第二十四話 高貴なる生まれ
ネイリーに兄であるイミダートの魔力障害を告げられてから幾らかの日が経った。その間に冒険者や工場の仕事をこなす傍ら、治療のための準備をしていた。
そして今日、満を持してイミダートのいるイーサ家の邸宅へ向かうことになった。
待ち合わせ場所で大げさな荷物を背負って待っていると、ガタコトと石畳を鳴らす音とともに一台の馬車が止まった。貴族が乗る馬車にしては質素だった。
「乗って」
短くネイリーは告げた。躊躇う暇なく馬車に乗り込む。
馬車の中は外見と同じくカーテンやクッションくらいしかなく簡素で、ネイリーの服装も余計な装飾はないシンプルなドレスだった。貴族として最低限の準備だけをしたのだろう。
馬車の中ではお互いに話すことなく、ネイリーは窓の外を見つめ、俺は落ち着かない気持ちを誤魔化すように何度も姿勢を変える。車輪が石畳を叩く規則的な振動が足元から伝わってくるのが、心臓の鼓動のように感じられる。
新都は新しくできた街。道が格子状に真っ直ぐに引かれていて、馬車の乗り心地が比較的マシなのが幸いだった。
「もうそろそろよ」
馬車に揺られること数時間、ネイリーが久しぶりに発した言葉で俺は窓の外を見る。できるだけ周りを見回さないように努めるが、視界に飛び込んでくる景色があまりにも別世界すぎて、どうしても目が泳いでしまう。
白木の家々が整然と並び、庭には手入れの行き届いた花々が咲き、噴水が静かに水を跳ね上げている。どうやら、新都の郊外に広がる貴族街の中でも特に格式の高い一角にあるらしい。これが俺が住んでいる街と同じとは到底思えない。
「イーサ家でございます」
やがて馬車が止まり御者が扉を開けた。外に出るとこれぞ貴族という立派な邸宅と、庭というには大きすぎる壮観な眺めが目に飛び込んできた。
イーサ家の邸宅は真っ白ではなく、夕陽に照らされたような温かみのあるほんのり赤みがかった色合いで、それが巨大な邸宅全体に使われている。白は二百色あるなんて言っていた人がいたが、こういうことか。
広大な敷地に図書館に劣らないほどの大きさの邸宅。門から伸びる道は中央に配置された噴水を迂回するようになっており、手入れの行き届いた庭を眺めながら玄関に辿り着くように設計されている。
これが貴族の家かと観察していると、ネイリーが門とは別の方向に歩き出した。
「あなたには、こっちから入ってもらわないといけないの」
「え?」
ネイリーが指差した先には正門とは別に設けられた小さな扉があった。正門の豪華さとは対照的に質素で狭い通用門だ。
「……正門は通れる人が限られているの」
ネイリーは申し訳なさそうに声を落とした。
「あー、そういう」
思わず呟く。こんなところでも身分の違いを感じさせられるのか。ネイリーが貴族だとは知っていたが、ここまで上の存在だとは思っていなかった。
「本当にごめんなさい。あなたを侮辱したいわけじゃないの。ただ、こういう決まりなの」
「いや、ネイリーが悪いわけじゃないだろ。冒険者には冒険者のルールがあるし、そういうもんなんだろ」
気まずそうに俯いたネイリーに軽い調子で返す。
実際、貴族のいない前世日本でも残っていた風習だ。俺自身も大手企業に訪問した時にやられたことがあるし、その時に比べたらマシな扱いだ。
「ところで、今日はネイリー様って呼んだ方がいいのか?」
冗談めかして言ったつもりだったが、ネイリーは一瞬だけ目を丸くしてすぐに小さく首を振った。
「……敷地の外では、今まで通りにしてちょうだい」
その声はどこか寂しげだった。失敗したな。
気まずさを引きずりながら、通用門へと足を踏み入れることになった。
通用門をくぐると空気が変わった。正門側の明るく整った庭とは違い、こちらは建物の裏側に続く細い通路で日当たりも悪い。影が差す薄暗い道が身分の差を視覚で表しているかのようだ。貴族の家というのは、ここまで徹底して身分を分けるものなのか。
