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一年生十一月:図書館の天使①

 残念な事にゆえの懸念は当たってしまった。

 文化祭を終えて通常の授業が再開された火曜日、ヨスガの下には何人かの男子が訪ねてきていた。

 男子達は示し合わせたかのように「図書館の天使を知らないか?」とヨスガに訊ねる。

 ヨスガは当然図書館の天使と呼ばれている者が何者なのかも把握しているが、知らないと突っぱねた。

 ヨスガの下に現れる以上、ゆえとの関係も知っている訳で、しつこい男子には作品の関係者だと勘ぐられて追求される。

 授業再開早々にヨスガはげんなりとしていた。

「お前も災難だな」

 クラスメイトの氷室ひむろが労う。

「まぁ、事前にゆえがモデルの女性について質問攻めされたって言ってたから覚悟はできてたよ。それはそれとして、図書館の天使なんて呼ばれ方してるのか」

 机に突っ伏しながらヨスガが応える。

「あー、お前は知らないのか。それだけじゃこんな騒ぎにならねぇって」

「他にもなんかあるのかよ」

 嫌な予感を抱きつつも、ヨスガは氷室ひむろの言葉に耳を傾ける。

 氷室ひむろは周囲を見渡してから声のトーンを落として話し出す。

「端的に言えば後夜祭の後に古淵こぶちさんの描いた絵のモデルっぽい人物が写った写真が校内のチャットに流れた」

「は?」

 ヨスガの表情が途端に険しくなる。

「落ち着け。変に反応するとまた噂が立つ。写真自体は図書館のフリーマーケットの準備をしている写真の背後に映り込んだだけで、めちゃくちゃ画質は悪い。

 なんとなく背丈と服の色がわかる程度だ。誰かを特定する事なんてできねぇよ。意味はあまり無いだろうけど、騒ぎになって元の写真も削除されてるしな」

 氷室ひむろの捕捉を聞いて、ヨスガは冷静さを取り戻す。

「お前の取り乱し方を見ればまぁなんとなく察するよ。協力できる事は無いだろうけれど、噂の状況に変化があったら教えるよ」

 氷室ひむろは訳知り顔でヨスガの肩を叩く。

「あぁ、悪いな、ありがとう」

「良いんだよ。ヨスガには気兼ねなくキーパーやってもらわないと困るからな」

 氷室ひむろはヨスガの感謝を笑い飛ばして自分の席に戻っていった。


 図書館の天使の噂はゆえとゆかりの耳にも届いていた。

 ゆかりの耳にも届いていたのはヨスガにとっては誤算だった。

 文化祭準備期間中に仲良くなったクラスメイトから、図書館の噂として教えて貰ったようだった。

 ヨスガはせめてゆかりの迷惑にならないようにと祈りながら授業を受けていた。


 文化祭直後でヨスガ以外の部員も弛緩した空気を流しており、今日の練習はレクリエーション色の強いメニューを行って終わった。

 ヨスガは久しぶりに練習後に図書館に向かう。

 何事も無くゆかりがいつもの席で本を読んでいる事を祈っていた。

 そんな事が起こる訳も無く、図書館はヨスガが入学してから一番混雑していた。

 棚から棚へ移動して本を探す素振りを見せる生徒ならまだ良い方で、図書館という場を考えずにウロウロしながら話す生徒もいる。

 机に座っている生徒はそわそわしながらもさすがに勉強や読書をしていた。

 ヨスガはこの光景を見て自分の腹の辺りから黒々としたものが湧き上がるのを感じる。

 不愉快だった。不愉快で仕方が無かった。

 自分とゆかりだけの場所だなんて思い上がりをヨスガはしない。

 それでも、自分にとって大切な場所が踏みにじられるているようにヨスガは感じた。

 普段ゆかりが座っている席に目を向けてもゆかりはそこには居なかった。

 真っ黒な感情のまま途方に暮れて立ち止まっていると、図書館の奥から司書の先生が近づいてきた。

