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魔術師未満  作者: 大日小月
第五章 令嬢の秘密

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第二十三話 魔力障害

 図書館を出たあと、ネイリーに案内されて向かったのは魔術師協会だった。

 受付でネイリーが名前を告げると、職員は頭を下げてからすぐに鍵を渡してきた。

 俺が同じことをしたらまず身分証の提示から始まるはずだ。ネイリーは一級魔術師、協会内での信用度は相当高いのだろう。


「行きましょうか」


 ネイリーは迷うことなく背筋を伸ばして歩く。

 協会の中は業務中の職員が忙しなく動き回る。図書館の静寂とは対照的に、ここは知識と魔術が渦巻く生きた場所だった。

 存在感を消すようにしてネイリーの後に続いて歩く。着いたのは応接間だった。

 厚い扉を開けて入ると外の気配がほとんど感じられないほど静謐な空気に満ちていた。机と椅子が二つ、壁には魔杖が飾られている。

 扉が閉まると、ネイリーは綺麗に伸びた背筋を正した。


「改めて自己紹介をしておくわ。ネイリー・ラド・イーサ。察しがついてたとは思うけれど、いわゆる貴族というやつよ」


 その口調は丁寧で無邪気な一面が垣間見えるネリでも、落ち着き払って冷静なネイリーでもなかった。もっと砕けていて年相応の少女らしさが混じっている。これが素なのだろう。

 こちらも取り繕わずに話すことにする。


「やっぱり貴族だったか」

「ええ。隠していたつもりはないけれど、冒険者として活動する時はあまり言いたくなかったの。余計な気を遣わせるでしょう?」

「まあ、確かに」


 俺は椅子に腰を下ろしてネイリーの言葉を待った。

 彼女は膝に置いた手を何度か重ねなおして、やがて、静かに語り始めた。


「……私の兄、イミダートは魔力障害なの」


 その一言で、部屋の空気が変わった気がした。


「魔力障害って、さっきの本にあったやつか?」

「そう。魔力はあるのに、魔術として行使できない。魔道具にも自然に魔力を通せない。子どもの頃は使えていたのに、成長するにつれて使えなくなったのよ」


 ネイリーの声は淡々としているが、その奥に沈んだ感情が見え隠れしていた。


「魔力障害は、根本的な治療法が見つかっていないわ。一度そうなると、魔術を使うことはほぼ不可能になる」

「……そうなのか」


 俺は昨日読んだ本の内容を思い出す。

 魔力がない。

 魔力があるが魔術が使えない。

 魔力を異物として感じてしまう。

 自分にも該当することだ。


「貴族社会では、魔術が使えることはステータスなの。魔術が使えない人は、それだけで見下される。特に、我がイーサ家のような武功で成り上がった家だからその傾向が強いわ」

