一年生六月:お出かけ③
「次の目的地は水族館です」
ゆかりも悟られないように気を取り直して仕切る。
人で満たされている屋内施設を進行方向に並んで歩く。横並びに歩く人々を何度も避けて二人は水族館へいたるエレベーターに辿り着いた。
「ヨスガくんも何度も行った事あるんですよね。どこか集中して観たいところとかありますか?」
二人分のパンフレットをゆかりが手に取りヨスガに手渡す。
「あまり考えてなかったな。小さいスペースだけどヤドクガエルかなぁ」
ヨスガは特に何も考えずに自分の好みを伝える。
「あ、大水槽もいいな」
一応男女でのお出かけだとすんでのところで気がついたヨスガは、取って付けたように大水槽を付け足す。
それにゆかりは薄く微笑みながら「どちらもゆっくり観ましょうね」と返した。
ヨスガは気恥ずかしそうに頬を掻きながらチケット売り場へと向かった。
水族館に入り、順路を辿り大水槽へと進んでいく。
ヨスガもゆかりもよく足を運んでいたので、水槽を覗いては軽く会話を交わしながらスイスイと進んでいった。
「あれ?」
大水槽の手前、深海の水槽に見覚えの無いシルエットが見えてヨスガは不審に思った。
水槽を照らす明かりを銀色の体表が反射する。特徴的な鼻先とツノのようなトゲ。羽ばたくように胸びれを懸命に上下しながら泳いでいる。尾びれはまったく仕事をしていなかった。
「え、まさかゾウギンザメ?」
ヨスガが驚愕しながら水槽に近づく。
「わたしも昨日調べて知りました。まさか生きている姿をこの目で見れるとは」
ゆかりは昨日の内に予習をしていたので存在は知っていた。泳ぐ姿に感動していた。
「だね、動画でしか見た事無かった。まさかこんなところで出会えるとは」
ヨスガは目を輝かせて水槽に釘付けになる。
連れてきて良かった、とゆかりは心の中でガッツポーズをした。
懸命に水槽を羽ばたく様子を動画に収めながら、しばらくの間ヨスガは水槽に張り付いていた。
「本当にごめん。夢中になりすぎた」
大水槽前のベンチスペースに座りながらヨスガがゆかりに謝る。
「そうは言っても十分も経ってないですよ。わたしも同じくらい楽しみにしていましたし」
「ゆかりさんも珍しい魚とかに興味あったんだね」
ゆかりもヨスガに負けないくらいの熱量で水槽を見つめていた。
「実は今日池袋に行く決め手になったのがゾウギンザメでした。星座パフェも気になっていましたけどね。やっぱり珍しい子はいつまで展示してくれるかまったくわからないので」
「俺よりずっと熱心だった」
ゆかりの守備範囲が本だけじゃなかった事にヨスガは驚く。行動を共にしていてもまだまだ知らない事はある。
「そんな事無いですよ。ヨスガくんは見ただけで名前までわかったじゃないですか。わたしはそこまですぐに名前出ませんよ」
褒め合い合戦にキリが無いのでヨスガは切り上げて水族館の思い出を口にする。
「そういえば、今日みたいに水槽に熱中して迷子になった事あったなぁ」
「いつ頃の話ですか?」
「小二かな。一年生と二年生が一緒に水族館に行く遠足があったんだけど、一年生と二年生が二人一組でペアになって二年生が面倒を見る、っていう冷静に考えると無謀なルールが実施されて、案の定俺は一年生をほっぽり出して迷子になった」
「それは一年生の子が気の毒ですね」
ゆかりはヨスガの可愛らしいエピソードに笑みを浮かべる。
「そうなんだよね。それで、慌てて同じ学校の帽子を被った子を探したら、一人で水槽に張り付いてた子がいて、この子だ!と思って手を繋いで皆の下に何食わぬ顔で戻ってきたんだよ。そしたら、俺とその子を見つけた先生が急に怒り出したんだ。
なんでだと思う?」
「突然のなぞなぞですか。ううん、慌てたヨスガくんは違うペアの子を見つけて連れてきた、とかですかね」
「惜しい。正解は、俺が連れてきた子が小柄なだけで同じ二年生で、俺とその子のペアだった一年生は集団行動から外れて無くて、普通に皆と一緒にいた。でした。
それでこっぴどく叱られてそれから後はかなり萎えながら水族館を見てた」
ゆかりは笑いながら「その子とは仲良くなれそうですね」とヨスガに言った。
「それが叱られた後すぐに元の列に戻されて、先生の監視まで付いたから、誰だったのかわからないんだよね。暗がりだったから顔もわからなかった」
「それは残念でしたね」
ヨスガの思い出話が一区切りついて、二人は大水槽の方を向いた。
高層ビルの上層部に位置する水族館ゆえに大水槽はそこまで高さは無いが、パノラマ写真のように左右に広い。
ヨスガは大水槽を我が物顔でゆったりと回遊するトラフザメをぼんやりと眺める。
大水槽の餌やりショーも終わり、周囲は普段より閑散としている。
