一年生九月:ゆえのお見舞い③
シャワーを浴びてきたゆえは、半袖のTシャツにドルフィンパンツの軽装でヨスガの下に戻ってきた。
手にはドライヤーを持っている。
「乾かして」
ゆえはドライヤーのプラグをコンセントに差し込み、ヨスガに手渡してからクッションに座った。
「熱かったり、湿ってたらちゃんと言えよ?」
ヨスガはドライヤーの風量を確認し、ゆえの長い髪に温風を当てる。
乾かされる髪から流れるシャンプーの香りがヨスガの鼻孔を刺激する。
「熱くないか?」
ヨスガがドライヤーの音に負けないように少し大きな声でゆえに訊く。
耳に近づいて話すような同じ轍は踏まない。
ゆえは言葉では返さず、親指を立てて肯定していた。
ゆえの髪を弄びながら、しばらくヨスガはドライヤーを続けた。
「ほら、仕上げは自分でやりな」
ゆえの髪をあらかた乾かしてヨスガがドライヤーを手渡す。
「じゃあ肩揉んでて」
ヨスガには次の仕事が与えられた。
ゆえがドライヤーのスイッチを入れて髪を冷風に当てる。
ヨスガはゆえの肩に触れる。
柔らかくはあるが、文化祭に向けて机に向かっていたからか、固さも感じた。
ヨスガはゆえの肩を掴み、肩甲骨に沿って親指で押していく。
ゆえが気持ちよさそうな声を出すが、ドライヤーの音にかき消されてヨスガにはハッキリと聞こえなかった。
ゆえがドライヤーを終えると、「ありがと」とヨスガに礼を言う。
「肩の周りはしっかり回しとくと良いぞ」
ヨスガは簡単なストレッチを実演しながらゆえにアドバイスをした。
ゆえもマネしてストレッチをする。ヨスガはその様子を視界に映らないようにした。
「この後はもう帰っちゃうの?」
ゆえが訊ねる。
「ゆえがちゃんと寝るまではいるつもりだよ。ご飯食べて甘えて元気になったと思ってまた夜通し作業されたら来た意味無いからな」
日曜なのに珍しく明日は部活も無いしな、とヨスガは続ける。
「そっか。わかった」
ゆえは声を抑えながら返事をする。
「喜ぶならちゃんと喜べよ」
ヨスガがすかさず指摘する。
「ゆえも大概わかりやすいよな」
ヨスガがゆえにお返しだと言わんばかりにからかう。
ゆえがむくれる。
「まだ時間も早いしもうちょっとゆっくりしてもいいよ。上着も着な」
ヨスガは薄着でいるゆえに、室内にかけられている上着を渡す。
「ううん、掛け布団に包まる」
ゆえはそれを拒否し、掛け布団をベッドがら引っ張り出す。
その後、ヨスガにゆえが使っていたクッションに座るように頼む。
「膝枕して。ヨスガは好きにしてて良いから」
「別にいいけど、床で横になるなよ。ベッドでならいいよ」
ヨスガは尻に敷いたクッションを持ち、ベッドに腰かける。先ほどと同じ様に、壁を背もたれにして、クッションは膝の上に乗せた。
「わかった」
ゆえはヨスガの太ももに頭を乗せて仰向けに寝転ぶ。
クッションを挟んでいるのでヨスガの太ももには直接触れていない。
ヨスガはゆえの頭の重さを脚に感じながら、読みかけの小説を手に取る。
読書に耽るヨスガを、ゆえはジッと見つめる。
三十分ほどしてヨスガが読みかけの小説を閉じて伸びをする。
背もたれが壁だったのもあって、普段よりパキパキと音がなったようにヨスガは感じた。
「読み終わったの?」
ゆえが声をかける。
「うん。元々あと少しのやつを持ってきてたからな。
ずっと見てたけど、気になる作品だったか?」
先ほどゆえにレクチャーしたストレッチで肩甲骨を動かしながらヨスガは言う。
「ううん、ヨスガを見てた」
ゆえの返答に「物好きだな」とヨスガは返す。
「私にだってヨスガの好きな仕草があるんだよ。ヨスガと同じ」
ゆえはヨスガに微笑みかける。
ヨスガは頬を掻きながらそっぽを向く。
「ヨスガが没頭してるとこ、好き。自分だけの世界に入ってるのがとても良い」
照れるヨスガにゆえが追撃をする。
「そんなに見たきゃゆえも図書館来れば良いのに」
ヨスガが話題を逸らす。
これまで、ヨスガとゆかりはゆえを図書館に何度も誘ったが、滅多に付き合う事は無かった。
「図書館くらいゆかりと二人の方が良いでしょ」
ゆえの返答にヨスガはゆえのおでこを軽くつつく。
「誘ってるんだから素直に来れば良いんだよ。ゆえが興味ない話題の時は誘ってないだろ」
「それはそれでちょっと嫉妬する」
「どっちだよ」
ヨスガは思わず笑った。
愛らしい幼馴染みだと改めて思った。
「次は行く」
少しムキになりながら、ゆえは宣言する。
「絶対だぞ」とヨスガは笑いながらゆえの頭を撫でた。
会話も無く、何をするでもなく、時間はさらに進んでいく。
「ふぁ……」
