一年生十月:ヨスガの昇格
時は流れて十月の半ばに入った。
ゆえがゆかりを呼び出した理由はヨスガの耳に届く事は無く日々が過ぎていった。
ヨスガがゆかりに訊ねてみても口止めされているからと教えてくれない。
それだけでなく、ゆえが本格的に絵を描くようになって、ヨスガと時間を共にする機会も減った。
なぜかゆかりもゆえと行動を共にしており、この何週間かヨスガは一人でいる事が多かった。
体育祭のお疲れ様会も有耶無耶になっていた。文化祭とまとめてお疲れ様会をしようかとヨスガは思案している。
ヨスガ一人の時間が増えたからと言って暇な訳でも無く、文化祭の準備に駆り出されたり部活に精を出していた。
サッカー部は年末年始まで続くトーナメントを敗退し、三年生が引退した。
世代交代のタイミングでヨスガの立ち位置にも変化が起きた。
これまでヨスガは序列としては最下位のゴールキーパー、A、B、Cとチーム分けしたらCチームの控えだった。
しかし、新チームになる際に合計六人いるゴールキーパーの中で一年生と二年生を一人ずつ飛び越えてBチームに上がった。
今日はBチームとしての初陣となる練習試合だった。
「ようやく上がってきたなぁ、ヨスガ」
試合の準備に勤しむ氷室がヨスガに声をかける。
「むしろお前はなんでBにいるんだよ。調子悪いのか?」
ヨスガが不思議そうに訊ねる。
氷室は一年生ながら入学早々Aチームで練習していた。上級生からレギュラーを奪い取る事はできなかったが、一年生大会では大活躍していた。
新チームになれば真っ先にレギュラーになる一年生の一人だとヨスガは思っていた。
「まぁちょっとワガママを通して貰ったんだよ」
氷室の返答にヨスガが首を傾げる。
「お前が上がってきたから心細いかもと思ってな」
氷室の言葉にヨスガが「なんだそれ」と苦笑する。
「お、必要無かったか?」
氷室も笑いながら聞き返す。
「いや、正直助かる。センターバックだしな」
ヨスガは正直に応える。
氷室と試合に出るのは初めてではあるが、それでもこの部活の中で一番気楽な相手だった。
「だろ?しっかし急に伸びたと言うか、元々の実力を発揮できるようになったと言うか。実際きっかけとかあるのか?」
氷室が試合前の雑談がてら、ヨスガの昇格について訊ねる。
ヨスガはゆかりに激励された事を思い出したが、それは黙っている事にした。
それと同時に、技術的な進歩よりも真っ先にそれを思い出すのかと心の中で苦笑した。
「そうだなぁ、女子サッカー部のキーパーにトレーニングを教えてるのが結構大きいかもしれない」
ヨスガは技術的な面で思い当たる理由の中で一番心当たりのある出来事を挙げる。
「ほーん、なんで?」
「単純に人に教える事で自分にも学びがある、って感じかな。これまでだって中学時代の後輩に教える機会はあったけど、そいつらは元からサッカーをやってたからやり方を教えるだけで形になってたんだよな。今相手にしてる女子キーパーは未経験から始めた部員もいるから、自分も改めてトレーニングの目的とか考えるきっかけになった。
まぁ、そんなの皆当たり前にやってるんだろうけれど、俺は人に教えるってなってからようやく深く考えるようになったんだ。多分、それが要因として大きい」
ヨスガの自己分析に氷室がほう、と感心する。
「ふぅん、きっかけ一つでこうも変わるか。すげぇな。でもまぁもったいねぇな」
「最後に水差すなよ。それは俺もわかってる」
顔を顰めながらヨスガは言い返す。
「わりぃわりぃ。でもまぁ、ヨスガのキーパースクールで結構伸びてる女子もいるって話だし、すげぇって尊敬はしてるよ」
氷室は軽く謝りながらヨスガの話を続ける。
「松井の事だろ?彼女は初心者組だけど熱心に聞いてくるからどんどん進歩してるよ。松井のお陰でトレーニングの内容を勉強し直そうと思ったところもあるからあの前向きさには感謝だな。背も高いし、三年生までにはレギュラー入りできたら良いよなぁ」
