第二十五話 ケント先生その二
イミダートが魔術を使えない原因はわかったが、それだけでは情報が足りない。まずは、情報を整理しなければ。
「……まず確認したいことがあります」
「なんだ?」
「イミダート様は、どの属性の魔術を使えるのですか?」
イミダートは苦い顔をする。
「昔の話だが【土】と【火】だ。魔力適性を調べた時にその二つしか反応がなかった」
「ありがとうございます」
俺の目には、イミダートの体内に五属性の魔力が流れているのが見えている。【土】【火】【水】【風】【空】――どれも確かに存在している。
だが、【水】【風】【空】の三つは、まるで糸が絡まったように滞留していた。
「詳しく聞いてもよろしいですか?」
「好きにしろ」
「幼少期から、【土】と【火】の魔術ばかり練習していたのですか?」
「ああ。イーサ家は代々【土】と【火】が家の象徴だ。俺もそれを鍛えるのが当然だと思っていた」
イミダートは当然のように言ったが、俺の中で一つの仮説ができた。
五属性を扱えるのに【土】と【火】ばかり使ったせいで、他の属性の魔力が滞ってしまったのでは、と。
魔力は本来、淀みなく循環させる必要がある。魔杖の場合、魔力が滞ってしまうと瘴気が発生する原因になる。人体の場合、血液と同じで体中を流れているから滞ることはない……というのは俺の推測だが、人の体から瘴気が発生したというのは聞いたことがないから間違ってはいないだろう。
だが、特定の属性だけを偏って使い続ければ、使われない属性は流れが鈍ってやがて絡まるのかもしれない。もう少し根拠がほしい。
「イミダート様。魔道具を使っていただけますか? 実際に魔力の流れがどうなっているのかを確認したいのです」
「無駄だと思うがな」
そう言いながらも、イミダートは拒否しなかった。ネイリーが横でじっと見つめているのも理由だろう。
持参していた魔道具を机に並べた。俺が勤める工場の工場長ジョイナーさんに用意してもらったもので、通常の魔道具はどの属性の魔力を流しても使えるようになっているが、これは特定の魔力にしか反応しないように細工してもらった特別製だ。
「では、こちらから順番にお願いします」
「はいはい……」
イミダートは面倒くさそうにしながらも、【土】の魔道具を手に持った。魔道具は反応しない。だが、イミダートの体内の魔力は確かに流れている。魔道具に流れていかないだけで、魔力自体は生きている。
(筋肉が邪魔してるのか?)
イミダートの鍛え抜かれた体、特に肩や胸の部分で魔力の流れが著しく遅くなっている。魔力の通り道が圧迫されているように見える。
「次はこちらを」
「ああ」
次に【火】の魔道具。こちらも反応はしないが、体内では魔力が動いている。
「次は【水】です」
「使えない魔力の魔道具なんて、やる意味があるのやら」
文句を垂れつつ【水】の魔道具に触ると、イミダートの体内ではほんの僅かに魔力が動いた。【土】【火】に比べて小さすぎる動きは目を凝らさないとわからないレベル。だが、やはり魔力はしっかり存在していることがわかった。
続けて、【風】【空】の魔道具も同様に使ってもらう。魔道具は反応しないが、体内の魔力が微動する。そして、一つの魔力が動くと、それに押されるように他の魔力も連動して動く。これは、いけるかもしれない。
「……どうだ?」
イミダートがやや不安げに俺を見る。その鋭い目が揺らいでいるような気がした。
「魔力自体は脈動しています。ですが、魔力同士が絡まり合い、互いに流れを邪魔しあっていると考えられます」
「魔力は、まだ流れているのか……!」
「はい。魔力の通り道が狭くなり、流れが滞っているのです」
イミダートは希望が見えたことに立ち上がりかけたが、すぐ堪えて椅子に深く腰掛けた。
「それで、なにかわかったのか。先生とやら」
仮面を被るように冷たい声に戻ったイミダートに、俺は姿勢を正して答える。
「……いくつか治療法は考え付きました」
「ほう。言ってみるがいい」
「まず、筋肉を落としていただきます」
「は?」
イミダートは突然のことに口をポカンとさせた。黙って見ていたネイリーも口元に手をやり、俺とイミダートを交互に見る。
「筋肉を落とせだと? 俺は魔術が使えない代わりに、剣術で家に貢献しようとしているんだぞ」
