閑話 家政婦は見ている
人やものが行き交って賑やかな新都の中心地から少し離れると、喧騒が嘘のように静まり返る住宅街へと変わる。
石畳の道沿いに木造の家屋が整然と並ぶ。少しでも通りに面する家を増やすために、間口が狭く奥行きのある細長い建築様式が新都の家の特徴だ。
地上二階建てに地下一階を内包しているのが標準だが、なかには三階、四階と上へ上へと伸びている家もある。
その一角に、ネイリー・ラド・イーサが新都での拠点として借り受けた家があった。
一級魔術師と『真紅の鴉』の活動を兼務するようになり、新都市街地で過ごす時間が増えたネイリー。
屋敷から通う時間を節約するために中心地からほど近い家一軒を丸々借りていた。
そして、その家に仕える家政婦アビゲイルは、今日も変わらず朝の仕事をこなしていた。
「ネイリー様、朝食の準備ができました」
落ち着いた声で呼びかける。
皺一つない白いエプロン、きっちりまとめたシニョン、白いキャップ。その佇まいは、長年の経験から滲み出るものだった。
「すぐ行くわ」
書斎から返ってきた声は、いつも通りの静かで澄んだもの。
ネイリーは読んでいた論文を閉じ、静かな足取りでダイニングへ向かう。
テーブルには焼き立ての白パン、小麦の粥、そして赤ワイン。
貴族の朝食としては質素だが、ネイリーはこれを好んだ。
「今日も美味しいわ」
「過分なお言葉をいただき、恐れ入ります」
この家には二人きり。
静かな朝食の時間は、アビゲイルにとっても心地よいものになりつつあった。
ネイリーは食事中も論文の内容を思案しているのか、時折遠くを見るような目をする。
その横顔に、アビゲイルは密かに誇らしさを覚えていた。
食事を終え、ネイリーが外出の準備をしている時だった。
「今度、友人を招こうと思っているの」
囁くような声だったが、アビゲイルの耳は逃さない。
「友人ですか。歓待の準備をした方がよろしいでしょうか」
「そこまでしなくていいわ。来るのは冒険者の三人だけだから、無礼講がいいかしら」
「かしこまりました。そのように手配いたします」
恭しく頭を下げ、ネイリーを見送る。
扉が閉まった瞬間、アビゲイルは表情を引き締めた。
(冒険者の友人……要注意ですね)
アビゲイルはイーサ家から派遣された家政婦であり、ただの家事担当ではない。イーサ家からいくつか指示されていることがあった。
その一つに、ネイリーが冒険者に深入りしすぎないように見守る役目があった。
イミダートの魔力障害の件で冒険者のケントが活躍したが、それとこれとは話は別。貴族の娘が冒険者と親しくしすぎるのは家としては避けたいということだった。
(とはいえ、ネイリー様が心を許した相手。粗相はできませんね)
アビゲイルは深く息を吐き、来訪に備えて準備を始めた。
数日後、約束の時間に三人の冒険者がやってきた。
アビゲイルは失礼にならぬよう、そっと観察する。
「ようこそ、今日はゆっくりしていってちょうだい」
「ここがネリちゃんの家かー、大きいし綺麗!」
一人は青い髪のいかにも町娘といった女。明るく、遠慮のない笑顔が印象的だ。
「……よろしく頼む」
「ルキッドもリラックスしていって」
一人は寡黙な男。背は低めだが、筋骨隆々で一般の市民とは一線を画していることがわかる。
「表だけ狭くて中が広くなってるのか。親近感が湧く間取りだな」
「親近感って何の話よ。新都なら普通じゃない」
そして最後に入って来たのは、見覚えのある気怠そうな黒髪の青年。
イーサ家で見た時はもう少し気を張っていたが、肩の力が抜けており、どこにでもいそうな普通の人という印象を受ける。
(……本当に、あの時の方と同じ人なのでしょうか)
アビゲイルは心の内で首をかしげた。
「ようこそお越しくださいました。どうぞお入りくださいませ」
無礼講とはいってもそこは貴族の客人、丁寧に案内して食卓へと通す。
