第二十六話 魔術師未満にでもできること
その日の夕刻、俺は仕事を終えて帰ってくるネイリーを待っていた。
いつもなら使用人の部屋で待つ俺だが、今日は玄関前のエントランスにイミダートやその執事たちと一緒にいた。今か今かとそわそわしているイミダートを俺を含め、皆が温かい視線を送る。
玄関から入ってきた瞬間、イミダートが勢いよく妹の名を呼んだ。
「ネイリー!」
「兄様? どうしたのですか、そんなに慌てて」
ネイリーが首をかしげる間もなく、イミダートは妹の手を掴んだ。
「聞いてくれ。俺は、魔術を使えたんだ」
「……え?」
ネイリーの表情が一瞬固まり、少し遅れてまばたきを何度もする。
「兄様、今、なんと……?」
「魔術だ。十年以上反応すらしなかった魔術が、今日使えたんだ!」
イミダートは興奮で頬を紅潮させ、まるで少年のように笑っていた。
「……本当に?」
「ああ、本当だ! ケントが見ている前で確かに火が灯ったし、使用人にも見てもらった」
「……よかった。兄様、本当によかった……!」
ネイリーの目には涙が浮かんでいた。だが、泣き崩れることはしない。ただ、兄の手をそっと握りしめ、喜びを噛みしながら微笑んでいた。
イミダートもまた、照れくさそうに笑った。
「……久しぶりだな。お前にこんな顔を見せるのは」
「ええ。兄様が、昔の兄様に戻ったみたいで」
兄妹の感動的な一幕に使用人たちも思わず涙ぐむ。幼少から知っているのか、ベテランの使用人のなかには大泣きする者までいる。
「ケント、お前には感謝してもしきれない。本当にありがとう」
周りに大勢人がいるなかでの礼にドキッとするが、これはわざと見せつけているのだろうと推測して次の言葉を探す。
「イミダート様。ここからが本題です。焦らず、ゆっくり進めていきましょう」
「……ああ。頼む」
翌日、ストレッチにマッサージとルーティンをこなした後、俺はまだ告げていなかったことを話す。
「イミダート様には、ひとつ知っていただきたいことがあります」
「なんだ?」
「あなたは六属性のうち、五属性の魔力を扱えます」
「……は?」
イミダートは少し困惑した後、すぐに怪訝な顔になった。
「俺は【土】と【火】だけだと聞かされていたぞ。幼い頃の適性検査でも、そう出た」
「その時点で、すでに魔力障害の症状が出ていた可能性があります。魔力の流れが滞っていたため、正確に測定できなかったのではないかと」
「そんなことが……」
「はい。実際、私の目には五属性すべての魔力が流れているのが見えています。ただし、【水】【風】【空】の三属性は長年使われなかったため、絡まって滞留していました」
「俺が、五属性……?」
イミダートは自分の手を見つめ、信じられないといった様子で開いては閉じてを繰り返す。長年魔術を使えなかったから当然の反応だろう。
「ええ。あなたは本来非常に優れた魔術に素養があるのです」
その言葉にイミダートは拳を握りしめる。悔しさか、驚きか、喜びか、その全てが混ざり合ったような表情だった。
「なら、俺はずっと間違っていたのか?」
「間違っていたのはあなたではありません。偏った訓練を強いられた環境と、適性検査の不備です」
イミダートはじっと俺の言葉を待つ。
「イミダート様。これからは五属性の魔術を使えるように訓練します。そうすることで、魔力の絡まりは完全に解消されるでしょう」
イミダートはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……わかった、やる。俺はもう一度、魔術師を目指す」
その声には、強い決意が宿っていた。
さらに二週間が経った。
毎日のルーティンは変わらないが、ついに、五属性全ての魔道具を使えるようになった。
そして、その時は訪れた。
「【風よ、犀利な流れで、切り刻め――風斬!】」
イミダートが掲げた魔杖から風の刃が走り、鍛錬場に吊るされた木の的をスパッと切り裂いた。
「よし!」
イミダートは満足げに魔杖を握りしめた。【土】と【火】以外の魔術も発動できるようになったのだ。ここまで来れば、もう大丈夫だろう。後は、再び魔力が絡まないようにするだけだ。
「ケント!」
イミダートが振り返り、満面の笑みを浮かべた。最初に出会った時の険のある表情はさっぱりなくなっている。
「お前のおかげで、俺はここまで戻れた。本当に助かった」
「いえ。イミダート様の努力の賜物です」
「謙遜するな。お前がいなければ、俺は一生魔術を使えなかった」
イミダートが手を差し出してくる。
「ケントよ、このままイーサ家で働かないか!」
「……へ?」
突然の申し出に、思わず間の抜けた声が出た。
「お前ほどの腕があれば、医師としてでも、魔術師としてでも、いくらでも役職を用意できる。給金も悪くないぞ。住む場所も、食事も、全部保証する!」
心が揺れた。
安定した雇用。安全な住まい。そして、イーサ家という強力な後ろ盾。甘い誘惑が、思考の隙間に静かに入り込んでくる。
冒険者としての生活は不安定だ。怪我をすれば収入は途絶えるし、命の保証もない。
魅力的すぎる話だが、『真紅の鴉』の仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。
