一年生九月:ゆえのお見舞い②
「ごちそうさまでした」
二人そろって手を合わせる。
我ながら良い再現度だったとヨスガは心の中で自画自賛する。
「食器洗ってるからゆっくりしてな。まだ横になるなよ?」
ヨスガが食器を持って立ち上がる。
ゆえは壁際のベッドに壁を背にして寄りかかり、足を伸ばしてヨスガを眺めている。
ヨスガがキッチンの方へ姿を消すと、ヨスガが見える位置に移動して観察を続ける。
ヨスガは視線を放置しながら片付けを続ける。
一通り片付けてリビングに戻るとゆえがぴとりとヨスガにくっついてきた。
「いすになって」
ゆえがそう言いながらヨスガの腕を引きベッドへ連れて行く。
ヨスガはされるがままについていく。
ヨスガは、ベッドに腰かけながら壁に寄りかかり、両足で円形のスペースができるようにあぐらをかく。
足の間のスペースにはクッションが敷かれている。
ゆえがそのスペースに腰をおろし、ヨスガに体重を預けながら収まった。
寄りかかってくるゆえのにおいと、ついさっきまでゆえが眠っていたベッドの残り香がヨスガの鼻腔の逃げ場を奪う。
ヨスガの身体前面に小さなゆえの身体がすっぽりと収まって、触覚からも理性を追い詰めていく。
否が応でも心拍数が上がる。
「ヨスガのドキドキ、感じる」
ゆえが脱力しながら呟く。
「そりゃあそうだろ」
ぶっきらぼうにヨスガが応える。
「始めたのはヨスガなのにね。あの時もドキドキしてた?」
ゆえがからかう。
ヨスガが初めてゆえのイスになったのは小学六年生の時だった。
冬の雨の日、いつも以上にひんやりとした図書室にはヨスガとゆえしか居なかった。
寒い室内で、思いつきでヨスガが湯たんぽ代わりにゆえを膝に乗せたのだ。
当時は今ほどの身長差も無かったのですっぽりとゆえが収まることは無かった。
「いや、あの時はめちゃくちゃ寒かったから温かい以外の感情は無かった。おい、無言でつねるなよ」
ヨスガの答えにゆえが抗議をする。
「温かくて、なんか気持ち良かったのは覚えてる」
ヨスガが付け加える。
「十二の時からむっつりすけべだったんだね」
ゆえはヨスガの顔を見ないまま言いたい放題だ。
「そういう気持ち良さじゃねぇよボケ」
ヨスガはゆえの頭をくしゃっと撫でる。
ゆえはその手を掴み、自身の頬に触れさせる。
触れさせた手にゆえは頬ずりをする。
ヨスガはされるがままでいる。
「ごめん、甘えていい?」
ゆえが今さらのように確認をする。
少しだけ気弱な言い方だとヨスガが思った。
「病人が気ぃ遣うなよ」
ヨスガは優しく笑いながらあたたかい声音でゆえに応え、ゆえに捕まっていない方の手でゆえを抱き寄せた。
「ん」
ゆえはされるがままにヨスガにさらに寄りかかる。
「ヨスガばなれしないといけないってわかってるんだけど、うまくいかない」
ゆえはヨスガの手をもてあそびながら呟く。
「初めての寮暮らしだしなぁ。知らない内に疲れも相当溜まってたんだろ。むしろよく秋まで体調崩さずに頑張ったな」
ヨスガは掴まれていない方の手でゆえの頭を撫でる。
幸福感からゆえが小さく震える。
「好き勝手やってるように見えて、気にしいだもんな。本当によく頑張ってるよ」
もう一度ヨスガがゆえを労う。
ゆえはさらにヨスガに寄りかかる。
ゆえの柔らかい温かさと、壁の無機質な冷たさにヨスガは挟み込まれる。
「でも、結局こういう時にヨスガに寄りかかっちゃう」
ゆえはゆかりの手を取れなかった事に一人反省してしまう。
「それはまぁ追々で良いんだよ。ゆえの譲れない線引きがあるんだろ。
ゆかりさんはその線が無くなるのをちゃんと待ってくれる人だよ」
ヨスガはゆえの髪を手ぐしで優しく梳きながらゆえを宥める。
「わかってる。ゆかりは待ってくれる」
ゆえもその点については同意見だったが、「ただ」と言葉を続ける。
「ゆかりは私達に心配させてくれない。
