一年生十一月:後夜祭①
一般参加した人々が校門を通って帰っていく。
二日間の文化祭は無事に終了し、生徒達は片付けに奔走する。
その後に控えた後夜祭に胸を躍らせる生徒も少なくない。
ヨスガとゆかりも一度解散し、それぞれのクラスの片付けを終えた。
クラス内のホームルームも終えて解散となったヨスガは速やかに教室を後にした。
後夜祭は校庭と体育館で同時に行われる。
校庭ではキャンプファイヤーと花火が用意されており、フォークダンスの曲がループして流れている。
体育館は有志のグループがステージでパフォーマンスをする傍ら、文化祭中に展示されていた作品達が集結していた。
ゆえも図書館メイドの絵画と共に体育館に居座っている。
ゆえの周囲にはかわるがわる一年一組のクラスメイトがやってきて溜まり場になっていた。
その周りに他のクラスの生徒も絵画のメイドに目を奪われていた。
ヨスガはその様子を遠目に見てから体育館を後にした。
携帯を取り出し、ゆかりに校庭で待ち合わせをする事を伝える。
ヨスガは校庭の中心に組まれた大きなやぐらを眺めながら人の少ない隅の方に歩いて行く。
校舎や体育館からも遠いベンチに腰かけながらぼんやりと喧噪に耳を傾ける。
長い一日だった。
ヨスガとゆかりは食堂の後にも出店を巡り、甘味を堪能していた。
ゆかりの健啖ぶりをヨスガは微笑ましく眺めていた。
その後は図書館に立ち寄り、本のフリーマーケットの催しに参加し、ゆかりは一時帰宅を必要とする程に買い込んだ。
ヨスガも荷物持ちに付き合い、ゆかりの部屋の前まで運んだ。
ヨスガが今日一日を振り返っていると、遠くから人影が近づいてくる。
校舎側の明かりが逆光になって表情はよく見えなかったが、人影はベンチに座るのがヨスガであると気づいた途端早足になって近づいてきた。
その様子からヨスガもその人影がゆかりだと気づいた。
ゆかりは昼間の装いにカーディガンを羽織っている。
夕暮れを過ぎた校庭はクラスTシャツで過ごすには気温が低すぎた。
「お待たせしました」
「お疲れ様。こんな校庭の外れで待ち合わせちゃってごめんね。のんびりできそうな場所が見当たらなくてさ」
ゆかりをヨスガが労いながら詫びる。
「いいえ、もうすぐキャンプファイヤーの点火ですし、花火もありますしね。わたしが校舎から出る時も人でごった返してました」
ゆかりが少し遅れた理由にヨスガは納得する。
ヨスガがベンチに腰かけた時よりもキャンプファイヤーのやぐらの周りに人が集まってきていた。
「夜中とは言わないけれど、これから花火もあるなんてすごいよなぁ」
時刻は十九時を回っている。これから騒々しくなるのが許されるのは、柏陽台高校が高台で住宅地から離れた立地である事が大きかった。
「打ち上げ花火があるわけでも無いですし、下の方には聞こえないのかもしれませんね」
「だよね。しっかし学校側が夜更かしの場を用意するってとんでもないなぁ」
「文化祭の高揚感のまま生徒達を野放しにするよりは、場を提供した方が結果的に安心だから、って噂は聞きました」
後夜祭開催の経緯について考察をしている間に、松明を持った代表者がやぐらに近づいていた。
点火の瞬間に炎の明かりとカメラのフラッシュが煌めいた。
やぐらを囲う生徒達の歓声が遠くから聞こえてくる。
「盛り上がってますね」
ゆかりがその様子を見て呟く。
「火も着いた事だし温まりに行く?」
人混みを嫌って校庭の外れで待ち合わせをしたヨスガだが、隣に座るゆかりを気遣い声をかける。
「いえ、まだ大丈夫ですよ。キャンプファイヤーにはまだ人がたくさんいますし、のんびりしましょう」
そう言うとゆかりは腰を浮かしてヨスガの方に拳一つ分近づいた。
「ヨスガくんって少しひんやりしてますよね。寒くないですか?」
「大丈夫。ゆかりさんの方が体温高いだけだと思うよ」
ゆかりの熱が接近している事をヨスガは肌で感じる。
