第三十八話 森を乱すもの
ペクタが正体を現した瞬間、森の空気が変わったような気がした。
鳥のさえずりも虫のさざめきも風さえも止み、葉擦れの音すら消えている。
まるで森そのものが息を潜めてこちらの様子を伺っているようだ。
「……こんなところに魔族が」
背後のネリが小さく呟く。張り詰めた声で緊張しているのがわかる。
セタールは軽口も叩かずに棍棒を静かに握りしめている。
肩がわずかに上下している。呼吸が浅い。
ルキッドはいつも通り無言で魔杖を構えるが、力が入りすぎていてどこか頼りなく見える。
「怯えているな、ヒト族。いい表情だ」
森都を捨てて新都に逃げた理由。それが目の前にいる。
相手は飛行種、逃げることは容易ではないだろう。戦うしかない。
「【水よ、鋭く走り、一太刀と……」
「させるかよっ!」
ペクタが白い翼を振るうだけで風が吹き荒れた。
飛ばされまいと踏ん張り、魔術は中断させられてしまう。
だが、暴風の範囲自体は狭かった。俺がダメでも他の人が攻撃できればいい。
「お行儀の悪い奴だなぁ。そんな奴にはこれがお似合いだ!」
再び翼が広げられる。風攻撃を警戒して身構えるがすぐに攻撃はこない。
相手はコルネット草と狼タケを握ってこちらに見せつける。
「身をもって味わうがいい!」
翼が大きく動いて風が起こる。同時にコルネット草と狼タケが握り潰される。
花粉と胞子が舞い、風に乗ってこちらに向かってくる。粒が大きく、黄色と茶色と混ざっているのが目に付く。
目くらましか。いや、違う。
「吸い込むないように!」
短く命令する。
腕に鼻を沈めながら、相手を見失わないように視界は確保する。
そんな様子をペクタは追撃してくることなく観察している。
「異常はないか!?」
花粉と胞子の混じった粒が体にまとわりついているが、体調に異変はない。
「大丈夫!」
右からセタールの端的な返事。
「……っ、魔力がはいらない!」
視界の左端、ルキッドが叫んだ。
魔杖の先端は光らずにただの棒切れみたいに沈黙している。
「こっちも魔力がこめられないわ!」
背後のネリも同じことを言う。
一体、どういうことだ。
「フハハハ! 無様だな!」
ペクタは踏ん反り返るように高笑いをしている。
「ルキッド!」
「わかってる!」
一言で理解したルキッドは魔杖から剣に持ち替える。
「うおおおお!」
そのまま隙だらけの相手に突撃する。
「アタシも!」
少し間を開けてセタールも続く。
「甘いわっ!」
左右からの挟撃は相手の翼にいともたやすく受け止められてしまう。
「そんなっ……!」
「何という硬さだ」
「魔術が使えなくなったら物理攻撃だぁ? 身体能力に劣るヒト族なんて束になっても効かねえよ」
言い放った相手は翼で二人を押しのけた。
この分では俺とネリは近いてもできることがない。
「冥途の土産に教えといてやるよ。コルネット草の花粉と狼タケの胞子を混ぜ合わせた粒にはな、魔力装填を阻害する効果があるんだよ! 杖がないと魔術が使えないお前らヒト族にはピッタリだな!」
勝ちを確信しているのか、両手を広げて大仰に言う。
何を言っているのか理解できない。
「ま、発見したのは我ではないがな。だが先に実戦すれば功績は我のものになる。お前らはその実験台なんだよ!」
最早こちらに言っているのか、自分に酔いしれているのかわからない有様。
だが、こいつが独断行動なのはわかった。
「ネリ、守りを頼む」
「……わかったわ」
背後のネリと場所を入れ替わり、ネリの背に隠れる。
「【水は絡み、識は結び、影を束ねる……」
「おいおい、話聞いてなかったのか? 魔力がこめられないから詠唱しても同じだって」
ずっと意味不明なことを言ってくる。早くアイツを黙らせないと。
「穢れなき鎖よ、敵を縛れ――水幻縛!】」
「無駄だって言ってるのに……、なっ!?」
しなやかな水の糸が無数に発射された。
「どうして魔術が使えるっ!?」
本当に何を騒いでいるかわからない。
「よし、拘束完了だ」
水の糸が敵の翼・頭・腕とあらゆるところに絡みついた。
「よくわかんないけど、チャンスだね!」
「……みたいだな」
ペクタのご高説はずっと不可解だった。
「ついでにもう一発。【水よ、鋭く走り、一太刀となれ――水刃!】」
俺は普通に魔術をこめられるのだから。
「グハッ!」
水の刃が相手を切り刻み白い羽と黒い体毛が飛び散る。
緑溢れる森に舞う白が映えて綺麗だと場違いなことを感じてしまう。