「手伝ってもらっていい?」とヨスガに声をかけ、貸し出しカウンターの裏にある事務室に連れて行かれる。

 事務室にヨスガが入ると、見慣れた顔と目が合う。

「あ、ヨスガくん。良かった。会えましたね」

 ゆかりだった。

 ヨスガは驚くと共に、ゆかりに出会えただけでほんの少しだけ気持ちが楽になった気がした。

「ゆいちゃん、この人は?」

 ヨスガが返事をする前に、ゆかりの影から女子が姿を見せた。

 その姿にヨスガは見覚えがあった。

 文化祭で吹奏楽部の発表を観た時にパーカッションとギターソロを担当して注目を浴びた女子生徒だった。

「あ、あおいちゃん。この人は縁堂えんどう よすがくんです。実はあかねちゃんからヨスガくんの話を聞く前からお友達でした」

 ゆかりがあおいと呼ばれた女子生徒にヨスガの事を紹介する。

「おぉ、君が例の。私はあおいはると言います。

 青い井戸に季節の春で青井あおいはるです。ゆいちゃんにはあおいちゃんと呼ばれ、吹奏楽部ではアオハルと呼ばれています。

 縁堂えんどう君がゆいちゃんに提案してくれたお陰で、部活以外はここでしばらく過ごす事にしました。よろしくお願いします」

 見覚えがあるとは言え初対面の青井あおいに戸惑いつつも、ヨスガは頭を下げながら挨拶をする。

「すでに知られているようでちょっと気恥ずかしいけど、縁堂えんどう縁です。ゆかりさんとは図書館で会って、そこから仲良くさせてもらっています。

 あと、パーカッションもギターもかっこよかったです。よろしくお願いします」

 友達の友達の異性と言うなんとも言えない距離感にヨスガは丁寧な口調を心がける。

「ご丁寧にどうも。演奏も楽しんでいただけたなら良かったです。というか、よくよく見たら、演奏会の時にゆいちゃんの隣にいましたよね。ふーん、なるほど」

 青井あおいはゆかりの方を向く、ゆかりは少しだけ目線を逸らす。

「ふーーん、なるほど」

「なんですか?あおいちゃん」

 露骨にゆかりを見つめる青井あおいに、ゆかりが観念したかのように訊ねる。

「いや、一人で観に行きますね、って笑顔で言ってくれてたなぁって思い出しただけですよぉ。一緒に回れて良かったね」

 ゆかりの肩を叩きながら青井あおいはゆかりを祝福した。

「それは、まぁ、はい」

 ゆかりはバツが悪そうに頬を掻く。

 普段、ヨスガの前では見せないゆかりのやり取りが新鮮だった。

「興味深そうに見ないでくださいよ」

 八つ当たり気味にゆかりがヨスガを睨む。

 その姿にヨスガの頬も思わず緩む。

「不本意ですけれど、笑ってくれたならまぁ良いです」

 拗ねたフリをしながら、ゆかりはヨスガの眉間の皺が取れた事に安堵した。

 そして、青井あおいが面白そうにゆかりの演技を観察している視線も感じた。

「ゆいちゃんがあかねちゃんに出会って早々脈絡無く、縁堂えんどう君以外のゴールキーパーの人が教えに来た時の態度をフォローした理由がわかっちゃったな」

「ちょっと待って今はそれ言わないで」

 ゆかりが慌てて青井あおいの口を塞ごうとする。口調も砕けたものになっていた。

「なんでそんな直球に……。わざわざ言わなくても良かったのに」

 ヨスガはそんなゆかりの変化にも気づかず、自身の口から漏れてしまった苦言に後悔する。

 ゆかりはその姿を見てほんの少しだけ胸が苦しくなる。

「なるほど、ごめんねゆいちゃん」

 青井あおいは自己完結してゆかりに詫びる。

 ヨスガは自分の態度が空気を悪くしていると感じて居心地が悪くなる。

「ヨスガくんはあかねちゃんを知らないから悪い方に考えちゃうんですよ。わたしだってあかねちゃんなら逆上しないで理解してくれるってわかっているからヨスガくんの言葉を伝えたんですよ。だから、この話はおしまいです。せっかく来たんですからのんびりしましょう」