自己中心的に見えるが、しっかりと周りを観察して仲間のために行動できるセタール。
寡黙で素っ気ないと思われがちだが、本当は優しくて趣味のことには饒舌になるルキッド。
そして、ネイリー――いや、ネリの笑顔。
俺には、帰る場所がある。
「……申し訳ありません。私には、まだ救うべき人がいますので」
イミダートは目を細め、考え込む。
やがて、納得した表情で頷いた。
「……そうか。 俺のように魔力障害に苦しむ人が他にもいるのだろう。ケントにはここに留まらず、治療して回る必要があるか」
「どうぞ、ご理解を」
俺は深く頭を下げた。
救済の道なんて考えていなかったが、もし、イミダートのように苦しんでいる人がいるのなら放ってはおけない。
全てを救えるとは思わないが、治療法を本にまとめれば救われる人は増えるかもしれない。
そんなことを考えていると、イミダートが笑いながら肩を叩いてきた。
「ケント、お前は俺の命の恩人だ。困ったことがあれば、いつでもイーサ家を頼れ」
「ありがとうございます」
イミダートの表情は、優しい兄そのものだ。
「兄様、今日の調子は――」
そこへ、仕事を終えたネイリーが部屋に入ってきた。
イミダートは振り返り、誇らしげに言った。
「絶好調だ。【水】も【風】も【空】も使えるようになったぞ」
「本当ですか? すごい……!」
ネイリーは胸の前で両手を合わせて、嬉しそうに微笑んだ。
変わったのはイミダートだけではない。ネイリーもいい表情になったものだ。
「ケント、あなたのおかげね。兄様がこんなに明るくなったの、久しぶり」
「いえ。イミダート様の努力の結果です」
「ふん。相変わらずだなケントは」
イミダートが笑い、ネイリーも笑う。
この兄妹を救えたのなら、ここに来た意味はあったと胸の奥で静かに感じた。
……これで、約束は果たした。俺の役目も終わりだ。そう思い、イミダートとネイリーにイーサ家を出る旨を伝えることにした。
「そうか、行ってしまうのか」
イミダートは少し寂しそうに口角を下げたが、すぐに笑みを浮かべた。
「だが、ケント。お前がいなければ、俺は一生魔術を使えなかった。恩に着る」
「こちらこそ、貴重な経験をさせていただきました」
イミダートは俺の肩を掴み、力強く言った。
「またいつでも屋敷に来い! 次は客人とて盛大に持て成してやるからな!」
「……ありがとうございます」
怪しげな庶民から客人に格上げ、それがイミダートからの最大の敬意だった。
出立の日、荷物をまとめて部屋を出るとネイリーが待っていた。
「ケント。心から感謝している」
「礼には及びません」
「魔力障害を治してくれたのはもちろんだけれど、兄様の笑顔を取り戻してくれたことが一番感謝しているわ」
ネイリーは深く頭を下げた。その姿は貴族としてではなく、一人の妹としてのものだった。
「……では、行きましょうか」
ネイリーの背中を追いかけて歩く。行きと違い明るくて広い廊下を通ることに疑問を覚えながら足を進めていると、玄関前のエントランスホールに着く。はて、俺がここから出ていいものなのか。そう思っていると、背後から声がした。
「ケント!」
振り返ると、圧巻な光景が広がっていた。
イミダートとその使用人たちがずらりと並んでいる。そして、遠巻きに夫婦らしき人が見える。あれが両親だろうか。
どうやら今日の俺は、客人として扱われているらしい。
「ケント! また来いよ!」
「はい。またいつでも」
広壮な玄関が開けられ、俺はネイリーに続いて邸宅を出る。一度振り返ると、並んでいた人がみな礼をしていた。
返礼をして、再び歩き出す。来た時に眺めるだけだった庭の噴水をぐるりと回り、正門に着く。この門は認められた人しか通れないものなのか。
一抹の名残惜しさと認められたという喜びを噛みしめながら、俺はゆっくりと門をくぐった。
帰り道、馬車の中でネイリーがぽつりと話し始めた。
「兄様、父様に報告したの。魔術が使えるようになったって」
「どうなった?」
「父様は驚いていたわ。でも、すぐに言ったの。イミダートが試験に合格して魔術師になれたら、後継ぎにするって」
「そこまで話が進んでいるのか」
「ええ。父様は、魔術が使えないこと以外は兄様が後継ぎに向いていると思っていたの。だから、本当に嬉しそうだった……」
ネイリーは窓の外を見つめながら、静かに微笑んだ。
「兄様は、ずっと苦しんでいたの。でも、ようやく前に進める」
「そうか。よかったな」
「ええ。いくら礼を言っても尽きないわ。ケント、私にできることなら、なんでもするわ。あなたは兄様の恩人だから」
その言葉に、俺は少しだけ悪戯心をくすぐられた。
「それなら、来年の魔術師試験で俺を合格にしてくれよ」
ネイリーは一瞬だけ固まり、すぐに破顔した。
「申し訳ないけれど、それだけはできないわ」
「世知辛いなー」
「当たり前でしょう。試験は公平でなければならないのよ」
言葉とは裏腹に、口調は穏やかだった。
馬車はゆっくりと街道を進み、夕暮れの光が差し込む。イーサ家での日々が、まるで夢のように思えた。
(……さて、帰るか)
『真紅の鴉』の仲間たちが待つ場所へ。
次回は日曜日更新予定です。
よければ評価、ブックマークをお願いします!




