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一年生九月:体育祭④

 やがて雨が止み、焼けるような夕焼けの光が談話室に差し込む。

 日差しがヨスガの顔に触れ、眩しさにヨスガが目を覚ます。

「おはようございます。ぐっすりでしたね」

 ゆかりが開いていた小説を閉じてヨスガに声をかける。

「うん、やっぱりゆかりさんの横だと安心感あるのかも。水族館でも寝ちゃったし」

 ヨスガの言葉に固めたばかりのゆかりの決心がグラリと揺れそうになる。

 心の中でヨスガに八つ当たり気味に悪態をつく。

「嬉しいような嬉しくないような。わたしからなにか電波でも飛んでるんですかね」

 ゆかりは冗談で心境を誤魔化す。

 寝起きのヨスガはそんなゆかりを気にも止めず、眠る前と同じ様に本音を話す。

「電波と言うより体温かも。ゆかりさんの隣ってなんだか温かいんだよね。そこに人がいるって感じて安心できるのかも」

 ヨスガの言葉にゆかりの堤防はグラグラに揺らされていた。

 ゆかりは取り繕うことも出来ず手で顔を隠して黙る事しかできない。

 ヨスガは黙るゆかりを不思議に思い、顔を覗き込む。

 顔から火を噴きそうなほど赤面しているゆかりを見て、ヨスガは完全に目が覚めた。

「ご、ごめん。寝ぼけてたにしてもちょっと言い過ぎたかもしれない」

 慌ててヨスガがゆかりに謝る。

「い、いえ。そう思ってもらえてる事自体はすごく嬉しいです」

 ゆかりも消え入るような声でヨスガに返事をする。

 気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 冷静になってきたヨスガは、眠る前の失言も思い出す。

 ヨスガはその失言が夢の中での出来事なのか、ゆかりに対して実際に話してしまった出来事なのか確認するのが怖かった。

「ゆかりさん、俺、眠る前にかなりベラベラ喋ってなかった?」

 それでも確認しない訳にもいかないので意を決してヨスガは質問をする。

「話せない事に関してはちゃんと自制が効いていましたよ」

 遠回しにゆかりが肯定する。

 ヨスガはゆかりの返事に現実を受け止め、ため息をつく。

「余計な事を伝えてしまってごめん。としか言えないなぁ……」

 半分独り言になりながらヨスガが呻く。

「今さら二人の距離感にもの申すつもりはありませんけど、どこかでちゃんとお互いに思っていることを話し合った方が良いとは言わせてください」

 ゆかりは真っ当に苦言を呈する。

「わかってはいるんだけどね。でも、心には止めておくよ」

 ヨスガは顔を顰めながら忠告を受け入れる。

 ヨスガだって今のままの関係が永遠でない事くらいわかっている。

 もちろんゆえもそうだ、とヨスガは確信している。

 それでもズルズルと今の繋がりが続いて欲しいとヨスガは心の中で思った。


 重たい気分を二人で分け合いながら図書館を後にする。

 雨後の夕焼け空は変わらず真っ赤に燃えている。