ヨスガは松井の真面目さについて氷室に語る。
語っている間に体育祭での出来事を思い出し、なんともいえない気持ちになる。
「お前、そんなに評価してたり親身になってるクセに体育祭で何も気づかなかったのかよ」
氷室も同じ事を考えており、呆れた顔をしている。
「言わないでくれ、もう何度か釘を刺されている」
ヨスガは額に手を当てながら応える。
結局あの後から松井の態度が変化する事もなく、ヨスガはいつも通り練習の面倒を見ていた。
松井もヨスガも自分から踏み込む勇気が無いまま平行線を引いている。
正直なところ、ヨスガにはそれがありがたかった。
ヨスガが昇格した事もあって、女子のゴールキーパーの練習を見る機会が無くなると知った時、松井は少しだけ寂しそうにしていたが、ヨスガは当然気づいていない。
「まぁ、これを機にもうちょっと身内と認めた人間以外の思考も気にかけてみるんだな」
「耳の痛い事を言うな」
「古淵さんとか九組の照島とか、後は五組の女子?とかには砕けて接してるんだからもうちょっと同じ様に接する事が出来る人が増えればその鈍感なハートも真人間に近づくんじゃねぇか?」
氷室の的確な名指しにヨスガは感心する。
実際、この高校でヨスガが遠慮無く話せるのはこの三人しかいない。
次点で何かと声をかけてくれる氷室だ。
「氷室とはまぁまぁ砕けて話してると思うんだけどな」
ヨスガは思ったままを氷室に言う。
「それならもうちょっと自分の事を話すんだな」
氷室の返事にヨスガは考え込んで天を仰ぐ。
「ま、別に今すぐじゃなくても良いさ。
まずは今日の試合で完封しようや」
氷室は会話を打ち切り、コートの方へ向かった。
ヨスガもそれに続いた。
氷室と共に臨んだ練習試合は無事に無失点で終える事ができた。
氷室はヨスガの想像以上にやりやすい相手だった。
氷室の身体の使い方一つで相手のシュートが簡単に止められるシュートになる。
もちろん、たった一人でそんな神がかった芸当ができる訳では無い。
そのワンシーンの前に周りを使い、追い込み、最後に立ちはだかる。
その統率力がゴール前の支配者のようにヨスガは感じた。
「いやぁ上手くいったわ」
氷室が上機嫌にヨスガに語る。
ヨスガは初陣を無事終えて安堵の感情の方が大きい。
「Aチームの統率はすげぇなぁって思ったよ」
ヨスガが素直に感想を言うと、「いや、上じゃあんまできてない」と氷室が返した。
「先輩には先輩のやり方があるからな。俺の指示を信じ切って実行してくれるヤツがいて成立するやり方だから、先輩の信頼を勝ち取れない内は俺は選ばれないだろうな」
氷室の言にヨスガは納得した。
ヨスガは中学時代の陽太の統率を思い出していた。
陽太は実力も信頼も勝ち取っていた。
その陽太の指示を周囲はしっかりと聞き入れ強固な陣を敷いていた。
外部からのユース生として、元々あるコミュニティの中に飛び込んだ陽太は信頼を勝ち取るところから戦いを始めなければいけない。
今の氷室と同じく、まだ苦戦しているのだろうか、とヨスガは思った。
「まぁ他にも一年生がレギュラーを乗っ取るってのも手段としてあるがな」
氷室の物騒ながらも真っ当なアイデアにヨスガは笑う。
「先輩もいるんだから場所は選んで発言してくれよ。
アイデアとして悪くは無いだろうけどさ」
声を潜めながらヨスガが苦言を呈す。
「だいじょうぶだいじょうぶ。聞こえてねぇよ。お前もちゃんと上がってこいよ?照島と組んでたのもあってやっぱり一番やりやすいわ」
氷室は中学時代のヨスガの事を引き合いに出して発破をかける。
「善処するよ」
ヨスガはそれを聞き流した。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。昇格した。
氷室:降格してきた。




