一年生五月:芸術鑑賞会④
市民ホールへの道は腹ごなしにちょうど良かった。
並木道は新緑に染まり、木漏れ日が優しく三人を照らしていた。
正午になる前に到着した三人はそれぞれのクラスの元に合流した。
席は自由席で、到着した生徒から好きに座って良かった。
集合といい座席といいどうしてこんなに大ざっぱなのだと再度ヨスガは思ったが、一人で落ち着いて観劇をしたいと思っていたのでヨスガとしては好都合だった。
クラスメイトや部活の知り合いが固まっている席を避けてヨスガは座った。
舞台の中心から大きく外れた最後方の通路側の席だ。ベストポジションとは言いがたいが、周囲を気にせず観られるので妥協した。
開演するまでに二つ折りのパンフレットをボーッと眺める。
今日の演題はとある科学者達の偉業を舞台にしたもののようだ。
ヨスガは科学分野に感心があり、その内容に興味を持った。
あらすじを読み込んでいると、ゆかりが近づいてきた。
ゆかりは少し困った表情でヨスガの元に辿り着く。
「ゆかりさん、どうしたの?」
ヨスガがパンフレットから顔を上げる。
「わたしのクラスが固まっているところに一度向かったんですけど、その、ちょっと元気が良くて逃げてきちゃいました」
ゆかりの指差す方を見ると、ゆかりのクラスである一年五組の集団がボリュームの大きい声で話していた。その中にはサッカー部の部員もいた。ヨスガと違って早々に上級生に混じって試合に出ているストライカーだった。
「あれは確かにひどいな」
呆れながらヨスガはゆかりの方に視線を戻す。
ヨスガは席を一つ内側に移動して、通路側の席をゆかりに譲った。
「ありがとうございます。ヨスガくんも一人でいてくれて良かったです。お友達、あまりいないので」
ゆかりが俯く。
ヨスガは初めて会った頃を思い出した。
自分とゆえにはすっかり心を開いている彼女もまだまだクラスにはなじめていない事が微笑ましく感じ、同時に一年五組の生徒達へ少しだけ優越感を抱いてしまう。
そんな自身をヨスガは強く恥じた。
けれども、ゆかり自身が語ってくれた過去のように、彼女が傷つく事があったら嫌だな、とも思っていた。
「ゆえは友達多いからこういう時孤立しないもんなぁ」
自身の想いは表に出さず、ヨスガはゆえのいる方を見る。
ゆえはゆっこや他のクラスメイトと並んで座っていた。後ろの席の邪魔にならないように、ポニーテールは解かれている。小柄なゆえは女子生徒達に撫で回されていた。
「愛されてますねぇ」
ゆかりはその様子を微笑ましく眺めていた。
「ヨスガくんはどうしてここに?」
「ゆかりさんと似たような理由かな」
「あ、お友達が……」「横が煩くならないように静かな席を探していたんだよ」
ゆかりの同類への哀れみの視線を遮るように強めにツッコミを入れる。
ゆかりはヨスガにぞんざいに扱われると時々嬉しそうにする。ゆえとの距離感に憧れているからだ。
「冗談です。興味の無い人もいるでしょうし、落ち着いて観るならはじっこの席しか無いですよね」
「いや、まぁ俺も別にそこまで友達いるわけじゃないけど……」
ヨスガはしなくても良い白状をする。
「まぁまぁ、多ければ良いわけでも無いですしね。あ、そろそろ始まりますよ」
明るかった照明が落ちる。舞台の真ん中から幕がが上がっていき、スポットライトが暗闇を照らす。
舞台が始まった。
偉大な事をしたが酷い人の話だった、というのがヨスガの舞台の感想だった。
市民ホールからの帰り道、ヨスガとゆかりは感想を話しながら歩いていた。
多くの生徒が市民ホールの前でたむろしている間に離脱して、図書館に向かうつもりだった。
「なんというか、面白かったけどめちゃくちゃな人だったんだなぁって思ったな」
ヨスガは隣にいるゆかりに話す。
「そうですね、今の時代にそのアクの強い部分もしっかり表現された舞台を見れたのは運が良かったと言うか、よく学校が許可したなぁって思いました」
ゆかりも似たような感想だった。
「生物選択したらきっと今日の事を思い出しそうだね」
ヨスガは理系選択で生物と化学と物理を履修するつもりだった。
「そうですね、わたしも生物を選択するつもりなので思い出しそうです」
ゆかりもそれに同意する。
「ゆかりさんは文系選択?」
話の流れで来年の文理選択の話をする。それに応じて二年時にクラス替えも行われる。
「いいえ、理系選択です。図書館に住み着いているからと見当をつけるのは安直ですよ?」
楽しげにゆかりがヨスガを叱る。ヨスガもそれが伝わっていたので笑って「ごめんごめん」と返した。