十一月の夜にも関わらず上着を着ていないヨスガは、ゆかりのカーディガンの繊維のけば立ちを二の腕に感じてくすぐったくなった。
「寒そうな格好してると思うんですけれど。ブランケットも持ってきたので一緒に入りませんか?」
ゆかりは鞄からブランケットを取り出す。
肩を寄せ合えば二人が収まるほどの大きさだ。
ゆかりはさらにヨスガに近づき、問答無用でブランケットをかけた。
ヨスガの腕がよりゆかりと密着していく。
カーディガンのくすぐったさの先にあるゆかりの腕が確かな輪郭を持ってヨスガに主張してくる。
ゆかりと密着していない方の腕もブランケットに包まれ、ヨスガは温もりを感じた。
「あー、その、ありがとう」
ヨスガは言葉少なになる。
これまで隣に座って距離感が近かった事はあっても、ゆかりと意図的に身体を寄せ合う事は初めてだった。
「温かいですね」
ゆかりも言葉少なになる。
フォークダンスを踊るために生徒がキャンプファイヤーの周りに集まり出すのが遠目に見える。
同じ地面の延長線上にあるのに別世界のようだとヨスガは感じた。
ヨスガとゆかりは何も話さないままキャンプファイヤーの方を眺める。
ヨスガはこの沈黙も、ゆかりが与えてくれた温もりも心地よく感じていた。
「今日は誘ってくれてありがとうございました」
ゆかりがポツリと呟く。
「こちらこそ、一緒に色々回れて楽しかったよ」
「わたしの心配は杞憂でしたね。本当に誰もわたし達の事なんて気にせずに浮かれていました」
ゆかりは今日一日を振り返りながら笑う。
同じ部活のグループや女子の集団、ステージに立つ前にリハーサルをする生徒達、ゆかり達の様に人の少ない場所で時間を潰す人達でさえ文化祭の熱に浮かされているとゆかりは感じていた。
そして、たくさんの二人組の男女とすれ違っては小さな憧れを抱いていた。
仲睦まじい様子の二人やギクシャクとした二人、片方が空回りしている二人に振り回している二人。
思い返している内に(わたし達はどのように見られていたのだろう)と思い至る。
誰もが浮かれて気にしていないとわかっていても妄想してしまう。
良く思われていれば良いなぁ、と自分の中の妄想にあたりさわりの無い感想を抱いて一段落させた。
「最初だけちょっとビックリしたけどね」
ヨスガはゆえの母親がゆかりを呼び込んだ時を思い出し、苦笑する。
「ヨ、縁堂くんって、ゆかりさんにしてはずいぶん気さくな挨拶だったなぁ」
ヨスガはゆかりの取り繕いを掘り返してからかう。
「忘れてくださいよもう。いきなり呼ばれて内心焦っちゃったんです。ゆえさんの察しの良さはお母さん譲りなんですかね」
密着しているヨスガをゆかりが肩で小突く。
「かもね、ゆえから目が離せないから身につけた可能性もあるかもしれないけれど」
幼馴染みの傍若無人さをよく知るヨスガの言葉にゆかりは肩を揺らして笑った。
一通り笑った後、ゆかりはふぅ、と息を吐いて口を開く。
「素敵な二日間でした」
ゆかりの言葉にヨスガも頷く。
「クラスの小道具作りも、ゆえさんのお手伝いも、最初から参加して何かを作るって楽しいんだなぁって月並みな感想ですけど思いました」
ヨスガは嬉しそうにゆかりの言葉に耳を傾けていた。
「ヨスガくんも驚かす事ができたし、その、衣装が似合ってるって言ってくれたし、嬉しかったです。あ、恥ずかしがって離れないでください。ブランケットが落ちちゃいますよ」
ゆかりがグイグイと距離を詰め直す。肩を寄せ合った時の遠慮はすっかり無くなっていた。
「吹奏楽部の発表も楽しかったですし、ご飯もどれも美味しかったです。場の空気で美味しくなるっていう経験ができて良かったです。
図書館のフリーマーケットは宝の山でしたね。あ、荷物運びを手伝ってくれてありがとうございました。文化祭前でちょっと散らかってたので上げられなかったのは申し訳ないですけれど」
「いやいや、お気遣い無く。でもまぁ、ゆかりさんは自分の持てる重さを把握した方が良いかもね」
言葉が途切れないゆかりに満足しながら、ヨスガが控えめに指摘する。