ゆえがあくびをする。
「そろそろ寝るか」
ヨスガが声をかける。
「んーん」
ゆえがまだ起きると駄々をこねる。
「ダメ。寝れる時に寝るぞ」
ヨスガがゆえの頭をどけて立ち上がろうとする。
「や。ヨスガ帰っちゃう」
ゆえが抵抗しながら言う。
それに対し、ヨスガはため息に聞こえないように一息つく。
「わかったよ。寝ても一緒にいるからちゃんと寝るぞ」
抵抗するゆえの膝と腰に手を通し、優しく抱き上げる。
そのまま立ち上がり、ゆえをベッドに寝かせる。
「王子様」
ゆえがポツリと呟く。
「なんだよお姫様」
ヨスガが聞き返す。
「さっきはひどいこと言ってごめん」
ゆえはヨスガに囁かれた時の事を詫びた。
ヨスガは笑った。
「そんな事で傷つかないよ。俺もお前も悪ノリが過ぎただけ。それだけだよ」
「でもヨスガは私を傷つけたと思ってる」
ゆえは納得がいかない様子でヨスガの胸中を透かした。
「お互い様だろ。ゆえだって悪いと思ったから謝ったんだ。だからもうおしまい」
ヨスガがゆえの手を握り、小指同士を絡めた。
「これで仲直りな。子供っぽいけど」
ヨスガが強引に仲直りを宣言する。
ゆえもそれに応じる。
「うんわかった。仲直り」
「よし、じゃあ寝よう。電気消すぞ」
ヨスガがリビングの照明のリモコンに手を伸ばす。
「ヨスガも入ってから消そう」
ゆえが掛け布団を開いてヨスガを誘う。
「そんなスペース無いだろ。クッションだけ借りて床で寝るよ」
「だめ、サッカー選手なんだからちゃんと寝て」
ヨスガをイスにし、膝枕にした事を棚に上げてゆえはヨスガに要求する。
添い寝を譲らないゆえのまぶたが時間が進むのと共に重くなっていく。
もう一息だ、とヨスガは思った。
「後で入るから目を閉じてな」
ヨスガは片手をゆえの目元に置く。
「や。ぎゅってしたい」
声をとろけさせながらゆえが要求する。
もう頭が回っていない。
ヨスガはもう片方の手でゆえの手を握る。
「ここにいるから大丈夫だよ」
優しくゆえに声をかける。
「ゆっくり息を吸って、吐いて」
さらに深呼吸を促している内に、ゆえは規則正しい寝息を立て始めた。
ヨスガはホッと一息ついて、ゆえの目元に乗せていた手を離し、照明のリモコンを操作して常夜灯にする。
ヨスガは十五分ほど経ってから、握り続けていたゆえの手をそっと剥がす。
眠気が最高潮に達したゆえは眠るとなかなか起きない。
何も無くてもゆえが起きない事を確認して、ヨスガは身支度をする。
ふと、思い立ってヨスガは自分が着てきたジャケットをゆえの布団の上からかける。
袖はゆえの手に握らせてみる。
これで少しでも快眠になれば良いなと思いながら、ヨスガはゆえが中学時代に持ち出したスウェットを借りようと袖を通してみたが、当時よりさらに身長が伸びたヨスガには少しキツかった。
仕方が無いのでTシャツ一枚でヨスガは外に出た。
朝にはゆえの下に朝食を作りに行くつもりだったので、ゆえの部屋の鍵は借りていった。
時刻は二十二時を回っていて、秋風が薄着のヨスガを凍えさせる。
他の生徒に見られないように急いでエレベーターまで辿り着く。
エレベーターの扉が開くと女子生徒が一人乗っていた。
ヨスガは非常階段で降りれば良かったと後悔しながら、顔を見られないようにエレベーターに乗り込んだ。かえって不審な挙動だった。しかも半袖だ。
そんな不審者の唯一の幸運は、同乗した生徒がヨスガがここにいる理由を知っていた事だった。
「こんばんは、ヨスガくん」
ゆかりはヨスガの涼しげな格好を気に止めず挨拶をした。
ヨスガは声をかけられた事にビクッとしたが、声の主がゆかりだとわかると肩の力を抜いた。
「ゆかりさんか、良かった~。こんな夜中に女子階にいるの見られて終わったかと思ったよ」
ヨスガは大げさにため息をついて座り込む。
社会的にまだ生きる事ができそうだった。
「それは早計なのでは?話に聞いてたゆえさんのお見舞いにしては随分と長居しているようですし、まだわたしの口に戸を立てるための説明が必要じゃないですか?」
ゆかりはからかい半分、好奇心半分でヨスガをつついた。
「まったく、抜け目無いな。ゆかりさんは夜の散歩?付き合うからそこで話させてください」
ヨスガはため息まじりに提案する。
「えぇ、敷地内をのんびり歩こうかなと。ヨスガくんはその格好で寒くないですか?」
「いや、寒い。急いで上着を取ってくるからエントランスで待ってて」
そう言うとちょうどエレベーターがヨスガの部屋の階に止まった。
ヨスガは早足で部屋に戻り、上着を持ち出してエントランスに降りた。




