一年生四月:大雨②
寮の食堂は閑散としている。
普段なら混み合っている時間帯だが、大雨で各部活が早上がりになってピークが前にずれ込んだのだろう。
「お待たせしました」
結川が食堂の入り口でヨスガに声をかける。
二人ともジャージに着替えている。
寮内での服装の指定は特に無いが、大体の生徒は制服か学校指定のジャージか部活動のジャージで過ごしている。学年が上がるにつれて私服の生徒の割合が増えていくらしい。
「縁堂くんはいつもビニール袋を持っているんですか?」お盆を持って並んでいる間に結川が雑談を始める。
「そうだね、不意に降られても荷物を守れるようにいつも入れてる」
これはヨスガが両親を見て身につけた習慣だ。
ヨスガの両親はプロサッカーの試合を観に行く時に、いつも荷物を大きなビニール袋にまとめてから席の下に置いている。雨だけじゃなく、誰かが飲み物をこぼしても大丈夫なようにするための対策だ。
「用意周到ですね」
素直に感心している結川を見て、ヨスガはほんの少しだけ両親に感謝した。
感謝された両親は今週末静岡にいる。もちろんアウェイゲームの応援だ。
二人の食事が揃ったので席を探す。ヨスガがカレーライス、結川が鯖の味噌煮定食だ。
さすが私立と言うべきか、食堂の食事もバリエーションがある。
ヨスガにとって女子と二人きりでの食堂使用は幼馴染みを除けば初めてだ。
その幼馴染みと食事をした時に一年二組のヨスガのクラスメイトやチームメイトに見つかって面倒な気持ちになった事を思い出す。改めて図書館での自分の立ち回りに頭を抱える。
とはいえここまできて逃げるわけにもいかない。壁際のさらに奥の横並びの席へ結川を誘導していく。
横並びの席なら一緒に食事しているようには見えない可能性もある。それとは別に結川がヨスガに正面から食事をするところを見られずに済むという配慮もあった。
「誘っておいて何だけど、食べ終わってからゆっくり話そうか」
今さらになって結川の暴走を思い出し、冷めないうちに食べようとヨスガが誘導する。
「そうですね、わたしもそれが良いと思います」結川もそれに応じ、二人は手を合わせ、黙々とスプーンと箸を進めた。
「ごちそうさまでした」
ヨスガが手を合わせる。
結川はすでに食べ終わっており、食器も片付けている。
ヨスガは自分が早く食べる事で急がせないようにゆっくり食べていたが、それが裏目に出てしまった。次があるなら普通に食べようと思った。
結川は開いていた本を閉じ、顔を上げる。
ヨスガは片付けを済ませ、自分も緑茶を手にして結川の元へ戻る。
「お待たせしました」
「いえ、改めましてよろしくお願いします」結川はペコリと頭を下げる。
そこからは昨夜の再現だった。
「『行き交う人々』は個人的に最高傑作だと思っています。読み終わってからすぐに時系列を書き出してしまいました。普段は読後感に浸ってから気になるところを読み返したりするんですけど、もう無性に気になってしまいまして」
ヨスガがこれまでに読んだ愛坂恵太郎の作品を一つ一つ感想を言い合い、今が五作目でこれで最後だ。
ヨスガはほとんど喋っていないが、結川の語りはヨスガの読書記憶に寄り添ってくれるので置いてきぼりにならないし飽きない。
ヨスガが覚えていないところはすぐに捕捉をしてくれる。
それに声が良いとヨスガは思った。
ヨスガはすっかり結川の感想の虜になっていた。
インターネットで玉石混交の感想で玉を見つけて感心する事はあれど、こんなにも丁寧に語ってくれる人はいないだろう、とヨスガは思った。
不特定多数へ発信する事と、たった一人の聴衆のために話す事では当然勝手も違うが、彼女の語りに魅了されているヨスガにはそんな事は些事だった。
誰もが知っている宝箱を二人でひっそりと開けている感覚だった。
結川が語り終えると、ヨスガはついつい小さく拍手をしてしまった。
結川は肩を縮こまらせながら冷めた緑茶をグイッと飲み干した。
「ごめんなさい、わたしばっかり喋ってしまって」
先ほどまでの覇気はどこへやら。俯きながら謝罪する。
「そんなことないよ。とても興味深かったし面白かった。結川さんが丁寧に捕捉してくれたおかげでとてもわかりやすかったよ」
ヨスガは本心をそのまま口にしたが結川の顔は晴れない。
「縁堂くんがそう言ってくれて嬉しいです。わたし、いつも喋り過ぎちゃうんです。
はじめは思った事を相手に合わせて話す事ができなくて、同じ本を読んだ人と感動を分かち合う事ができなかったんです。だから、相手の理解度に合わせて、捕捉もしながら話すようになったんですけど、今度は知識のアピールのように捉えられてしまって、諦めてしまったんです。抑えようと思うと伝えきれていない気がしてきて口が重くなってしまいます。
きっとわたしには本を楽しむ事はできても、誰かと分かち合う才能がないのだと思っていました。
だから、縁堂くんに出会えてとても嬉しいんです。
インターネットで見知らぬ誰かに送るボトルメッセージじゃなくて、目の前の人と言葉を交わせる事がまたできて本当に嬉しいんです。
また、お誘いしても良いですか?」
話している内に結川の表情は柔らかくなっていき、最後にはヨスガの目を見て話すまでになった。
そんな結川をヨスガは優しく見つめ返す。普段なら恥ずかしがって目を逸らしている。
「もちろん。俺こそこんなに楽しい時間を共有できて嬉しかった。それに、君の大切を守ることができて良かった」
最後の言葉に結川は首をかしげるが、笑顔でヨスガに応えた。
こんな風に笑うんだ、とヨスガは出会って二日の読書仲間に思った。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。大きなビニール袋を常備している。
結川ゆかり:ご飯を食べるのも好き。