周囲の時間の流れが緩やかになり、ヨスガはすっかりリラックスしている。
隣に座るゆかりはその姿をチラリと見て安堵する。
そのままうつらうつらと頭が揺れ始めるヨスガをゆかりは慌てて揺り起こす。
「ヨスガくん、寝ちゃうのはさすがにダメですよ」
半目になっていたヨスガが慌てて立ち上がる。
「ごめん、なんだかすごく安心しちゃって」
ヨスガがぼんやりした頭で思ったままに伝えるとゆかりは顔が熱くなるのを自覚した。薄暗闇の中、ヨスガはゆかりの変化に気づかない。
小さく伸びをした後、ヨスガはもう一度ベンチに座る。
ベンチに座るヨスガを確認してゆかりは口を開く。
「ヨスガくん、わたしにはヨスガくんの苦しみはわかりません。わたしにそれを吐露してくれたのは嬉しかったですけれどね」
ゆかりは大水槽に目を向けながら昨日の出来事を思い出す。
ヨスガは黙って耳を傾けていると、ゆかりが「けれど」と言葉を続ける。
「わたしはいつでも図書館に居ますから。嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、もちろん本の話も、たくさんしましょう」
そう言うとゆかりがヨスガの方を向く。ヨスガもゆかりの方を向いて目線がぶつかる。
「本当は嫌いなら逃げてしまえば良いって言っても良いのかもしれないですけどね。誰にも悟られないように押し殺していた感情にはきっと理由があるのだと思います。
それならわたしが出来るのは、ヨスガくんの手を引いて一緒に図書館に逃げ込むことじゃなくて、友人として話し相手になる事だなって思いました」
ゆかりがヨスガの目を見つめニコリと笑う。
優しげなその瞳にヨスガは自身の中に固まってしまった感情がほぐされていくように感じた。
「別に本当にたまたま、口に出てしまっただけで、卒業まで変わらずサッカーを続けていたとは思うけれど、ゆかりさんのお陰で気持ちが楽になったよ」
それはヨスガの強がりで本心だった。
ゆかりは当然強がりだと思っていた。昨日のヨスガの弱々しい瞳がまだ目に焼き付いている。
「続ける理由、て言うには大したことじゃ無いんだけど」
ヨスガは一度言葉を切って大水槽に向き直る。
「俺と陽太が入ってたチームに櫻コーチってコーチがいたんだ。まぁ実質監督なんだけれど、小学生のスクールとかも担当してたからコーチって名乗ってた。
中学に入ってからサッカーを本格的に始めた俺にとって、櫻コーチはサッカーはもちろん人間的にも恩師として慕ってた。
ゆえが襲撃してきた後も、俺やチームメイト、ゆえにまで親身に話を聞いてくれた」
ゆえが襲撃する前に気づけなかった事を詫びてたけどね。と苦笑いしながらヨスガが続ける。
「柏陽台を勧めてくれたのも櫻コーチだった。チームは別だけど陽太がいたのも勧めてくれた理由かもしれないけれど」
ヨスガは一度深呼吸して言葉を続ける。
「大げさかもしれないけれど、十六年の人生で一番の恩人だった。だから、どんなに情けなくても辞める訳にはいかない、と思ってるのかもしれない」
ヨスガは話し終えて息を吐き出す。
大水槽に照らされたヨスガの横顔を眺めていたゆかりも、ヨスガと同じ方向に目を移す。
「それがヨスガくんの譲れないところなんですね」
ゆかりは心の中で納得した。
ゆえを想って一人傷つき折れそうになったヨスガの話を思い出す。
譲れないけれど溜め込んでしまう。自分を守れず傷ついてしまう。
そんなゆかりより背の高い男の子が、ゆかりは大切に思えた。
「そうかもしれない」
「それならわたしはやっぱり図書館で待ちましょう。それで、夕飯はゆえさんとも一緒に食べて、元気を分かち合いましょう」
ゆかりはもう一度ヨスガに向き直る。
「それで、もし折れた時はわたしと図書館に住みましょう」
愛の告白みたいだな、とゆかりの頭に過ぎったがそのまま無かったことにした。
「ゆかりさん」
「はい」
「ありがとう」
ヨスガは大水槽に目を向けたまま感謝を言葉にする。
「まだまだお出かけは続きますよ。れっつごーヤドクガエルです」
ゆえの真似をするように間延びした声でゆかりが声をかける。
「あ、クラゲも観ましょう」
ゆかりがヨスガを先導してクラゲの大水槽に向かう。
天井から下がる半球状のドーム型水槽を漂うクラゲの真下にゆかりが立って手を伸ばす。
「ヒールを履いたらわたしでも届きそうですかね」
背伸びをしながら頭上の水槽に手を伸ばすゆかりがヨスガには眩しく見えた。
ヨスガはその光景をいつまでも忘れないように心に焼き付けた。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。ゾウギンザメにはしゃぐ。
結川ゆかり:ゾウギンザメにはしゃぐ。