私達ばっかりゆかりのお世話になってる。
だから、もっと頼って欲しいって思ってる。
そしたら私も遠慮無く寄りかかれる」
ゆえの言葉に、ヨスガも納得していた。
ゆえは芸術鑑賞会の帰り道の出来事を思い出し、ヨスガは池袋での時間を思い出している。
二人がより強くゆかりを受け入れたきっかけになった出来事だ。
「確かに、すっかり打ち解けてはいると思うけれど、困り事を助ける事はあっても、悩みを打ち明けられた事とか無いよなぁ。ていうか、俺たち世話になりすぎなのでは」
「大丈夫、ゆかりは私がヨスガをからかうと嬉しそうにするからそれで代金は支払ってる」
ゆえが真顔で答えると、ヨスガは手ぐしにしていた手でゆえの頬を軽くつねった。
「今のつねってきたのだって、ゆかりに話したら満面の笑みになる」
ヨスガはため息をつく。
そして、体育祭の日に図書館でゆかりと交わしたやり取りを思い出す。
しかし、病人相手にする話でもないと記憶の引き出しに押し戻す。
「ゆかり、良い子だよね」
ヨスガの思考など知るよしも無くゆえはゆかりの話をする。
「ヨスガはゆかりと付き合いたいと思わないの?」
ゆえが畳みかける。
ヨスガは頭が痛くなるのを感じた。
ゆかりからはゆえと話せと言われ、ゆえからはゆかりをどう思っているのかと訊かれる。
「何言ってんだよ」
ヨスガは誤魔化した。
ゆかりと過ごした時間の穏やかさ、気遣い、何度か発生した身体的接触をヨスガは思い出す。
気にならない訳が無かった。
それと同時にゆえと過ごす時間も大切なものだった。
悪い男だ、と心の中で自分を嗤った。
「ゆかりならヨスガと一緒になっても良いなって」
ゆえはヨスガの誤魔化しに気づかないフリをして理由を述べる。
「そうなったらもうゆえのイスにもなれないな」
ヨスガが今の状況を引き合いに出して意地悪く反論する。
ゆえが頬ずりしているヨスガの手をギュッとつねる。
「わかってる」
ムスッとしながらゆえが言う。
「まぁ、俺だってゆえと同じだよ。ゆかりさん自身の事を俺達はまだ知らないんだ」
ヨスガがゆえを優しく撫でる。
ゆえはされるがままだ。
「それに、ゆえが俺以外を頼れるようになるまではそんな気も起きないよ」
我ながら卑怯だな、とヨスガは思った。
自分はゆえを選ばないと決めているクセに、この穏やかで優しい時間をまだ享受していたいと思っているのだ。
「私を選ぶ気もないくせに。ヨスガはずるい」
ゆえの責めにヨスガはただ黙っていた。
「いいよ。私もヨスガの恋人になったらヨスガの事しか考えなくなるってわかってるし」
ヨスガはそんな私を見たくないんだよね、とゆえは続けた。
体育祭の日にゆかりに漏らしてしまったヨスガの本音は、ヨスガが言葉にせずともゆえにはお見通しだった。
ゆえを撫でる手が止まる。ヨスガだってゆえにはお見通しだと確信していたが、いざ言葉にされると動揺してしまう。
「ヨスガはわかりやすい」
撫でるのを止めたヨスガの手を、ゆえは空いている手で握る。
「ヨスガと家族になりたかったな」
ゆえはヨスガの両手を自身の胸の前で交差するように導いた。
ヨスガはそのままゆえを抱きしめた。ゆえの柔らかな感触が腕全体に伝わった。
「家族だったら、血が繋がってたら、他に大切な人ができても特別なままでいられたのに」
ゆえは囁くように言葉を続け、そのまま黙りこんだ。
ヨスガも返答に窮している。
「なんちゃって。ヨスガと兄妹だったとしても、きっとヨスガは同じ事を思うよね。ヨスガは私が私のために頑張るところを見るのが好きだもんね」
ゆえは声音を戻して、おどけて話を続ける。
ヨスガは抱きしめる力を強めながら「そうだよ」と返す。
抱き寄せて近づいたゆえの耳がヨスガから発せられる空気の震えを受容し、ゆえは甘い感覚に身体を震わせる。
少しだけ息を整えて、ゆえはヨスガの腕を自分の身体から剥がす。