今日の料理は豪華すぎず、かといって貴族としての品位を下げないように趣向を凝らしたもの。
そして、その真価を三人が見極められないなら、ネイリーの三人へ評価も落ちるだろうという打算も込められていた。
料理を並べ終え、アビゲイルは一歩下がって客人たちの反応を静かに観察した。
最初に動いたのは、青髪の女――セタールだった。
「この肉、いい鳥使ってるね」
ハーブを詰めたローストチキンを前に、まるで獲物を見定める狩人のような目をした。
ナイフを入れた瞬間、さらに目を細める。
「肉汁が澄んでる、餌が良かったのかな? 野生じゃない感じ」
「よくわかったわね。流石は食通ってところかしら」
「大食いなだけだろ」
仲間内の何気ない会話だが、アビゲイルは内心で驚いた。
(……肉の質を一瞬で見抜くなんて)
冒険者として多くの魔物を狩ってきてはいるだろうが、魔物ではなく家禽の質までわかるとは。
次に、寡黙な男――ルキッドが静かに木製の器を手に取った。
一見するとただのミルクのスープだが、ヤギミルクの代わりに高級品のアーモンドを砕いて絞ったアーモンドミルクをベースにしたスープだ。
「……この皿、冬切りのオークだな」
ルキッドは味ではなく器そのものに言及した。
アビゲイルの指がぴくりと動く。
「表面が滑らかで、色が澄んでいる。……いいものを使っている」
淡々と語るその声には、確かな知識があった。
「普段から木材を扱っているだけあるわね。陶磁器の良し悪しはわかっても、木器に関してはからっきしなんて人もいるのよ」
(ネイリー様の言う通りですね)
アビゲイルはルキッドの静かな目に、職人の品を感じた。
そして最後に、ケントがスープを口に運んだ。
「……これ、アーモンドを砕いて絞ったミルクか。贅沢だな」
ここにきてアビゲイルは、驚くことなくその言葉を聞いていた。
「火加減が絶妙だ。焦げやすいのに香りが飛んでない。それに沸騰させすぎると分離するし」
ケントは感心したように微笑んだ。
「このチキンも腹に詰めたハーブの香りが均一だな。詰め方も焼く前の寝かせ方も丁寧で、俺とは違うわ」
ケントはほぼ正確に言い当てていた。
アビゲイルが長年培ってきた家政婦としての技を、まるで見ていたかのように。
「あなた、ローストチキンを作ったことあるの?」
「たまには凝った料理もするんだぜ」
「ケントはアタシより味にうるさいからね!」
ケントの知識の深さを、他の三人はごく当たり前に受け入れている。
今日に限らずいつもこの調子なのだろうと察する。
「アビゲイルさん、すごいですね」
その一言に、アビゲイルは思わず背筋を伸ばした。
(……彼らはただ者ではありませんね)
三人とも、違う角度から良いものを見抜く目を持っていた。
冒険者という枠に収まらない確かな経験と感性。
アビゲイルは、彼らを侮っていた自分を静かに省みた。
食事が進むにつれ、三人は遠慮なく笑い、ネイリーも自然と笑顔を見せていた。
その光景を見ながら、アビゲイルはふと胸が温かくなるのを感じた。
(あの方が、あれほど自然に笑うなんて)
イーサ家の令嬢として育ったネイリーは、常に品位と冷静さを求められてきた。
笑うことはあっても、どこか距離を置いた微笑みだった。
だが今は違う。
肩の力が抜けて心から楽しんでいる。
(……良い友人を持たれましたね、ネイリー様)
アビゲイルの表情がふとほころぶ。
子爵から言いつけられた、冒険者との距離に気をつけるように、という指令。
だが、今日の光景を見てしまえば。
(……子爵様には、いい返事ができませんね)
それでも、アビゲイルは思った。
(けれど、ネイリー様が得難い友人を得たことは喜ばしいことです)
家政婦としての務めとひとりの人間としての感情。
その狭間で揺れながらも、アビゲイルはそっと微笑んだ。




