一年生九月:体育祭③
ヨスガが応援席に戻ると、案の定質問攻めにあった。
それをあしらいながら席に着く。
「お前、大変な事になったな」
質問攻めを遠巻きに見ていた氷室がヨスガに声をかける。
先ほどのニヤニヤ顔とは打って変わって少しだけ真剣な表情をしている。
「氷室の言ってたのはあのカードだったんだな。ずいぶん浮ついたカードだしいい迷惑だった」
ため息まじりにヨスガが返す。すっかり疲れ切っていた。
「そうだけどそうじゃないんだよな。古淵さん、多分八組の女子サッカー部には少なくとも嫌われたぞ」
声を落として氷室がヨスガに伝える。
ヨスガはさらに気が重くなるのを自覚していた。
「あ、やべ降ってきたな」
体育祭も最終盤、空模様は急激に悪くなり、先ほどまでの暑さが嘘のように冷たい風が吹きすさび大きな雨粒が遠雷と共に落ちてきた。
豪雨に身体を晒されながら、生徒達は荷物を持って屋内へ避難する。
待機場所はどこでも良かったので、ヨスガは人混みを嫌って図書館まで足を運んだ。
館内に湿気を持ち込まないために風除室で水気を拭っていると、中から司書の先生がやってきて、本の無い談話室に通してくれた。
「結川さんも来てるからゆっくりお話して過ごしていて大丈夫ですよ」
談話室に向かう途中、司書の先生がヨスガにゆかりの在室を知らせた。
談話室の扉の前までヨスガを案内して、司書の先生は自分の仕事へと戻っていった。
ヨスガは扉をノックする。
しばらく扉の前で待つが返事が無い。
ヨスガはゆっくりと扉を開ける。
扉から覗き込むように辺りを見回すと、ゆかりが奥の方のパイプイスに身体を預けて眠っていた。
ヨスガはゆかりを起こさないようにゆっくりと談話室の奥へ近づき、隣のイスに腰かける。
規則正しい寝息がゆかりから聞こえる。
ヨスガはゆかりの方を見ないようにしながら自分の身体の水分を拭う。
タオルで体操服を叩く音と、ゆかりの寝息だけが部屋に響く。
さらにしばらく時間が経つと、ゆかりがイスを揺らす音がした。
ヨスガが驚いてゆかりの方を向くと寒そうに身体を震わせていた。
ゆかりも身体の水分の始末をしっかりしていたようだが、それでも談話室の冷房で身体が冷え切っていたようだった。
ヨスガは自分の荷物から大判のタオルとジャージの上着を取り出す。
ゆかりの脚にタオルをかける。ヨスガはハーフパンツから伸びる柔らかそうな太ももが目に入り、見てしまった事に軽い罪悪感を抱いた。
ジャージはゆかりの上半身を覆うようにして毛布のようにかける。
体操服の下にも着込んでいたので透けた下着が見える事は無かったがヨスガは気が気じゃ無かった。
ゆかりを包んだ後、ヨスガは携帯を取り出して天気予報を確認する。まだまだ雷は止まなそうだった。
「中止かなこれは」
ヨスガがぼそりと呟くと、ゆかりがもぞもぞと動き出した。
首を回して腕を上げて伸びをする。
腕を上げた時にヨスガのジャージがハラリと落ちた。
「あ」
ゆかりが落ちたジャージを見つめ、顔を上げるとヨスガと目が合った。
その後、自分の脚にかかったタオルに気づき「ありがとうございます」と恥ずかしげに感謝をした。
「起こしちゃった?」
ヨスガが申し訳なさそうにゆかりに訊ねる。
「いえ、うとうとしていただけなので、イスの固さで目が覚めちゃいました」
ゆかりが身体を動かしながら返事をする。
ゆかりが首を念入りに回していると、談話室の端に置かれた二人がけのソファが目に入る。
「あそこで寝直したら?」
ヨスガもゆかりの視線を追ってソファに気づき、提案する。
「そうですね、服も乾いてはいますし、ソファの方に移ろうと思います」
ゆかりはイスから立ち上がりソファの方へ向かう。
その際、自分の荷物からジャージも取り出して体操服の上から着る。
ゆかりがソファに腰かけると、イスに座ったままのヨスガをジッと見つめた。
「お隣いかがですか?」
ぽんぽんとゆかりは空いているスペースを叩いてヨスガを誘う。
「横になればいいのに」とヨスガが話すと、「横になるには小さいので」と返された。
ヨスガはゆかりに従い、隣のスペースに身体を沈めた。
想像よりも座り心地が良く、ヨスガは眠気を感じ始めた。
隣にいるゆかりの体温がヨスガの眠気を加速させ、頭がはたらかなくなっているのを自覚していた。
それはゆかりも同じで、隣にいる熱源に引っ込んでいた睡魔がゆかりを再度眠りへと誘う。
「借り人競走、すごかったですね」
うつらうつらとなりながらゆかりが借り人競走の話を持ち出した。
「大変な目に遭ったよ。わざわざ『好きな異性』なんてカードを作って。このご時世になんでそんな限定的な物を用意するんだろうって思った」