 ゆかりが諭すようにヨスガに語りかける。

縁堂えんどう君、私もあかねちゃんはちゃんと人の話を聞ける人だって言っておきますね」

 青井あおいからも念押しされた。

 ヨスガも首を縦に振り、後悔を飲み込んだ。

「というかそもそも、同じ時間帯に松井まついさん達のお手伝いをしていたなら、あかねちゃんの事も知っているんじゃないんですか?」

 ゆかりが今さらのようにヨスガに疑問を投げかける。

「いや、顔は覚えてる人もいるけど、名前はゴールキーパーの人しか覚えてない」

 その返答にゆかりは呆れて天を仰いだ。

「なるほどなぁ」

 青井あおいもゆかりに同情の視線を向けながら呟いた。

「まぁ、ヨスガくんはそういう人でしたね。気を取り直して、のんびりしましょう」

 ゆかりが先導して事務室に設置されたスペースに向かう。

 パイプ椅子に長机が並んだスペースだった。

 ゆかりと青井あおいは隣同士で座り、ヨスガはゆかりの正面に座った。

「そう言えば司書の先生に頼まれ事があったはずだけどいなくなったな」

 ヨスガは事務所まで連れてこられた経緯を思い出す。

「あぁ、それは外向きの嘘です。先生は事情を知っているので、匿ってくれているんです。

 自室に帰っても良かったんですけど、今日はあおいちゃんも連れてきていたので、先生の厚意に甘えました」

 ヨスガは呼び出された理由や、ゆかりと青井あおいが共に事務室にいた理由に納得する。

「私はともかく、ゆいちゃんの方はいつ収束するだろうねぇ」

 青井あおいは頬杖をつきながら呟く。

 青井あおい青井あおいで、休み時間の度に教室の外からの視線に晒されて鬱陶しく思っていた。

「七十五日はかからないでしょうけど、早く落ち着くといいですねぇ」

 ゆかりも遠い目で応える。

 ヨスガは渦中の二人と状況が違うからと何も言えないでいる。

縁堂えんどう君は五組でのゆいちゃんの様子は気になりますか?」

 青井あおいが気を遣って投げかけた話題に食いつくのはヨスガではなくゆかりだった。

「それはちょっと、恥ずかしいというか、なんというか」

「だよねぇ、わかる。クラスと友達と部活、全部で別人の様に振る舞っているわけじゃないけれど、接し方は違うからしんどいよね」

 青井あおいの言葉にヨスガは心の中で同意した。

 クラスメイトの氷室ひむろとはかなり打ち解けたとは思っているが、それでも部活の場で学校生活の話が引き合いに出されるのはまだしんどかった。

「まぁゆいちゃんは帰宅部だし、文化祭の準備で話すようになるまでは皆と壁がある孤高の存在だったからこういうのは初めてなんじゃない?」

 青井あおいからのゆかりの印象にヨスガは苦笑する。

 ゆかりはそれを見逃さずに机の下から抗議の蹴りを入れる。

「親しくなって、こんなに穏やかだけど子供っぽいところもあるとは思わなかったよね」

 足下の攻防を知ってか知らずか、青井あおいは今のゆかりの印象を話した。

「俺は本から仲良くなったから最初からよく話す印象だったけど、クラスで孤高の存在になっていたのも簡単に想像できるな」

 ヨスガの言葉にゆかりが今度は足をグリグリと踏みつける。体重をかけている訳では無いので全く痛くなかった。

「もう二人で会わないでくださいね」

 口を尖らせながらヨスガと青井あおいに文句を言う。

 図書館に入った時の真っ暗な感情はすっかりヨスガから霧散していた。

「でもそう考えると、ゆいちゃんなんてあだ名で呼んで仲良く話せるようになれてすごく嬉しいよ。

 可愛いし、背も高くてスタイル良いし、勉強も出来るし、スポーツも人並みに出来るし、そりゃあ高嶺の花にもなっちゃうよね。憧れている人もきっと居るよ」

「わたしもあおいちゃんとあかねちゃんと仲良くなれて嬉しいけど、褒めすぎです」

 青井あおいとヨスガに注目されるのが耐えられず、ゆかりはパイプイスの向きを変えてそっぽを向いた。

 ヨスガは、自分やゆえ、それに青井あおい達以外にもゆかりに目を付ける人間がいるという至極当たり前の事に気づかされて面白くない気分になっていた。

 霧散したはずの真っ暗な感情はあっという間にヨスガを飲み込んでしまう。