「理解しています。ですが、今のままでは筋肉が魔力の流れ阻害しています。魔術を使えるようにするためには、通り道を広げる必要があります」
イミダートは歯を食いしばった。
ネイリーは見ていられなくなったのか、そっと兄に頭を下げる。
「兄様、お願いです。ケントの言うことを聞いてください。魔術が使えるようになれば、兄様の努力は無駄になりません」
イミダートはしばらく黙っていたが、やがて観念したように答える。
「……わかったよ。筋肉を落とせばいいんだろう」
その声は悔しさと覚悟が入り混じっていた。
「それに加えて、魔道具を私が指定した順番で使ってください。そうすることで、絡まった魔力が徐々にほぐれます」
「お前が言うことは理解した。ただし、指示に従う代わりに治るまでお前はこの家に留まれ」
「……かしこまりました」
それだけ言い残して、イミダートはそそくさと退出した。もっと話は長引くかと思ったが、理解力があるようだ。
だが、めんどくさいことになった。
イミダートが退出すると、ネイリーがすぐに俺の方へ向き直った。
「滞在することになるとは予想外だったわ。申し訳ないけど、付き合ってもらえるかしら」
「もちろんです」
翌日から、イミダートの治療が始まった。
朝食を終えたあと、使用人に案内されてイミダートの訓練室へ向かう。
広い部屋の中央には魔道具を置くための台と、剣術の訓練用の木人が並んでいる。イミダートは既に待っており、腕を組んでこちらを見ていた。
「……で、今日は何をするんだ?」
「まずは筋肉を落とすための準備です。ストレッチと、マッサージを行います」
「マッサージ?」
イミダートは露骨に嫌そうな顔をした。
「俺は剣士だぞ。そんなものが役に立つのか?」
「魔力の通り道を広げるためには必要です。筋肉が硬いままだと、魔力が流れません」
「っは、わかったよ」
イミダートは渋々了承した。
とはいえ、俺がイミダートの身体に直接触れるのは立場的にも問題がある。そこで、ネイリーが事前に使用人を手配してくれていた。
「マッサージは使用人の方にお願いしています。私はストレッチの指示を出します」
「使用人に触られるのも気に入らんが、まあいい」
イミダートは床に座り、俺の指示に従って身体を伸ばし始めた。筋肉があるからといって体が硬くなるわけではないが、イミダートの場合は筋肉の可動域が狭く、魔力の流れを阻害している。魔力通りの絡まりに加えて、物理的にも魔力の障害があるのだ。
ストレッチが終わると、使用人が入室してイミダートのマッサージを始めた。
イミダートは最初こそ不満そうだったが、次第に表情が緩んでいく。
「……悪くはない」
「筋肉が柔らかくなれば、魔力の流れも改善します」
「ふん……」
素直じゃないが、拒否はしない。それだけでも進歩だ。
マッサージが終わると、次は魔道具の使用だ。
「では、昨日お渡しした順番で魔道具を使ってください」
「発動しないのに意味があるのか?」
「あります。魔力を流そうとするだけでも、絡まりが少しずつほぐれます」
「……まあ、やるだけやってみるか」
イミダートは【空】の魔道具に手を置いた。魔道具は反応しない。だが、イミダートの体内では確かに魔力が動いている。
次に【水】属性。こちらも反応はないが、魔力の揺れは昨日よりもわずかに強くなっていた。少しずつだが、滞っていた魔力が動き始めている。
「……で、なにかわかったのか。先生とやら」
イミダートは魔道具を置き、胡乱げな顔をする。
「はい。治療は順調です。この調子で続ければ、魔力の絡まりが解れていくでしょう」
「本当だろうな?」
「嘘は申しません」
イミダートはしばらく俺を睨んでいたが、やがて視線をそらした。
「……しばらくは続ける」
その言葉に、俺は胸を撫で下ろした。
治療が終わると、俺は使用人に案内されて昨日と同じ小さな部屋に戻った。
机には本が積まれている。魔術理論、魔力障害の研究書、貴族社会の歴史書まである。ネイリーが俺のために選んでくれたのだろうか。
俺は椅子に座り、本を開いた。外では使用人たちが忙しなく動き回る音が聞こえるが、この部屋だけは静かだった。
ページをめくっていると、扉がノックされた。
「ケント、入ってもいいかしら?」
ネイリーの声だ。
「どうぞ」