ゆかりはえへへと頬を掻く。
「ヨスガくんに荷物持ちさせるつもりだった、って言ったらどうします?」
「いいや、あれは完全に俺の事は頭から抜けて買い漁ってたね」
ゆかりの思わせぶりな態度をヨスガは即座に切り捨てる。
ゆかりはその返答に満ち足りた気持ちになった。
「バレバレですか」
「なんやかんやもう半年以上の付き合いだしね」
出会ってから随分と時間が経ったとゆかりは思った。
そしてその時間の積み重ねに心が満たされているのを自覚する。
「もうすぐ今日が終わって、日常が戻ってくるんですね」
「名残惜しい?」
ゆかりの言葉にヨスガが反応する。
きっと、祭が終わる寂しさも初めてなのだろう、とヨスガは思った。
「いいえ、むしろまた図書館でヨスガくんと過ごせる日常が帰ってくるのが嬉しいなぁ、とふと思っています。
文化祭準備は楽しかったけれど、ヨスガくんとお話できなくて寂しかったんだなって、お祭の最後の最後になって気づきました」
予想外の返答にヨスガはドキリとする。
触れ合う肩を通じてゆかりはヨスガの動揺を見逃さなかった。
「どうしました?ヨスガくん」
少しだけヨスガに身体を預ける。
ヨスガの動揺がわかりやすく広がり、ゆかりは満足する。
「いきなりまっすぐに言葉をぶつけられてびっくりした」
取り繕うこともできずにヨスガが応える。
「いつもヨスガくんがわたしにしている事と同じですよ。似たような事は何度か言っていますけれど、わたし、ヨスガくんが思っているよりずっとあの時間を特別に思っていますからね」
嬉しそうにゆかりが語る。
ヨスガは自身の中から知らない感情が湧出するのを感じ、戸惑っている。
けれども悪いものでは無い事だけは確信していた。
「ここが暗がりで、ヨスガくんが正面にいなくて良かった」
ヨスガが自分の感情に翻弄されていると、ゆかりが呟いた。
「今、きっと変な顔しちゃってます。見せられません」
ゆかりが両手で自身の両頬を覆う。
ヨスガに傾けていた身体も元に戻す。
沈黙が流れる。
今度の沈黙はヨスガも少し居心地が悪かった。
何かの分岐点に立たされているような気分だった。
絶対的な正解も無ければ間違いも無い、小さな小さな分岐点。
これまでも、意識していなくても何度もそんな分岐点があったのかもしれない、とヨスガは思った。
いつもと変わらない調子で感謝を伝えても良いし、からかいながらじゃれあうようにゆかりの表情を暴いたってゆかりは少しだけ怒るフリをして許すだろうし、ヨスガが自己に湧き出た感情に名前をつけて行動したって良い。
考えても考えても、感情に答えは出ない。
解析できないものに名前はつけられない。
だからと言っていつもと同じ調子でゆかりに話しかけるのも違うような気がした。
ヨスガと会えない時間をゆかりは寂しいと言った。
その言葉が嬉しくてむず痒くて、それでいて、そんな思いをして欲しくないとヨスガは思った。
ヨスガはゆかりがした様に軽く体重をかけて寄りかかる。
ゆかりはビクッとしてヨスガの方に身体を向ける。
「また、たくさん一緒に過ごそう。俺もゆかりさんと過ごす時間が好きだから」
いつもより湿っぽい声色になっている事にヨスガは気づかない。
ゆかりはヨスガの体重を感じながらスンと鼻をすすった。
もう一度鼻をすすると、ヨスガが心配そうに顔を覗き込もうとする。
「ダメです」
それをゆかりが必死に制する。
ヨスガは驚きつつも顔を引っ込める。
「ごめん。さすがに冷えちゃったのかなと思って」
申し訳なさそうにヨスガが謝る。
「違うんです。今、その、嬉しくて。涙が出ちゃって」
ゆかりの腕が動いているのをヨスガは感じる。
必死に涙を拭っていた。
「わたし、すっごく満ち足りています。
ヨスガくんの言葉が、声音が優しくて、二人で温かさを分かち合えて、満ち足りているんです。
お祭のどの時間よりも、静かで、穏やかなこの時間にとっても浮かれて、舞い上がっているんです」
