一年生一月:ゆかりのお見舞い③
夜の二十一時過ぎ、ヨスガは食材を持ってゆかりの部屋の前に立っていた。
ゆえからの連絡が来たのが三十分前で、指定された時刻が今だった。
ゆえはヨスガが訪ねるよりも自分が訪ねた方が良いとヨスガを部屋に残していた。
ヨスガはゆえの連絡がくるまでゆかりの下を訪れる事を禁止されていた。
昼間、取り乱したゆえを落ち着かせて事情を聞いたヨスガは、ゆえがゆかりの下へ向かった後に強く後悔していた。
起き上がれない程身体が重かったからなんだ、と感染る可能性があるにも関わらずお見舞いに来てくれた人と顔を合わせようとしなかった自分を責めた。
ヨスガの怠慢でゆかりは風邪を引き、ゆえは目を腫らすほど涙を流してしまった。
インターホンを押す指が震える。
ヨスガは時間があったにも関わらず、何を言えば良いのかまったく思いつかないままこの時間を迎えてしまった。
指先がドクドクと脈打っているのを感じる。普段ならキツく巻きすぎたテーピングをした時に感じる感覚だ。
意を決してインターホンを押すと、すぐにゆかりが扉を開けてくれた。
ゆかりはヨスガが思っていたよりも元気そうだった。
マスクをしてはいるが、顔色はかなり良く見える。
ヨスガはその事に少しだけホッとする。
「ゆかりさん、その」
ヨスガが言う事も定まらないままに言葉を発する。
「ヨスガくん、まずは入りましょうか」
ゆかりはヨスガを部屋の中に招き入れた。
「ヨスガくんが言いたい事があるのはわかっていますけど、まずはご飯にしませんか?お腹ペコペコなんです」
お腹をさすりながらゆかりが言う。
「う、うん。わかった。そんなに時間かからないから待ってて」
ヨスガがキッチンで支度を始める。
ゆかりはじっとヨスガの事を見つめている。
「そういえばゆえは?」
何も話さないのも気持ち悪いので、玄関に靴が無かったゆえの行方をヨスガが訊ねる。
「ゆえさんは帰りました」
「あぁ、帰ったんだ」
再び無言の時間が続く。
ヨスガがガサガサと食材を取り出す音だけが響く。
「七草粥ですか?」
ゆかりが並べられた食材を見て訊ねる。
「うん、時期もちょうど良いしね。リビングで待ってても良いからね。というか熱出てるんだし」
「もう熱は下がってます。今は美味しい匂いで食欲を上げていくステップです」
ゆかりはヨスガの近くに張り付いたまま、調理風景を見つめている。
「あの、まだ時間かかるよ?」
一通り作業を終えてヨスガがゆかりに声をかける。
「良いんです。今はヨスガくんを見ていたので」
「やっぱりまだ熱あるんじゃないかな」
ヨスガがゆかりのおでこに手で触れようとする。
「熱で変になってるわけじゃないですよ。今日はヨスガくんにたくさんわがまま言っちゃおうと思っているだけです」
ゆかりの返答にヨスガは『ずいぶん素直だな』と思った。
「それでゆかりさんの気が済むならいくらでも付き合うよ。何して欲しい?」
「それじゃあ、えいっ」
そう良いながらゆかりはヨスガに後ろから抱きついた。手はヨスガの腰を通ってガッツリホールドしている。
「おかゆができるまでこのままでいさせてください。ヨスガくんは鍋の番をしててくださいね」
戸惑うヨスガにたたみかけるようにゆかりが言う。
ヨスガは背中を通じてゆかりのお腹や肩が呼吸で動くのを感じる。
命が動いている事を実感すると共に心が安らぐのを感じる。
何もまだゆかりに伝えられていないのに癒やされてしまって良いのか、という感情すらも溶かす程にゆかりの体温が心地よかった。
普段なら早鐘を打つはずのヨスガの心臓が、やけに穏やかに仕事をしているのを感じていた。
ゆかりはヨスガの広い背中に頬ずりをする。
「ヨスガくんがつまらない事で落ち込んでるのはお見通しですから、全部わたしが溶かしてあげますね」
ゆかりがさらにヨスガと密着する。
「つまらない事じゃないよ。俺が横着しないで起き上がって目を開けば良かったんだ。本当に無礼な事をしたと思う。ごめん」
ゆかりの温もりに抗うようにヨスガが言葉を絞り出す。
「病人は寝るのが仕事なんですからそれで良いんですよ。そんな事で反省しないでください」
唇を尖らせながらゆかりがキュッとヨスガの脇腹をつねる。
「それに、わたしがヨスガくんを撫でた時、ヨスガくんは気づいてくれたじゃないですか。それだけで満足です」