「クソがっ! マルトーの奴め俺を騙したなあ!!」
ペクタの叫びが森にこだまする。
血に塗れたその声は、木々に反射して返ってくるだけで誰にも届かない。
「流石に頭には効くよねっと」
セタールがペクタの脳天に棍棒を振り下ろした。
「よくもこの我をっ……」
一撃は見事に決まりペクタは気絶した。その場に崩れ落ちて枯葉が舞う。
それをネリが難しい顔で見ていた。
「……花粉と胞子の混合粉には魔力の流れを乱す効果があったのかもしれないわね。吸引をした人に効果を発揮するのか、魔力自体に働きかけているのかはわからないけれど」
短時間で出した結論はそれらしいものだった。
「魔力障害のあなたは常に魔力装填に苦慮していているから通用しなかった、そういうところかしら」
「かもな。今回ばかりは魔力障害様様ってところか」
勤めて明るい声で返す。
しかし、俺の思いも虚しく場には静寂が落とされる。
「ごめんなさい」
静寂を破ったのはセタールだった。
「アタシが採取任務をやろうなんて言ったからこんなことに」
「んなわけねーだろ。考えすぎだ」
頭を下げるセタール。
元より大きくない背中がより小さく見える。
「今日は通常任務の範疇、私たちには避けようがなかったわ」
「生き残った、それだけで十分だ」
続けさま慰めの声がかけられる。
「みんな、ほんとにごめん……」
「あーもう、らしくねえな。とりあえず反省は街に戻ってからみんなでする、それでいいな?」
「う、うん」
いつも明るいセタールがこんな顔をするのは珍しい。これは相当まいってる、後で励まさないと。
ペクタの体を縄でグルグルに縛り付けて引きずり、途中で何度も【水幻縛】をかけなおしながら新都へと戻った。
新都を囲む街壁が見えてきた頃には腕がじんじんと痺れていた。
遠目では人間を引きずり回しているように見えるのだろう、俺たちを視認した衛兵たちが慌ててやってくる。
「な、なんだそれはっ!? 魔物……いや、魔族か!?」
「そうです、引き取りをお願いします」
衛兵たちは少しの間ペクタを見たまま動きを止める。
しばしの沈黙の後、リーダー格っぽいひげ面の衛兵が真っ先に再起動する。
「おい! 責任者呼んでこい!」
「気絶させているだけなので、気をつけてくださいね」
下っ端の衛兵が鎧の擦れる音をたてながら門の方へ走っていく。
魔族は引き渡したし今日は疲れたから帰ってすぐ寝よう、とはいかないのが大人の辛いところだ。
街壁内の待機室、本来なら通行許可を待つための部屋で俺たちは待っていた。
「クソっ! 離しやがれ下等種どもめがっ!」
すっかり目が覚めてしまったペクタが暴れているため、それを押さえつける手伝いをする羽目になっている。
「どこだ!? 魔族が捕まったと聞いたが!」
バタンと壊れそうなほど勢いよく扉が開かれる。
先頭にいたのは禿頭の中年男性、瘴気事故で事情聴取を受けた冒険者ギルドの支部長だ。その後ろに具体的にはわからないが偉い人が続く。
応援の兵士も来ている。これでようやく俺たちの出番は終わりということにしてほしい。
「……見覚えがある顔だな。『真紅の鴉』といったか」
ギルド長の視線が刺さる。顔は険しくただ事ではないと一目でわかる気迫があった。
支部長の後ろでは応援にきた兵士たちがペクタを囲んでいた。
「……よく生け捕りにした」
「クソッ! クソッ! ヒト種如きが触るんじゃねー!」
「まあまあそんなに騒ぐなよ。後でたっぷりお話させてもらうからな?」
一際体の大きい兵士がペクタに詰め寄って朗らかに話しかけている。これからあの魔族にはお話しという名の拷問が待っているのだろう。
兵士たちがテキパキと手錠や足かせをはめ、ペクタをハンドカートに括りつける。
「詳しい話は中で聞く。運ぶぞ!」
整然と兵士たちがハンドカートを囲んで移動する光景は、罪人の輸送というよりは護送をしているように見える。
「……よくやった。後で正式に報告を聞く。今日は休め」
退出間際、ギルド長が振り返って労った。
扉が閉まり、室内の熱が急激に下がる。
「……終わったな」
「うん、そうだね」
思わず漏れた声にセタールが腰を落とす。
「明日から私も忙しくなるわ」
ネリは深く息を吐いた。
ルキッドは無言で頷く。
森都から逃げた理由である魔族を倒した、その事実が胸に広がる。
セタールの精神ケア、今回の件の事情聴取、魔族への備えとやることは多く残っているが、心の奥底に燻っていたものが晴れたような気がした。