俺は思わず周囲を見回したが、ネイリーが小声で言った。
「家の者には話を通してあるので、誰かに遭遇することはないはずよ」
「それは好都合です」
俺は自然と口調を正した。敷地内ではどこで誰が聞いているかわからない。ネイリーの立場を考えれば俺が軽口を叩くのはまずいだろう。
通路を進むと壁に沿っていくつもの扉が並んでいた。どれも質素で装飾らしいものは一切ない。使用人の部屋か物置だろう。
ネイリーはその中の一つを開けた。
「ここよ」
小さな部屋だった。机と椅子が一つずつ、棚には布や道具が整然と並んでいる。使用人の控え室だろうか。
「まずは、着替えてもらうわ。貴族の家に入る以上、最低限の身なりは整えておかないといけないの。それから、軽く礼儀作法を覚えてもらうわ」
「かしこまりました」
ネイリーは棚から服を取り出し、俺に手渡した。質素だが清潔なシャツとズボンだ。俺が着ている一張羅よりも相当質がいい。
「着替えたら呼んでちょうだい」
「はい」
着替えを済ませるとネイリーは椅子に座り、俺に向き直った。
「では、礼儀作法を教えるわ。と言っても最低限でいいの。 挨拶の仕方、姿勢、言葉遣い、それだけ覚えてくれれば十分よ」
「了解しました」
ネイリーが教える礼儀作法は言葉通り最低限の簡単なものだった。目を合わせず視線を下げる。お辞儀は深々と片膝をつける。言葉遣いは丁寧に簡潔に。
「……覚えるのが早いわね」
「恐縮です」
同じではないとはいえ前世での接客業や営業での経験をしていたこともあり、特に躓くことなく覚えていく。
しばらくして、ネイリーが腕を組んで俺をじっと見つめた。
「……あなたって、実は落胤だったりするのかしら」
「そんな恐れ多いことを。生まれも育ちも、私めは賎しい身分ですよ」
わざとらしく畏まってみせると、ネイリーはネイリーは渋い顔をした。
「……あまり畏まりすぎるのも不自然かもしれないわね」
「そうでしょうか?」
「ええ。礼儀正しいのはいいけれど、必要以上に卑屈なのは逆に怪しいわ」
「難しいですね」
「大丈夫。あなたは今の言葉遣いでも十分礼儀正しいわ。それに、今日は公的に会うわけじゃないから」
ネイリーはそう言って微笑んだ。その笑顔はネリのものだった。貴族としての顔でも、一級魔術師としての顔でもない。俺が知っている仲間としてのネリの顔だ。
少しだけ肩の力が抜けた。
「じゃあ、最後にもう一度だけ挨拶の練習をしましょう」
「了解しました」
そう言う声は落ち着いているのにどこか急いているようにも聞こえる。
兄に恥をかかせたくない、俺にも恥をかかせたくない。そんな気持ちが伝わってきた。
礼儀作法と着替えを終え、俺とネイリーは使用人用の廊下を抜けて邸宅の奥へと向かった。
廊下は相変わらず薄暗く、壁に掛けられたランプの灯りだけが頼りだ。豪奢な正面ホールとはまるで別世界で、ここが同じ家の中だとは思えない。
「……ここから先は、気をつけて。誰が話を聞いているかわからないから」
「心得ております」
自然と声が低くなる。敷地内では俺は下賤な者。ネイリーの立場を守るためにも余計なことは言えない。
案内されたのは、応接室の中でも最も格の低いと思われる部屋だった。壁の装飾はほとんどなく、家具も最低限。客人をもてなすというより待たせるための部屋だ。
「ここで待っていて。兄様を呼んでくるわ」
「承知しました」
魔杖や荷物を部屋の隅に置いてから、俺は中央で膝をついて平伏した姿勢で待つ。この姿勢を取るのは正直気分のいいものではない。だが、貴族の家で無礼を働くわけにはいかない。
数十分ほど経った頃、扉が勢いよく開いた。
「……またか」
苛立ちを隠そうともしない声が響く。
「イミダート兄様、こちらが本日お呼びした先生です」