 お互いに居心地の悪い気持ちをそのままに会話もせず寮へ向かっていると、校舎から帰っているところの松井まついと鉢合わせた。

「あ」

 松井まついは真っ先にヨスガに気づき、動揺した様子を見せる。

 ヨスガはこれ幸いと松井まついに声をかけた。

「あー、折角声かけて貰ってたのにごめんな。ゆえがグイグイ引っ張っちゃってさ」

 ヨスガがゆかりより前に出て松井まついと会話を始める。

「う、ううん。私が引いたカードは縁堂えんどうくんと関係ないカードだったから……。大丈夫だったよ」

 松井まついがあたふたとしながら説明をする。

 ヨスガは自分がお呼びで無かった事にホッとする。

「それなら良かった。松井まついはどんなカードを引かされたんだ?ゆえなんかもうめちゃくちゃなお題でさぁ」と言いかけたところでヨスガの袖が強く引っ張られる。

 ゆかりが後ろから注意喚起を込めてヨスガの袖を引いていた。

 ヨスガはゆかりの意図がいまいち読めず、怪訝に思いながら言葉を切った。

「えっと、秘密」

 松井まついは俯きながら声を萎ませる。

 松井まついにとっては目当てのお題じゃなかった事をゆかりは勘づいていた。

 松井まついは顔を上げて、ヨスガの袖を引くゆかりに目が行く。

「あの、そういえばその人はどちら様?」

 話した事の無い相手に人見知りの松井まついは警戒をする。

 ましてやヨスガの袖を掴むような仲である。声をかけない選択肢は松井まついには無かった。

「あぁ、こちらは結川ゆいかわさん。図書館で知り合った友達だよ。ゆ、結川ゆいかわさん、こちらは松井まつい。女子サッカー部のゴールキーパーで時々練習を見てる」

 ヨスガが二人の事をお互いに紹介する。

 外向きにゆかりを紹介するために、久しぶりに名字呼びするところまでは良かったが、ゆかりに松井まついを紹介する時にうっかり名前で呼びそうになり、慌てて取り繕った。

 ゆかりと松井まついはお互いに名字だけ名乗って頭を下げ合った。

 ヨスガとゆえにはすっかり慣れたゆかりではあるが、人見知りな部分は変わっていなかった。

「じ、じゃあまた練習で」

 松井まついは緊張に耐えられなくなりそそくさと寮へと走って行った。

 再び二人だけの時間が帰ってくる。

「ヨスガくんって罪な男って呼ばれたりしませんか?」

 ゆかりが沈黙を破ってヨスガに問いかける。

 ヨスガは、体育祭中に氷室ひむろにまったく同じフレーズを言われたのを思い出し、否定する事ができなかった。

「『好きな異性』のお題カードの存在を知らなかったとは言え、応援席の前に立っている事を承諾してしまったら、告白待ちみたいなものじゃないですか」

 ゆかりがチクチクとヨスガを刺す。

 反論できる部分も無くヨスガは黙ってうな垂れている。

 松井まついの思惑はヨスガにとっては寝耳に水だったし、なんなら今でも告白するつもりがあったとは思っていないが、レース後に俯いていた松井まついの姿を思い出し、ヨスガは自身の無関心さを呪った。