ゆかりは片手をヨスガの頭に伸ばして優しく撫でる。
本当はゆえと間違えられた事を深く悲しんでいた事は言わなかった。
「ゆえの書き置きだけがあったから、ゆかりさんに撫でられたのは夢の中の出来事だと思ってた。ゆえに聞くまで気づかなかったよ」
「それはたまたまですよ」
書き置きを残さなかった事をつつかれないようにゆかりが誤魔化す。
「ゆかりさんの性格なら、良いなって思ったら真似ると思ったんだけどなぁ」
ヨスガは少し納得できないまま呟く。
ゆかりを理解しているヨスガの言葉にゆかりが小さく喜んだ。
ゆかりが握りつぶした書き置きは、まだゆかりの服のポケットに丸まっている。
「そういう日もありますよ」
「それに、ゆかりさんの手がやけにひんやりして気持ち良かったから、それもあって現実味が無かったのかも」
「さすがに発熱してるヨスガくんよりは体温は低いですよ。気持ち良かったなら良かったです」
ゆかりはヨスガのおでこに手を当てる。今日はヨスガの方がひんやりしていた。
ぺたぺたと身体を触り続けるゆかりに、ヨスガはさすがに気恥ずかしくなってきた。
「ゆかりさん、そろそろ出来るし離れてもらってもいい?」
「嫌です。まだくっついていたいです」
ゆかりがさらにヨスガにすり寄る。
ヨスガはゆかりの甘え具合に困惑をしたままされるがままになっている。
そうこうしている内に、七草粥が完成し、ヨスガは束の間の自由を獲得する。
「おかゆを持っていって大丈夫?見られて困るモノは無い?」
器に七草粥をよそってヨスガがゆかりに確認する。
「大丈夫ですよ。どうぞ入ってください」
ゆかりが先導してヨスガがリビングへと入る。
ヨスガはゆかりの部屋にある本棚がまず目に入った。
ほとんどがライトノベルのレーベルの背表紙だった。
「気になりますか?前も話しましたけれど、図書館で借りれない作品は持ち込んでいるんです。後で物色しても良いですからね」
ゆかりがヨスガの視線を目ざとく捕らえて先回りする。
ヨスガは興味を持ってはいるが、ゆかりの秘密の園を暴くようにも感じて申し訳ない気持ちになった。
「わたしが知って欲しいって思っているんですから遠慮しなくて良いところですよ」
またもやゆかりに先回りされてヨスガは「俺ってそんなにわかりやすい?」と思わず漏らしてしまう。
「今はあまりにもむき身でわかりやすいですよ。わたしとしてはとても嬉しいですけれどね」
ゆかりがローテーブルの周りに座りながらヨスガに微笑みかける。
マスクがあってもヨスガが好きな穏やかな笑みだとわかった。
「わがまま、二つ目良いですか?」
ゆかりが正面に腰かけたヨスガに話しかける。
「もちろん」
普段以上に距離感が近いにも関わらずヨスガが即答したのは、ゆかりに対する後ろめたさよりも普段のゆかりの振る舞いによる信頼からだった。
ゆえがわがままを言う時はヨスガは即答しない。
「おかゆ、食べさせてくれませんか?」
ヨスガは一瞬固まったが、七草粥にレンゲを突っ込んで掬う。
もう片方の手をそえながら、ヨスガはゆかりに七草粥を近づける。
ゆかりも前屈みになって口を近づける。
髪が垂れないように手で掻き上げる。
その仕草にヨスガはドキリとするが、ゆかりの口に食事を届けるために目が逸らせない。
ヨスガの視線がゆかりの口に移る。ヨスガがゆかりの唇を意識して見るのは初めてだった。
初めてゆかりと食事をした時の事をヨスガは思い出す。食べる所を異性に見られるのは嫌かもしれないと気を遣った日が随分と昔の事のようにヨスガは感じた。
緊張したままヨスガはレンゲを近づける。
ゆかりがふーふーとレンゲの上の七草粥を冷ましてからパクリとレンゲを口に含んだ。
七草粥だけを口に残し、レンゲを離してから味わう。
「美味しいです。ヨスガくんのご飯は絶品ですね」
ご満悦なゆかりを見てヨスガはホッとする。心臓は煩いままだ。
「もっとください」
ゆかりが鳥の雛のように催促する。
ヨスガが七草粥を口に運ぶ。
ヨスガが作った七草粥が無くなるまでこのやり取りは続き、その度にヨスガはゆかりの唇を強く意識する羽目になった。
「ごちそうさまでした」
緊張感から解放されてぐったりしているヨスガに、ゆかりが感謝を述べる。
「お粗末さまでした。口に合ったなら良かった」
ヨスガが食器を持って立ち上がり、キッチンへ向かう。
ゆかりはそれを座ったまま眺めていた。




