一年生一月:ヨスガのお見舞い
「ヨスガの鍵、貸してあげる」
一月最初の三連休、ヨスガが病床に伏している最中、ゆえはゆかりの部屋にあがりこんでいた。
ゆえはゆかりにヨスガの部屋の鍵を渡そうとしていた。
「ヨスガくんのお見舞いに行きたい気持ちはありますけれど、ゆえさんは行かないんですか?」
ゆかりが戸惑いながらゆえに訊ねる。
「この後一回実家に帰る必要ができちゃったから、夜にどうなってるかだけでも見てくれたら良いかなって」
差し入れはここにあるから、とゆえが大量のドリンクゼリーを入れたビニール袋を掲げた。
「そう言う事なら、わたしが様子を見に行きますね」
ゆかりがヨスガの部屋の鍵と差し入れを受け取る。
「風邪引きのヨスガなら力でも押し倒せるよ」
「そんな事しません」
ゆえの下世話なアドバイスにゆかりはぴしゃりと反論した。
「ちぇ、じゃあ、ヨスガをよろしくね」
そう言い残すとゆえは帰省すべくゆかりの部屋を後にした。
ゆかりは自分も何か差し入れをしようと思いスポーツドリンクを買いに外に出た。
空は暗く曇っていて、いつ降り出してもおかしくなかった。
スポーツドリンクを買って戻ると、ゆえの簡潔な書き置きに感化され、ゆかりも書き置きを作った。
これでヨスガが寝ていても起こさずに済むと思った。
夜になってゆかりはヨスガの部屋の前に立つ。
ヨスガの部屋の鍵を使って鍵を開けるという行為にドキドキしているのだ。
意を決して鍵を鍵穴に差し込んで回す。
カチャリと鍵が開いたのを確認し、ゆかりは室内に入った。
室内の明かりは消されており、ヨスガは眠っているようだった。
「お邪魔します」と小さな声で挨拶をして玄関をあがる。
何度かヨスガの部屋に入った事はあったが、忍び込むように入った事は無かったので、妙に心臓の音が煩かった。
まずは差し入れを収納しようと冷蔵庫を開ける。
ヨスガの冷蔵庫のスペースに入るだけ入れた。スポーツドリンクは常温のものも残しておいた。
差し入れをしまいおわったゆかりはリビングに向かう。
ヨスガには悪いと思いつつ、暗闇のままでは困るので照明のスイッチを素早く押して常夜灯に切り替えた。
ヨスガが眠っているのを確認し、ゆかりはベッドに近づく。
すると、気配を感じてかヨスガの口が動く。
「ゆえ、悪いな。ありがとう」
掠れた声でヨスガが口にする。
ゆかりは、間違えるのは当たり前だと思った。
そもそもヨスガの部屋の鍵を持っているのはゆえなのだから、と。
しかし、理性的な理解とは裏腹に、自分の心がチクチクと痛んでいるのをゆかりは自覚していた。
感情的に傷つく自分の心にゆかりは動揺する。
理由がわかっているのにどうして傷つく必要があるのかと自問自答しても、傷ついたと言う事実がより強く印象づけられて大きくなっていく。
気持ちを紛らわすかのように、ゆかりはヨスガの額に手を当てる。
普段は自分よりも冷たいヨスガの身体が、今日は熱く感じた。
額に当てた手をずらして髪を撫でる。
優しく撫で続けていると、ヨスガの口から「ゆかりさん?」と言葉が発せられた。
動揺したゆかりの手が止まる。
それをヨスガは肯定と認識したのか、感謝の言葉をゆかりに贈る。
その後は特に何か言うわけでもなくヨスガはまた眠りに入った。
ゆかりはヨスガが気づいてくれた、それだけでゆえと間違えられた悲しみが塗り潰されていくのを感じた。
けれども、塗り潰された悲しみが消えた訳では無かった。
チクチクとした痛みはそのままに、嬉しさが上塗りされていただけだった。
ヨスガが間違えてしまった理由はわかる。
ヨスガはゆかりをゆえと同じくらい大切に扱ってくれる。
ヨスガはゆかりとゆえに順位をつける事はしない。
わかっている。ゆかりはわかっている。
にも関わらず、ヨスガが最初に出した名前がゆえだった事に深く悲しみを抱いていた。
ヨスガの真ん中にはゆえがいる。
ゆかりはこの一年、何度もヨスガの背中を押し、支えたと自負している。
それでもゆかりはヨスガの真ん中に居られないのだと思った。
それと同時に、自身の中にそんな押しつけがましい感情がある事に気づき、ゆかりは嫌悪した。
自身の醜い感情が伝播するのを恐れてゆかりは逃げるようにヨスガの部屋を後にした。自分の分の書き置きはポケットに突っ込んだ。
外に出たゆかりは部屋に帰るでもなく学校の方へ歩いていた。
休日の夜でも図書館が開いている日はある。司書の先生の気まぐれだ。
ゆかりはそれに賭けて傘も持たずに通学路を歩いた。
図書館は開いていなかった。
ゆかりが帰ろうと歩き出すと雪が降り始めた。
瞬間的に強く降る予報だったので、ゆかりは屋根のある場所を探し、いつもの屋根付きベンチに辿り着いた。
ヨスガとの思い出が詰まった、図書館の次に特別な場所だ。
雪は強くなるが、風は吹かなかったお陰でベンチの屋根はその役割を十分に果たしている。
ぼんやりと積もっていく雪を眺めながら、ゆかりは不意に青井の言葉を思い出す。
ゆかりの中で芽生えた『名前が付けられないモノ』。いや、意識して目を逸らしていたモノ。
ゆえを差し置いてヨスガの真ん中にいたいと少しでも思ってしまった。
もう目を逸らせなかった。
目を逸らし続けたゆかりの初恋は、とっくのとうに視界を覆うほどに大きくなっていた。
降り積もる雪は静寂を際立たせる。
ゆかりだけが座るにはこのベンチは大きく、ゆかりがひとりぼっちである事をより強く心に刻みつけていく。
明日からどうしたら良いのだろう、とゆかりは考えていた。
ヨスガにもゆえにも顔を合わせにくかった。
きっと二人は今日の行き違いにしっかり気づいてしまい、謝るだろう。
それがとても嫌だった。
何より、ヨスガへの感情に名前を付けてしまった。
もう、今までのようにはいかなくなってしまうのかもしれない、と想像して涙が零れそうになる。
「帰らなくちゃ」
雪が止み、ゆかりがベンチから立ち上がる。
積もったばかりの雪はゆかりの足を優しく包み、転ぶ事無く部屋まで辿り着いた。
暖房を切っていた部屋は外と大差無いくらいに冷え込んでいた。
「くしゅん」
ゆかりのくしゃみが小さく部屋に響いた。
人物紹介
結川ゆかり:ヨスガの事が好き。