ヨスガも抵抗せずに手を離す。
ゆえはヨスガから離れ、身体を半回転させる。
先ほどまで自身が座っていたヨスガの足の間に腰を落とし、両足はヨスガの両脚の外側に下ろし、膝を立てた女の子座りのように座り込む。
ヨスガはゆえの胸元や脚から目を逸らす。
ゆえはヨスガの仕草を気に留めず、両手でヨスガの両頬を掴み、無理矢理目を合わせる。
「文化祭、期待してて。たまにはいいとこ見せないとね。
私が私のために描く絵、楽しみにしてて」
それはヨスガへの宣戦布告だった。
まだ体調は悪そうで、普段よりも元気は無いままだが、それは確かに宣戦布告だった。
そんなゆえを見て、ヨスガはニッと笑う。
我ながら単純だとヨスガは思った。
「ほんと、ヨスガはわかりやすい」
ゆえも薄く微笑んだ。
「嬉しいんだから別に良いだろ。ほら、まずは元気になるために寝な」
ヨスガはぶっきらぼうにゆえに返事をする。
「うん。お風呂も一緒に入る?」
ゆえがヨスガをからかう。
ヨスガは軽くゲンコツを落とそうとしたが、思い直して目の前にいるゆえの頭を抱き寄せた。
抱き寄せたゆえの耳元にヨスガは口を近づける。
「まだ体調悪そうだもんな。一人にするのは不安だし付き合おうか?」
ゆえはピクリと身動きした後に固まった。
その様子にヨスガは満足する。
「俺離れする前にそういうセクハラまがいのからかいもやめないとな」
そう言いながらヨスガはゆえの頭を離そうとしたら、正気に戻ったゆえがヨスガを突き飛ばした。
ヨスガは背中を壁に打ちつけた。
「いってぇ」
ヨスガが背中をさすりながら顔を上げてゆえを見やる。
「ふー、ふー」
ゆえは息を荒げながらヨスガを睨みつけている。
目は潤んでいて、片手を胸に当てて、もう片方の手で囁かれた方の耳を抑えている。
「ごめん、体調悪いのにふざけすぎた」
ヨスガは即座に後悔し、反省する。
「えっちへんたいばかあほすけべ」
ゆえが小学生のような罵倒を投げつける。
「ヨスガは自分の声が良い事を自覚した方がいい。本当にだめ」
もじもじとしながらゆえが言う。
普段、試合で声を枯らすヨスガ自身に自覚は無かったが、先日ゆかりを呼び捨てにした件を思い出す。
「悪い。気をつける」
「ふん」
ゆえが鼻を鳴らす。
「シャワー浴びてくるから待ってて」
ゆえが言い残して風呂場へ向かう。
ヨスガはそれを見送って「はぁ~~~」と大きく息を吐く。
一人になって冷静になる。
ゆえの心を傷つけてしまった後悔と、それと裏腹にゆえの柔らかな感触に反応してしまう自分自身を嫌悪していた。
可愛いと認識している幼馴染みと長時間共にして意識しないわけがない。
クッションをゆえとの間に挟んだおかげでゆえの身体に直接触れることは無かったが、自分の融通の利かない部分に嫌気が差した。
ヨスガは逃げ出したい気持ちだった。
そうしないのはゆえを傷つけてしまった事と、ちゃんと眠るまで見守らないといけないと思っていたからだ。
ヨスガはついさっきゆえにした行為を反省し、改めて後悔する。
無理矢理心を落ち込ませて気持ちを萎えさせるのは、ヨスガが思春期に入ってから何度も使っている方法だった。
「よし」
ヨスガは心身共に落ち着いたのを自覚する。
何が『よし』なのか、と自嘲する。
穏やかで温かい時間を壊さないために自分を傷つけるのがアホらしいと感じていた。
親友、幼馴染み。そんな名前の関係に変化が訪れるのなら、こんな馬鹿げた自傷行為も必要なくなるのだろうか。とヨスガは考える。
考えて、その思考にゆえの都合などどこにも無いことに気づいて棄却する。
ゆえとの関係以前に恋はまだ早いのかもしれない、とヨスガは思った。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。ゆえを甘やかす。
古淵ゆえ:ヨスガと家族になりたいと冗談を言う。