眠気のままに、借り人競走の運営への悪態がヨスガの口から溢れてくる。
その様子にゆかりは少しびっくりするが、普段ゆかりに対しては紳士的であろうとするヨスガの子供っぽい一面を観る事が出来て嬉しそうに微笑んだ。
「災難でしたね。でも、二人で走っているところは胸がキュンキュンしましたよ」
ゆかりもゆかりで眠気でたがが外れて、普段ならヨスガとゆえの関係性に対して自制が効くところを全力疾走で突っ込んでいく。
「本当に、そんなんじゃないんだ」
ヨスガは目を半分閉じかけながらも言葉を絞り出そうとする。
「ゆえは俺の事を選ばないと思うし、俺もゆえの事を選べない」
「え?」
ヨスガの言葉にゆかりの睡魔が吹き飛ぶ。
ヨスガは変わらず眠そうで、だからこそ今の言葉が偽りの無い本心なのだとゆかりは思った。
ゆかりは言葉に詰まる。
進むべきか戻るべきか、唐突に突きつけられた二択に頭を悩ませる。
「どうしてヨスガくんはゆえさんを選べないんですか?」
絞り出したのはヨスガ本人が確実に答えられる質問だった。
「ゆえは今でも俺の事をとても気にかけてくれてる。けれど、もし付き合うってなったらきっとゆえの持つリソースを全部俺に費やそうとしてくる。俺はそれが耐えられない」
ヨスガは目を瞑ったまま言葉を紡ぐ。
「ゆえがキャンバスに向かっているところを見るのが好きなんだ。没頭して、没頭して、自分のためだけに時間を使う所をいつまでも眺めていたい。
けれど、それも見れなくなってしまう」
ゆかりは、ゆえならやりかねないと思った。
その反面、いくらゆえでも人生のすべてをヨスガに捧ぐのか?と疑問にも思った。
「過去にそう思うに足る出来事があったんですか?」
ゆかりがヨスガに訊ねる。
「あった。けど、ゆえが話してない事だから言えない」
眠気に口を滑らせる事もなくヨスガはゆかりの質問に答えた。
「そうですね、教えてくれてありがとうございました」
潮時だ、とゆかりは話題を切り上げる。
「ごめん、眠くて頭回らない」
ヨスガは一度目を開いたがすぐにまぶたが落ちる。
「あぁ、でも。それでもゆえが俺を選ぶと言うのなら、ずっと大切にしてくれたゆえに報いたいとは思ってる。
受け身であまりにも情けない話だけれど」
言うだけ言って、ヨスガの意識は落ちた。
間も無く寝息が聞こえて、ゆかりは深呼吸をした。
突然のヨスガの本音に強く緊張していたのをゆかりは自覚する。
ゆかりは一人、ヨスガの言葉を思い返す。
ヨスガの予想通り、ゆえはきっと自分からヨスガに告白する事は無いだろうとゆかりは思った。
ヨスガがいじめられていた時に彼から選択の機会を奪ってしまった事だけが原因じゃ無い。
きっと、ヨスガがゆえを選べない理由だってゆえは気づいている。
ヨスガが語らなかったゆえとの出来事も影響しているのだろう。
ヨスガとゆえ、こんなにも想い合っている二人の間に見えない壁がある事をゆかりは理解した。
もちろん、恋の介在しない男女の友情や愛情だってあるとゆかりは考えているが、今の二人の距離感を結ばれぬまま継続できるとは思えなかった。
ゆかりは、ゆえの隣にヨスガじゃない男がいる事が想像できなかった。
しかしその逆、ヨスガの隣にいる異性を想像した時に不意に自分の姿が過ぎった。
それは、池袋へ行った日の夜に飲み込んだ優越感のような、ほんの少しの出来心から生まれた妄想だった。
ゆかりはその妄想を、甘美で吐き気がするほどに醜悪な感情だと思った。あの日感じた優越感と同じ様に、ゆかりは甘くて醜い妄想を誰にも見せないように飲み込んだ。イメージの中での行為のはずなのに、ノドが灼けるように熱かった。
ゆかりは自分自身をかき消すようにヨスガとゆえが並ぶ姿を何度も想像しながら一人の時間を過ごした。
しばらくしても雨が止まず、体育祭の残りの種目が中止になった事がアナウンスされて今日は解散となった。
教室に戻る必要も無かったので、ゆかりはヨスガが起きるまでバッグに入れていた小説を読む事にした。
ゆかりのバッグは晴れている間も厚手のビニール袋に包まれていて、雨に降られても中身が無傷だった。
ヨスガから得た知恵が役に立って思わず笑みが零れる。
ヨスガと出会って自分は大きく変わったと改めて実感する。
ゆかりと言う名前を授かったにも関わらず、中学生まで心許せる友人などいなかった。
ヨスガに勇気を出して声をかけて、ゆえとも出会って、こんなにも強く人に興味を持って学校生活を過ごす事になるとは夢にも思っていなかった。
二人に出会えて良かった。
二人の事が大好きだと心から言える。
二人とずっといたいから、絶対に飲み込んだ感情を吐き出さない事を一人心に誓った。