「それと」

 ゆかりが叱責を続ける。

 ヨスガは図書館での事も含めて黙って受け止めるしか無い。

 ゆかりが小説でスイッチが入った時以外でこんなにも苛烈に言葉を紡ぐところをヨスガは初めて見た。

「わたしの事、名前で紹介してくれないんですね」

 先ほどまでの刺々しい言葉とは違い、声音も拗ねた少女のようになった。

 ヨスガは反省の色を示していたにも関わらずそのギャップにドキリとする。

 節操の無い心臓にげんなりした。

「それは、一応お互い初対面だったし」

 跳ねる心臓を抑えながら、ヨスガは言い訳を絞り出す。

「あと、松井まついさんの事は呼び捨てなんですね」

 ゆかりの追撃にヨスガはタジタジになる。

「それは部活だと敬称までつけると長いし、そもそも名字だし」

 我ながら苦しい言い訳だとヨスガは思う。松井まついはヨスガの事を敬称で呼んでいる。

「じゃあ、わたしの事も結川ゆいかわって呼び捨てしてみてくれますか?」

 ゆかりが要求をする。

 ゆかりのそのいじらしさに、叱られているはずのヨスガはちょっとした嗜虐心が芽生えた。

「名字だけでいいの?」

 ヨスガの一言はゆかりにクリティカルヒットするとヨスガは思っていたが。

「え、良いんですか?」

 ゆかりは恥じらうことも顔を赤らめることも無くヨスガに聞き返した。

「ごめんなさい調子に乗りました」

 ヨスガは即座に敗北宣言をする。

 その反応の早さにゆかりはついつい吹き出してしまった。

「もう、なんですかそれ。ヨスガくんって時々小学生みたいな事しますよね」

 ゆかりはまだ笑っている。いつもの優しげな笑顔とは違う、大笑いだ。

 ヨスガは恥ずかしそうにしながらも、大笑いするゆかりに見惚れていた。

 普段と違う仕草の破壊力をこの短時間に何度も実感している。

「で、名前で呼び捨てしてくれるんですか?」

 大笑いの笑顔がニヤニヤ顔に形を変えていく。

 普段のゆかりからは想像できない程の押しの強さにヨスガは気圧される。

 こうなったからには覚悟を決めなくてはいけない。

 ヨスガは辺りを見回し、人気ひとけの無い場所を探す。

 たった一言発するだけなのだから、場所まで変える必要は無い事にヨスガは気づいていない。

 ヨスガは屋根付きのベンチを見つけ出し「こっち」とゆかりを連れて行った。

 池袋に二人で行くきっかけとなったベンチだ。

 ゆかりも行き先に気づいて「え? え?」と小さく呟いた。

 間も無く二人はベンチへ辿り着く。

 あの日のような雨雲は無く、屋根は横から差し込む夕焼け空からは二人を守ってくれなかった。

 あの日と同じ様に二人並んでベンチに座る。

 ヨスガは何度も深呼吸をする。

 その度にゆかりはキュッと身体を強張らせていた。

 二分ほど緊迫感のある沈黙が流れる。

「よし、いきます」

 ヨスガが小さな声で宣言する。

「は、はい」

 ゆかりもガチガチに身体を強張らせる。

 ヨスガはゆかりの耳元に口を近づける。

 ゆかりは耳元に触れる吐息にビクリとする。耳元で言われると思っていなかった。

 ヨスガはその反応にやりすぎてしまったと頭を抱える。

 しかし、止まる訳にはいかなかった。

 ヨスガが呼吸をする度に身体を震わせるゆかりがさすがに気の毒に感じ、ヨスガは意を決する。

「ゆかり」

 耳元で囁く。

 ゆかりが固まる。

 そしてへなへなと力が抜けてヨスガとは逆側に上半身を倒しそうになる。

 ヨスガは慌ててゆかりの肩を掴み、倒れないように身体を寄せる。

 再度ゆかりが身を固くする。

 ゆかりを抱き留めるヨスガの腕が、ゆかりの熱を強く感じる。

 触れているのは肩と背中であるにも関わらず、心臓の音まで伝わっているようにヨスガは感じていた。

「ごめん、大丈夫?」

 ヨスガはゆかりが自立するまで肩を支えてかゆかりに謝罪した。

 ゆかりは両手を胸の前でキュッと組んで深呼吸している。

「……女たらしじゃないですか」

 ゆかりがぼそりと言う。

「誰にでもやる訳じゃ無いからその評価は勘弁してください」

 懇願するヨスガ。

「わかっていますよ。わたしだって調子に乗りすぎました。ごめんなさい」

 ゆかりも謝る。

 自身の悪癖が強く出過ぎてしまったと反省する。

「それで、これからも呼び捨てで呼んだ方が良い?」

 おそるおそるヨスガが訊ねる。

「心臓に悪いのでまだダメです。耳元で囁くのもNGです」

 プイと顔を背けながらゆかりが主張する。

 顔を背けたゆかりの耳元が赤いのは夕焼けのせいという事にヨスガはしておいた。

 そのまま耳元でまた話そうかとヨスガは一瞬魔が差したが、今度はさすがに本気で怒られると思い、自重した。

「わかったよゆかりさん。その、これからもゆえ共々よろしくお願いします」

 ヨスガが軽く頭を下げる。

 ゆかりも本気で怒っている訳では無いので笑って受け入れる。

「なんだか長い一日でしたね」

 身体の力が入るようになってゆかりがベンチから立ち上がる。

「ヨスガくんはいじわるです」

 頬を膨らませながらゆかりが言う。言ってから耐えきれなくなって笑った。

「ゆかりさんも大概でしょ」

 ヨスガも同じ様に笑いながら言い返す。

 じゃれ合いのような口論は寮の入り口に辿り着くまで続いた。


人物紹介

縁堂縁:ヨスガ。罪な男。いじわる。

結川ゆかり:耳が弱い。

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