扉が開き、仕事終わりのネイリーが姿を見せた。少し疲れた顔が見えた気がしたが、すぐに凛とした表情に戻った。
「今日の治療、どうだった?」
「順調です。魔力が昨日より流れるようになっています」
「そう、それならよかった。兄様はどうだった? 嫌がってなかった?」
「少し抵抗感を覚えているようですが、私の指示に従ってくれました」
「ふふ、兄様らしいわね」
ネイリーは椅子に腰を下ろし、俺の読んでいた本に目を向けた。
「退屈していないかしら?」
「いえ、本を用意してくださっていますので。寧ろ、時間が足りないくらいかと」
「よかった。あなたが暇を持て余すのは、なんだか申し訳なくて」
「気にしないでください。治療がうまくいけば、それで十分ですから」
ネイリーは小さく微笑んだ。その笑顔を見て、改めてネイリーのためにも治してやらないと思った。
二週間が過ぎた頃だった。
毎日のストレッチとマッサージ、そして魔道具の使用。最初は渋々だったイミダートも率先してやるようになり、最近では俺は最低限の指示だけしかしなくなっていた。
そして、その日は突然訪れた。
「……なんだか、身体が軽いな」
マッサージを終え、イミダートが首を回しながら呟いた。
この邸宅に来た時と比べると、魔力の流れが格段によくなっている。絡まりが少しずつ解け、滞留していた魔力が動き始めている。
「倦怠感はどうですか?」
「抜けてきた。ここ数年で一番調子がいい」
俺は魔道具を机に並べ、イミダートに手で促した。
「では、今日も魔道具をお願いします」
「ああ……」
イミダートは【火】属性の魔道具に手を置いた。その瞬間、魔道具が淡く光った。
「……え?」
イミダートが固まる。
俺は思わず立場を忘れて歓声をあげそうになるのをこらえた。
「お、おい……今の、見たか?」
「ええ。間違いなく発動しています」
イミダートは呆然と手を見つめた。
「……嘘だろ。十年以上、反応すらしなかったんだぞ」
「イミダート様、魔術も行使してみますか?」
「……できるのか?」
「やってみましょう」
イミダートはしばらく迷っていたが、やがて決意したように立ち上がった。
「……鍛錬場に行くぞ」
「はい」
二人で鍛錬場へ移動する。広い空間に、冷たい空気が張り詰めている。イミダートは感触を確かめながら魔杖を前に突き出した。濁りのない白い魔杖、手入れを欠かさずしていたのだろう。
「……十数年ぶりだな」
その声は震えていた。
「【火よ、静かな灯を、我が手に点せ――点火!】」
イミダートが掲げた魔杖に、ぽっと小さな火が灯った。
駆け出しの魔術使いが最初に覚える、単属性の基礎魔術【点火】。だが、イミダートにとっては、十年以上前に失われた自分の力だった。
「…………」
イミダートはその場で固まった。
「ああ……」
そして、膝から崩れ落ちた。
床に手をつき、肩を震わせ、声にならない声を漏らす。
「……できた。俺の、魔術が……」
十数年ぶりの成功。失われたと思っていた力が、確かにそこにあった。
イミダートは顔を覆い、しばらく動けなかった。その背中は、これまでどれほどの悔しさと絶望を抱えてきたのかを物語っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。涙で濡れた目で、俺をまっすぐ見つめた。
「……ありがとう。本当にありがとう、ケント」
その表情は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。長い長い闇の中で、ようやく光を掴んだ人間の顔だ。
「まだ完全ではありません。ですが、ここから先は、もっと良くなります」
「ああ、信じる。お前の言うことを、全部だ」
イミダートは立ち上がり、拳を握りしめた。
「俺は……もう一度、前に進めるんだな」
「はい。そのために、私はここにいます」
鍛錬場には俺とイミダートしかいない。静かな空間に、イミダートの荒い呼吸だけが響いていた。
ネイリーにも早く知らせてやりたい、そう思いながら、俺はイミダートの横に立った。
「では、次の段階に進みましょう」
イミダートは涙を拭い、力強く頷いた。
次回は金曜日更新予定です。
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