一年生四月:入学②
「あのー起きてください」
ヨスガはトントンと肩を叩かれ目を覚ました。
目を閉じたまま眼球を動かすと、外し忘れたコンタクトレンズがゴロゴロと主張してくる。
「もうすぐ閉館なんですけど」
声の主は少し気弱そうにヨスガに声をかけてくれる。
ヨスガは、もうそんな時間になってしまったのかとうたた寝した事を後悔しつつ、起こしてくれた相手に礼を言うために身体を起こす。
目を開けて、目をぐるぐる動かしてコンタクトレンズの位置を調整する。
ピントが合った目で声の主の方を向くと、ヨスガが図書館に入る時から利用していた女子生徒がいた。
ヨスガの隣のイスに座って声をかけてくれていたようで、ヨスガの顔をのぞき込むような姿勢で見守っていた。
緩やかに波打った長髪の女子で、学年はヨスガと同じようだ。
無遠慮に観察してしまった事に気づき、ヨスガは慌てて顔を離す。女子の方ものぞき込む姿勢をやめて、背筋を伸ばしてヨスガの方を向いた。女子にしては身長が高く感じるとヨスガは思った。
ヨスガと同じ中学から進学してきた幼馴染みよりは少なくとも高そうだ。
「すいません、わざわざ起こしてもらって」
同い年だと気づいているが、初対面なのでヨスガは敬語で接する。
「いえ、たいしたことでは」
女子がそう返すと沈黙が流れる。
気まずい。初対面の女子と言うだけで緊張するのに、こちらの失態を見られているのが余計に気まずかった。
言葉が出ないままフリーズしているヨスガをヨソに女子の視線が机上の小説達に注がれている事に気づく。
ヨスガはそこに望みを賭ける。
「愛坂の作品が好きなんですか?」
そう訊ねると女子はピクンと跳ね上がり、一瞬止まる。
少しの沈黙の後なんとか絞り出したのが「好きです」だった。
ヨスガはこの反応に見覚えがあったので、
「これまで五冊ほどしか読んでいないけれど、感想を言える相手もいなかったんです。もし良かったら話をしませんか?」と声をかける。
あまりにもナンパ過ぎると言葉にしてから気づき、入学早々ナンパ男として知れ渡る絶望がヨスガの頭を過ぎったが、それは杞憂だった。
目の前の女子生徒、結川ゆかりはリミッターを開放した。
「初めて読んだのが『祈り』だったのはとても良いと思います。愛坂入門編みたいな作品ですので」
結川のマシンガントークが始まってかれこれ十分経とうとしている。
二十二時まであと十分を切っており、目星をつけた本を戻す時間も考えるとそろそろ中断しないといけない。
「ゆ、結川さん一度本を戻しても良いかな」
試合の疲れも吹き飛んで、すっかりタジタジになりながらも、ヨスガはなんとか遮ろうとする。
すっかり敬語は抜けている。
「あ、そうですね。わたしもお手伝いします。場所は把握しているので」
結川はヨスガの前にある本を手に取り、本棚に向かう。
テキパキと並びも正しく戻す姿にヨスガは感心していた。
一度片付けを挟んで熱量が削がれた結川は、少し俯きながら「さて、退館しましょうか」とヨスガに告げた。
学校の敷地内は二十二時を回っても街灯で照らされている。
校舎から寮へ続く通学路は長い坂道で繋がっている。帰り道は下り坂だ。
通学路の桜並木は半分くらい散っている。明日の雨予報で完全に散るだろう。
夜は肌寒い日がまだあるが、今夜は風が温かかった。
先ほどの雄姿が嘘のように結川は俯いたままヨスガと並んで歩く。
ヨスガは結川の暴走に気圧されてはいたが、話して楽しかったのも確かだったので続きが聞きたいと思っていた。
「結川さん、またお話聴きにきても良いかな。オススメとかも聞いてみたい」
またナンパになってしまうな、と思いつつもヨスガは本心からそう結川に告げる。
それを聞いた結川はパッと顔を上げる。街灯に照らされる中、瞳も輝いているように見える。
「もちろん! です」勢いのままに叫ぶも、尻すぼみになる。
もう一押しにヨスガは口を開く。
「俺はサッカー部なんだけど、月曜と水曜は休みなんだ。そこならたくさん話せると思うんだけれど、どうかな?」
ヨスガは具体的な日程を決めてもう一度訊ねる。
「わたしは大体図書館にいるので、いつでも大丈夫です」
結川は少し躊躇ったが先ほどの十分間の楽しさを思い出してもう一度顔を上げてヨスガを見上げる。
結川も女子にしては背が高いがヨスガの方がもっと高い。
「良かった。それじゃあ来週の月曜日にまた図書館に行くよ。その前に新しい本借りにいかないとな」
ヨスガはホッとして笑顔をこぼす。
結川も釣られて薄く微笑んだ。
それからヨスガは寮までの残り短い時間で結川にオススメの作品を名前だけ教えてもらった。
もうちょっと突っ込んだ自己紹介をするとか、連絡先の交換をするとかすれば良いものを、ヨスガも結川も同好の士を見つけた高揚感と、初対面で踏み込みすぎた事への後悔でそれどころじゃなかった。
「では、おやすみなさい」
結川はペコリと頭を下げて、エレベーターの開ボタンを押す。
寮は男女共に同じ棟で女子が上階を占めている。
ヨスガはエレベーターから降りて、結川に手を振る。
「じゃあ、また今度。明日も本借りに鉢合わせそうだけれど。おやすみなさい」
ぎこちないやり取りから始まって、おやすみの挨拶までできたなら上出来ではないか、とヨスガは思った。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。サッカー部でゴールキーパー
結川ゆかり:図書館に住んでいる