「もしかしたら一緒のクラスになるかもしれませんね」
ゆかりの何気ない発言にヨスガは心が浮いたように感じた。
うろたえたヨスガがゆかりの方を向くと、ゆかりがぷい、と目を背けた。
「少し恥ずかしい事言っちゃいましたね」
手で顔に風を送りながらゆかりがヨスガに向き直る。
「一緒だときっと楽しいだろうね」
ヨスガが本心を返すと、「もう、恥ずかし死させる気ですか」と言いながらポカ、とヨスガに拳を当てて照れ隠しをした。
「あれ、ヨスガじゃん。ゆえじゃない女の子を連れてるから気づかなかった」
ヨスガがゆかりの愛らしさを満喫していると背後から声をかけられた。
ヨスガが振り向くと中学時代何度も顔を合わせた男がいた。
「陽太?今日は行事出れたのか。ていうか入学してからようやく会ったな」
照島陽太はヨスガのかつてのチームメイトだ。
出身中学は異なるが、チームの中では一番よく話した相手だ。
そして、ヨスガのチームから唯一プロサッカーチームのユースに昇格した選手である。
「確かに、最後に会ったのは退団式か。入学式も別だったしな。今日は先生も引率で出払ってたから補習も無かったんだよ」
陽太はユース生として柏陽台高校に入学しているので一年九組に所属している。一年九組はユース生を始めとして様々な活動をしている生徒がまとめられている。
多くの行事が免除され、自身の活動に打ち込むことができる。
「そういう事もあるんだな。行事参加できて良かったな」
「まぁ申し訳ない事に少し眠りこけちゃったけどな。それで、そちらのお嬢さんは?」
「あぁ、こちらは結川ゆかりさん。入学してから知り合った。ゆかりさん、コイツは照島陽太。中学時代のチームメイトで、ゆえとも知り合い」
「結川ゆかりです。ヨスガくんとは本の趣味が合って仲良くさせてもらっています」
「ご丁寧にどうも、照島陽太って言います。特待生なんで滅多に他クラスと関わる事は無いけれど、よろしく」
ゆかりがゆえと挨拶をした時よりも控えめな自己紹介で二人は挨拶を交わす。
「しかしヨスガ、お前がゆえ以外に下の名前で呼ぶくらいの仲の女子ができるとはな」
陽太は優しげな目で感慨深げに言う。それはヨスガのクラスメイトやサッカー部の冷やかしの視線とはまったく違った。
「女子かどうかは関係ないだろ」
ヨスガはバツが悪そうに言い返す。
ゆかりは二人のやり取りを不思議そうに眺める。
ゆかりが言葉を探していると陽太の背後から猛然と駆けてくる少女が目に入った。
少女はスカートである事も気にせずに勢いのまま跳び、陽太の背中に蹴りを入れた。
蹴りを入れられた陽太はつんのめりながらもなんとか耐える。
ゆかりは突然の出来事に呆然とする。
「なんでお前がここにいる」
ゆえだった。
ここまで走ってきたにも関わらず息切れもせず淡々と陽太に問いかける。
「いってぇ。軽いから別に良いんだけど毎回蹴りで挨拶するのやめてくれよ」
背中をさすりながら陽太は振り向く。
毎回このやり取りを見ているヨスガは毎回良くないだろ、と心の中でツッコむ。
「ゆえ、やりすぎだぞ。落ち着け」
ヨスガがゆえを窘める。
「やりすぎじゃない」ゆえが口答えをする。
「ゆえ」もう一度ヨスガが強く言う。
ゆえがヨスガを強く睨んでから悲しげに視線を落とした。
それからいつもの表情に戻り「ごめん」と陽太に謝った。
「いいよ、久しぶりだから鬱憤も貯まってたんだろ」
「うん」
「即答かよ……」
陽太は呆れながらゆえを見る。ここまでヨスガも見慣れているいつものやり取りだ。
「あ、あの三人ともよく知る仲なのだけよくわかりましたけど、一体何が……?」
やり取りを眺めていたゆかりがおずおずと三人に向けて訊ねる。
三人は顔を見合わせる。
「あーそれは俺の一存じゃ話せないかな」
陽太が申し訳なさそうに答える。
「ゆかり、親愛度報酬が開放される時がきた」
ゆえはすっかりいつもの調子に戻っていた。
「ゆえが話す気なら良いよ。どうせいつかは話すつもりだったっぽいし」
ヨスガはゆえにすべて任せた。
「でもまぁ、さすがにここで話す事でも無いか。陽太が良ければ図書館で話さないか?」
ヨスガは場所の提案をする。図書館で本も読まずに話すのも悪い気はするが、ゆえが図書館のような場ではちゃんと空気を読んで暴れないと知っているからだ。
人物紹介
縁堂縁:ヨスガ。静かに観劇したい。
結川ゆかり:理系。
古淵ゆえ:ヨスガの幼馴染み。陽太には蹴りを入れるのが挨拶。
照島陽太:ヨスガの中学時代のチームメイト。サッカーが上手い。




