赤羽根よりも先に誕生日を迎えられて幸運だと思った。二人の誕生日の時は気兼ねなく好きなお菓子をあげようと思った。
放課後はゆえが祝いに来た。
「これあげる」
図書館を訪れたゆえが手渡したのは、ゆかりがモデルになった絵画のポストカードだった。
「司書先生に作ってもらった。これでゆかりの部屋にも飾れる」
「ありがとうございます。少し気恥ずかしいですね」
「もう一つある」
ゆえがもう一枚白い紙を手渡す。
ゆかりがその紙を受け取ると、裏面がツルツルとしている事に指の感触で気づく。
紙を裏返すとそれは写真だった。
「きっと気に入る」
ゆかりが手に取った写真は、図書館の天使事件で女装したヨスガの写真だった。
ゆかりは視線をゆえに戻し、静かに頷いた。
「ありがとうございます」
ゆかりの反応にゆえも満足そうに頷いた。
「お誕生日おめでと。後はヨスガだけ?」
「そうですね、この後図書館に来てくれます」
ゆかりはこの後ヨスガがやって来る事にドキドキとしていた。
「友達と親友と恋敵と想い人に祝われる誕生日はどう?」
「わざわざ恋敵を追加しなくても良いじゃ無いですか」
ゆえの質問に、ゆかりは笑って答えながらゆえを小突く。
「ヨスガくんはまだですけれど、とても楽しい日でした」
ゆかりの座る椅子の横に置いてある菓子の入った袋を見ながらゆかりは言葉を続けた。
「それは良かった」
優しげな眼差しでゆえが微笑む。
「そういえば、この一ヶ月はどうだった?初恋ビギナーさん?」
「言う必要ありますか?拗らせた初恋さん?」
「言うね。敵情視察みたいなもの」
にやりと笑いながらゆえが答える。
「ヨスガくんが言うにはゆえさんに似てきたらしいので」
ゆかりも笑みを浮かべて返事をする。
「初恋が暴走して部屋に連れ込んで入り浸ったりするかと思ったらそんな事も無いし、ゆかりの部屋の本は学校で貸し借りしてるし、いつも通りに過ごしてるなぁって思って訊いてみた」
「そんな事できてたらゆえさんの事を気にせずに最初からもっとアプローチしてましたよ」
「そう?ゆかりは口実があれば自分の合鍵を渡すくらいはすると思ってたけど」
「……秘密です」
自室のライトノベルの貸し借りがしやすいように、ヨスガに鍵を渡そうとした事が見透かされて、ゆかりは視線を逸らした。
「ふーん、やるね」
ゆかりの誤魔化しがゆえに通じる訳が無かった。
「そういうゆえさんはどうなんですか」
仕返しと言わんばかりにジト目でゆかりが訊き返す。
「まだ拗らせをほぐしてるところ」
「そうですか」
「うん。あ、ヨスガ来たよ。じゃ、またね」
「え、ちょっと」
ゆえは入り口にヨスガの姿を認めると、そそくさと帰り支度を初めて迂回するように立ち去っていった。
取り残されたゆかりは後ろを振り向いて入り口の方を見る。
目が合ったヨスガが小さく手を振る。
それだけでゆかりの幸福な日がさらに満たされていくのを感じた。
高鳴る胸を抑えながら、ゆかりはヨスガに頭を小さく下げる。
ヨスガはゆかりの隣の席に座った。
「お待たせ」
「お疲れ様です」
軽く挨拶を交わし沈黙が生まれる。
いつもならスムーズにゆかりが読んでいた本の話が始まるが、二人ともブレーキがかかっていた。
「えぇっと」
ヨスガが自分のバッグをまさぐりながら口を開く。
「お誕生日おめでとうございます。で、これが誕生日プレゼント」
ヨスガが取り出したのは水色の袋だった。袋の口は青いリボンで結ばれていた。
「ありがとうございます。開けても良いですか?」
袋を受け取ったゆかりは微笑みながら礼を言う。
ヨスガが頷くと、ゆかりは青いリボンを解いて中身を取り出した。
出てきたのはクラゲがデザインされた文庫本サイズのブックカバーだった。濃紺に染まった布地に、白いクラゲが描かれていた。
「わぁ、ステキですね」
ゆかりは嬉しそうにブックカバーを観察する。
「ブックカバーって人によって求める機能性も違うからちょっと心配だったけど、喜んでくれて良かった。デザインがいいなって思って贈ろうと思ったんだ」
ホッとした様子でヨスガは説明した。同年代の異性に贈り物をしたのはゆえを除けば初めてだった。
ヨスガは誰かに意見を求める訳でも無く直感でプレゼントを決めていた。
「確かにそうですね。このブックカバーは作り自体はシンプルでとても使いやすそうです。
たくさん使いますね」
笑顔でゆかりが返事をする。
「実はブックカバーが好みじゃなかった時用にもう一つ用意があったんだ」
今度は薄い紙袋を取り出してゆかりに手渡した。
ゆかりがそれを開封すると、中身は栞だった。ステンドグラス調のデザインのクラゲが描かれていた。
「二つも用意してくれるなんて嬉しいです。ありがとうございます」
ゆかりの胸がいっぱいになる。心から嬉しかった。
「こちらもクラゲなんですね」
ゆかりがそう言うとヨスガが頭を掻いた。
「うん。大した理由じゃないんだけど、二人で池袋に行った時、クラゲ水槽に手を伸ばしていたゆかりさんがすごく印象に残っていたんだ。
店でブックカバーを見つけた時にそれを思い出して、一目惚れで買った」
ヨスガの話を聞いたゆかりは、一目惚れという単語だけを都合良く抜き出して昂揚していた。