ネイリーが丁寧に紹介するとイミダートは深いため息をついた。
ネイリーは俺の身分を隠すため、事前に民間の医者という設定を作ってくれていた。日本なら完全にアウトだがこの国では珍しくないらしい。
「お前もそろそろ諦めろよ」
その言い方は俺のような下賤な者を嫌っているというより、また怪しい治療師を連れてきたのかという呆れに近い。
ネイリーが必死に兄を救おうとして、人を呼ぶことが何度もあったんだろう。イミダートの反応は諦めと疲労が混じったものだった。
「……この部屋は俺とネイリーしかいない。多少の無礼は目を瞑る。面を上げろ」
「失礼いたします」
顔を上げると、イミダートが足を組んで座ってひじ掛けにもたれながら俺を見下ろしていた。
ネイリーと同じ銀髪に、観察するような鋭い目つき。だが、その奥には疲れの色が見える。剣術もしていると聞いていたが、鍛え抜かれた体は魔術師には見えない。不自然なほどに筋肉がついている。
「で、あんたは何者だ? 本当に医者なのか?」
「……民間で、魔力を診ることを生業としております」
嘘ではない。魔力の流れは見えるのだから。
イミダートは鼻を鳴らした。
「ふん。どうせ他の連中と同じだろうが、ネイリーが連れてきた以上は話くらいなら聞いてやる」
その言葉にネイリーが小さく礼をする。
俺は姿勢を正し静かに言った。
「まず、私自身の話をさせていただきます」
「俺に関係あるのか?」
「大いにあります。私は魔力を異物と感じてしまう体質で、魔力を自然に流すことができません」
イミダートの眉がぴくりと動いた。
「それで?」
「はい。魔力を通す時、必ず意識しなければ流れません。魔術の発動にも間が生まれます」
「……通常とは違う体質ということか」
どうやら興味は引けたようだ。
「イミダート様の魔力の流れを診るため、魔術を使わせていただいてもいいでしょうか」
「おかしなことをしていると判断したら、ただじゃ済まないと思えよ」
「はい、承知しました」
イミダートはネイリーの方を一瞬見てから了承した。
「こちら、お使いください」
ネイリーが俺の荷物を持ってくる。
その中から魔杖を取り出し、しっかりと握る。
「【水は震え、識は広がり、己を映す。静かな揺らぎよ、真を示せ――波識紋!】」
淡い水色の紋様が空中に広がり、イミダートの身体を包み込む。
本来この魔術は感情や記憶の揺らぎを読み取るものだ。だが、俺は魔力の流れを見るために使っている、という体だ。
「……その魔術、魔力の流れを見るものじゃないだろう」
だが、イミダートが鋭く指摘する。魔術は使えなくてもしっかり学んでいるのは本当らしい。
「本来はそうです。ですが、経験と研究で、魔力の流れも読み取れるようになりました」
もちろん嘘だ。だが、イミダートは納得したように黙った。
【波識紋】の光が揺らぎ、イミダートの体内の魔力が浮かび上がる。目を凝らして魔力を見る。
……これは、魔力の流れが絡まっている。糸がもつれたように複雑に絡み合い、正常な循環を妨げている。
これが魔術が発動しない利用なのだろう。絡まってねじれた魔力がまるで苦しんでいるように見える。
「それで、なにかわかったのか? 先生とやら」
イミダートの声にはわずかな皮肉が混じっていた。どうやら俺が本当の医者ではないことは見抜いているらしい。だが、俺は真剣に答えた。
「いくつか試したいことがあります」
イミダートは目を眇め、俺をじっと見つめた。
「……いいだろう。どうせ暇だ。付き合ってやる」
その言葉に、ネイリーが小さく息を呑んだ。
(……ここからが本番だな)
俺は【波識紋】の光を見つめながら、イミダートの魔力の絡まりをどう解くか考え始めた。
次回は水曜日更新予定です。
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