 夏まで友達と呼べる存在がヨスガとゆえだけだったゆかりが誰かの目に止まる可能性をヨスガは都合良く考えていなかった。

 そんな自分の身勝手さを自覚して、ヨスガは心の中で自嘲気味に笑う。

 何が無くとも、何も無ければゆえと同じ様にずっと一緒に過ごせる存在だとおこがましくも思っていたのだと自覚した。

 ゆかりは可愛い。ヨスガはずっと思っていた。それなのにずっとゆえと同じ様に共に居てくれると思っていた。自分自身が情けなかった。

「ヨスガくん」

 ゆかりの声でヨスガはハッとする。

 ヨスガが暗い思考に捕らわれていたのはほんの数秒だったが、その間にゆかりはヨスガに向き直り、声をかけていた。

「ごめんボーッとしてた」

 ヨスガは誤魔化すように事実を隠れ蓑に返事をする。

「今のヨスガくんはゆえさんじゃなくてもわかりますよ」

 ゆかりが見透かすように逃げ道を潰す。

 その上でゆかりは優しくヨスガに微笑みかける。

「ちょっと外すね」

 青井あおいは空気を読んでパイプイスから立ち上がる。

 ゆかりは「ありがとうございます」と礼を言って青井あおいを見送った。

「さて」

 ゆかりが立ち上がり、ヨスガの隣に移動する。

「最初に断言しますけど、わたしに寂しい思いをさせたのはヨスガくんだけなんですからね。

 その意味、ちゃんと理解していますか?」

 その言葉だけでヨスガは十分だった。

「理解、してる」

 黒々としたネガティブな感情は吹き飛ばされ、ゆかりの言葉に引き上げられていく。

「知らない人に好かれるよりも、ヨスガくんが笑ってくれる方がわたしはずっと嬉しいんですからね。あ、この事はあおいちゃんには言っちゃダメですよ」

 気恥ずかしさでおどけるいつものゆかりの調子に、ヨスガは胸が温かくなる。

「それと、ヨスガくんは優しすぎます。図書館の変貌ぶりに心を痛めてしまったのかもしれないですけれど、わたしは気にしていません。勉強している人がたくさんいるから、次のテストでどの学年も平均点が上がったら面白いな、とか思ったりするくらい気楽なんですよ?」

 ゆかりは心底気楽そうに、軽く聞こえるようにヨスガに語りかける。

 それから一呼吸置いて、ヨスガの手に指を絡める。

 フォークダンスの時よりも深く繋ぐ。

 そしてゆかりは口を開く。

「わたしは後夜祭の時に『ヨスガくんが思っているよりずっと、ヨスガくんとお話する時間を特別に思っている』と言いましたけど、訂正しないといけませんね」

 ゆかりがグッとヨスガの手を握る。


「ヨスガくんもこの場所をとてもとても大事に思ってくれていたんですね」


 ヨスガは黙って頷いた。

 言葉を発するには胸がいっぱいだった。

「優しすぎるヨスガくんにはまだまだ文句がありますけれど、わたしに負けないくらいこの場所が、この時間が大切なんだって感じられて嬉しかったです」

 ゆかりは強く握ってくるヨスガの手を、力の限り握り返して、もう片方の空いた手で優しく撫でた。

「泣くところだった」

 ヨスガがぽつりと言う。

「泣いてくださいよ」

 ゆかりはいつも通りの笑みを浮かべる。

「散々情けないところを見せてしまっても、カッコつけたいところはカッコつけたいんですよ」

 ヨスガも気楽な調子で言い返す。

「実際、次のテストの平均点上がると思います?」

「それ、本当に興味持ってたんだ。上がるなら毎回図書館の天使になるしかないね」

「わたしを学校の七不思議にでもするつもりですか。元気になったと思ったらこれなんですから」

 大袈裟にため息をつきながらゆかりがヨスガをなじる。

「ゆかりさん」

「なんですか?」

 ゆかりが楽しげに繋いだ手を振る。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 満足げにゆかりは笑った。


人物紹介

縁堂縁:ヨスガ。ゆかりとの時間が大切。

結川ゆかり:当事者なのに楽観的。

青井春:「なるほど」が口癖。

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