「印象的っていうのは、良い意味でですか?」
ドキドキを隠しながらゆかりが訊ねる。
「それはまぁ、もちろん。光に照らされるゆかりさんが神秘的で綺麗だなって思ってた。
俺の背中を押してくれた後だったのもあって、輝いて見えてたよ」
ヨスガは照れくさそうにしていたにも関わらず、口を開けばスラスラと言葉にできた。
「またそうやって恥ずかしげも無く言うんですから」
ゆかりはヨスガに寄り添って小突くのをグッと堪えながらヨスガに小言を言う。
「照れてはいるよ。でも、正直な気持ちではある」
ヨスガの言葉にゆかりの口がにやける。
喜びが溢れ出して止まらなかった。
ゆかりは悟られないように口元を抑える。
あまりにもわかりやすいゆかりの仕草に、ヨスガは自身の発言に改めて恥ずかしくなる。
「今はジロジロ見ないでくださいよ」
ゆかりの誤魔化しが早々にバレたのをヨスガの態度から察して文句を言う。
「いや、喜んでくれてるなら嬉しいし、目に焼きつけておこうかなって」
ヨスガの返答にゆかりは我慢が出来ずにヨスガにイスごと近づいて小突いた。
「本当に時々イジワルになるんですから。ばか」
ゆかりの最後の『ばか』にヨスガは鼓動が早くなるのを自覚する。普段のゆかりとのギャップに我ながら見境が無いと自嘲する。
「栞もたくさん使いますね。もう早速使います」
ゆかりはブックカバーと栞の包装を剥がし、今読んでいる文庫本にブックカバーを取りつけて、栞も入れ替えた。
「本当にありがとうございます。すっごく嬉しいです」
ニッコリとした笑顔をヨスガに向けた。
「たくさん喜んでくれて良かったよ。他には何か貰った?」
ゆかりの奥に置かれた袋詰めの菓子を見ながらヨスガが訊ねる。
「あおいちゃんとあかねちゃんにはお菓子をたくさん貰いました。ゆえさんには文化祭の絵をポストカードサイズにしたものをプレゼントされました」
女装したヨスガの写真を隠しながら、誕生日プレゼントの紹介をした。
「青春できてるね。良かった」
ヨスガは楽しそうにゆかりを眺める。
「わたし自身すっかり忘れていましたけれどね。ヨスガくんのお陰ですっかり意識する事も無くなりました」
ヨスガは胸が温かくなるのを感じる。ゆかりがヨスガの背中を押してくれたように、自身がゆかりの人生に良い影響を与えているのが嬉しかった。
「あ、ヨスガくん練習後でしたね。そろそろ夕ご飯にしませんか?」
ヨスガが感慨深くなっていると、館内の時計を見たゆかりが声をかけた。
「そうだね。荷物置いたら食堂集合で良い?」
荷物の多いゆかりを見てヨスガが訊ねる。
「そうですね。では行きましょうか」
ゆかりが荷物をまとめる。食堂で食事をするよりも、自身の部屋で二人きりになって甘えたいと主張するにはゆかりの判断力はまだ正常だった。
寮までの道は人通りが少なく、ゆかりには絶好のチャンスだった。
「寒いですね」
ゆかりが手袋を付けずに両手を擦る。
袋詰めの菓子はヨスガが持っている。
「寮まですぐだけど、手袋付けたら?」
ヨスガの気遣いにゆかりは少しだけ不機嫌なフリをする。
「誕生日のわがまま、良いですか?」
ヨスガの前に立ち、ゆかりが上目遣いに訊ねる。
「良いよ」
即答でヨスガが答える。
ゆかりは嬉しそうにはにかんで、「えい」とヨスガのコートのポケットに片手を突っ込んだ。
もう片方の手は自分のコートのポケットに突っ込んでいる。
「温かいです」
ゆかりがヨスガに肩を寄せながら呟く。
ポケットの中にあるヨスガの手を探り、貝殻つなぎで手を繋ぐ。まだ恋人じゃないから、とゆかりの頭の中ではもう一つの名前で連想する事は無かった。
「ずいぶん大胆じゃない?」
温まってきたゆかりの手からポカポカと熱を感じながらヨスガが言う。
「そんな事無いですよ。ただの貝殻つなぎです。ヨスガくんだって部活の円陣の時に部の人としてたじゃないですか」
「え、ゆかりさん土日の練習試合とかも見てたの?」
ゆかりが時々ヨスガの部活風景を眺めている事は知っていたが、土日に行われる試合でやる円陣の内容まで知っている事にヨスガは驚いた。
「たまたまですよ。あぁいうのって、試合の時以外でも皆でやるんですね。マネージャーの人とも手を繋いでましたし」
ゆかりがキュッと手を握る。自分と違う太い指にドキリとした。
「それはチームによるかもね」
「良いですね」
ヨスガへの返答と言うよりは、ヨスガの指の感触への感想だった。
「どんな感想ですか」
ヨスガは小さく笑う。
ゆかりはヨスガの手をにぎにぎと堪能する。
ヨスガにはその動きがくすぐったかった。
誰もいない下校路、無言のままゆかりがヨスガの手を弄び続ける。
静かな時間がヨスガには心地よかった。
寮に到着する直前にヨスガから繋いだ手を解いて、袋詰めの菓子をゆかりに手渡してそれぞれの部屋へと帰った。
食堂に集合して食事を終えた後は、ゆかりの部屋のライトノベルをヨスガが受け取り、本の話に花を咲かせた。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。
結川ゆかり:初恋ビギナー。
古淵ゆえ:拗らせた初恋。