ゆかりがポケットティッシュを取り出して音が出ないように控えめに鼻をかむ。
ヨスガは気を遣って少し席を離れようとすると、立ち上がるすんでのところでゆかりに腕を掴まれて止められた。
「ヨスガくんの紳士的なところは素敵だと思いますけれど、今はここにいてください」
時々強引な事はあれど、ゆかりがここまでヨスガにわがままを言う事は無かった。
ヨスガはされるがままに席に座り直す。
ゆかりが落ち着くまでの間、ヨスガはゆかりに寄り添ったまま静かにフォークダンスの様子を眺めながら、ゆかりの事を考えていた。
「見苦しいところを見せてしまいましたね」
ゆかりは気まずそうにヨスガに謝る。
「あれくらいで見苦しいなんて言ってたら、俺の図書館覗き見からの情けない独白はどうなっちゃうんだって話になるよ」
自虐気味にヨスガは笑いながら言う。
声音はいつもの調子に戻っている。
ゆかりもヨスガの気遣いに笑顔になりながら「もう、もう一回泣かせるつもりですか?」と笑った。
「自虐しただけで泣かれても今度は困惑するって」
ヨスガは苦笑しながら言い返す。
「ゆかりさんが寂しいって言ってくれた時、嬉しかったけどそう思って欲しくないなって思った。だから、またたくさん一緒に過ごそうって言ったんだ」
ゆかりの涙で中断されたヨスガの心境を吐露する。
ゆかりはヨスガの言葉に目を丸くした。
「ヨスガくんはわたしが悲しむのは嫌なんですか?」
「当たり前だよ」
ヨスガが即答するとゆかりはまた動揺する。
「ヨスガくんは寂しくなかったですか?」
ゆかりは話を逸らすようにヨスガのこの一ヶ月の心境を訊ねる。
ヨスガは難しい顔をして「ごめん、その分サッカーに没頭してて寂しいと思う事は無かった」と言った。
その返答にゆかりは不満を主張するためにヨスガに寄りかかる。
「こういう時は寂しいって言ってくださいよ。正直なのは良いですけれど」
頬を膨らませながらヨスガを責める。
「俺は寂しいと言うよりは、文化祭が終わったらまたゆかりさんとの時間が増えるだろうなって楽しみには思ってたよ。
文化祭準備期間はゆかりさんも青春を謳歌しているだろうなと思ってたから何も心配してなかった」
ヨスガの弁解に、膨れたゆかりの風船は萎み出す。
考え方の違いだと理解した上に、ゆかりと会える日を楽しみにしていた事が嬉しかった。
「最初からそう言ってくださいよ」
ゆかりは照れ隠しにさらに肘でヨスガの事を押す。
ヨスガもされるがままにゆかりの体重と温もりを享受する。
すると、背後の方で甲高い声が聞こえた。
ヨスガもゆかりも突然の事にビクリとして顔を見合わせる。
ブランケットを寄り添いながら分け合っていたのもあって、二人の想像以上に顔の距離が近くて赤面した。
「今のなんだろう」
ヨスガがおそるおそる暗がりの方に耳を傾けると、小さな話し声やくぐもった声が聞こえてきた。
暗がりに目を凝らすと、男女の二人組が間隔を空けて何組も居た。
彼らはそれぞれ二人の世界に入って乳繰り合っていた。
ヨスガは彼らが自分達と同じく静かな場所を探して辿り着いたのだと察した。
そして、先ほどの声に気づくまでの間、ヨスガもまたゆかりと二人の世界に入っていた事に気づき、赤面する。
目の前のゆかりもまったく同じ様子でいた。ヨスガからは顔色はわからなかったが、触れ合う身体が熱くなっているように感じた。
一度カップル達の存在に気づくと、そこから発せられるあらゆる音が、スピーカーから流れ続けているフォークダンスの曲よりも気になってしまう。
「あー、その、移動しようか?」
気まずそうにヨスガが提案する。
ゆかりはコクコクと頷きブランケットをヨスガから受け取り速やかに撤収する。
逃げるように二人は校庭を後にした。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。ゆかりとの時間が戻ってくるのが楽しみ。
結川ゆかり:ヨスガとの時間が特別。