「武功で成り上がったら魔術を使えないとダメなのか?」

「ええ。うちは代々、魔術に秀でた家系なの。だから魔術が使えないというのは、致命的な欠点と見なされる」


 そこまで言ったところでネイリーは一度言葉を切った。握りしめた拳がわずかに震えている。その震えは怒りなのか、悔しさなのか、あるいは無力感なのか。


「兄は長男よ。本来なら家を継ぐべき人。でも、魔術が使えないという理由だけで、嘲笑されている。無能、出来損ない、家の恥、そんな言葉を平気で投げつけられるの」

「……ひでぇ話だな」

「ええ。私もそう思うわ」


 ネイリーは一度気持ちをリセットするようにゆっくりと瞬きをする。


「でもね、兄は諦めていないの。魔力障害を治すために、毎日訓練して、研究して。魔術が使えなくても剣の腕を磨けば魔物は倒せるから剣術にも力を入れているわ」


 その姿を思い浮かべているのだろう。ネイリーの表情はどこか誇らしげだった。兄想いな妹だ。


「私は兄に家を継いでほしいと思っているの。魔術が使えなくても、兄は立派な人だから」


 静かな部屋に、ネイリーの言葉だけが響いた。

 俺は何も言えなかった。

 ネイリーの兄の話を聞きながら自分の状況を考えてしまう。だが、それを今ここで言う勇気はなかった。


「あなたに聞きたいことがあるの」


 その声は覚悟を決めた人間の声だった。

 閑散とした部屋のどこにも逃げ場がないように感じてしまう。


「ケント、あなたが魔力障害じゃないかと思っているの」


 その問いが俺の胸を深く刺した。個室の空気がやけに重く感じる。

 ネイリーは俺の沈黙を責めることなく静かに続けた。


「……ケント。驚かせたならごめんなさい。でも、私はずっとあなたに聞きたかったの」


 その声は図書館で見せた研究者の顔ではなく、もっと個人的で切実な響きを帯びていた。


「どうして俺に?」


 ようやく絞り出した声は、思った以上に掠れていた。


「……私は兄の治療法をずっと探してきたの。魔力障害について調べて、より高度なことを知るために一級魔術師にもなったわ」


 淡々と語るが、その裏にどれほどの努力があったのかは想像に難くない。


「兄のために、魔術師になったのか?」

「ええ。兄のためよ。魔力障害は根本的な治療法が見つかっていない。でも、私は諦めたくなかった。そんな時だった、魔術師認定試験の試験官としてあなたに会ったのは」


 俺が実技試験で時間切れになった、あの日か。


「あなたの魔術の発動に違和感があったの。詠唱は正確で迷いがない。なのに、魔杖を構えてから魔術が発動するまでに、妙な間がある。その間が、本で読んだ魔力障害の症例と酷似していた」


 ネイリーの瞳がまっすぐ俺を射抜く。


「でも、あなたは魔術を発動できていた。兄は魔術が使えないのに、あなたは使える。その違いがどうしても気になったの」


 鋭い指摘に思わず視線を逸らしてしまう。ネイリーはもう確信している。


「その後、瘴気事故の件であなたの特異性を再認識したわ。冒険者ランクと本当の実力が乖離していると」


 ネイリーは胸に手を当てた。


「その瞬間、興味は関心に変わったの。何か手がかりになるのではないかって」

「……手がかりか」

「その後、『真紅の鴉』が臨時でメンバーを募集していると知って、私はすぐに手を挙げたわ。あなたと一緒に任務をすれば、何かわかるかもしれないと思ったから」


 バインドツリーの討伐の時、ネイリー、いや、ネリが加入した理由が単に冒険者としての経験を積むためだとは思ってはいなかったが、一緒に任務をこなすうちに加入の経緯について俺は深く考えないようになっていた。

 しかし、その裏では彼女は必死に手がかりを探していたのか。


「一緒に任務をするうちに確信したの。あなたは、魔力障害を克服しているのではないかって」


 ネイリーは椅子から立ち上がり、俺の前に歩み寄った。


「ケント。どうやって魔力障害を克服したのか……教えてほしいの」


 その声は震えていた。必死に抑えているのがわかる。


「もしできるなら、兄のイミダートの魔力障害を治してほしい。あなたなら、何か知っているはず」


 ネイリーは深く頭を下げた。スラっとした長身が、今はやけに小さく弱弱しく見える。


「お願い。どうか、兄を助けて……!」


 その姿は貴族でも一級魔術師でもなく、ただ兄を想う妹の姿だった。

 

 俺は魔力障害を克服なんてしていない。ただ、魔力の流れが見えるから無理やり魔力を流し込めているだけ。治療法なんて知らない。

 だが、それを言えばネイリーはどう思うだろう。兄を救いたいという必死の願いを俺はどう受け止めればいい。

 心臓の鼓動がやけに早く響く。


(……どうする)


 ネイリーは頭を下げたまま、俺の言葉を待っている。

 俺は考えた。己の保身のことを。

 もし俺が魔力障害だと知られること、これは問題ない。だが、魔力が見えることが知られたらどうなる?

 魔力の流れが見えたら、魔物の動きが格段に予測しやすくなる。今までずっと任務で一人だけズルをしていたようなものだ。セタールやルキッドが知ればどう思うだろうか。


 次に、ネイリーのために何ができるか。

 兄を救いたいという必死の願い。そのために一級魔術師になり、治療法を探して俺を追いかけてきた。その努力と覚悟を無下にしていいのか。


 そして、この世界に転生してからずっと抱えていた違和感について。

 魔力を自然に流せない。それを俺はずっと、苦手な工程くらいにしか思っていなかった。全属性の魔力を扱えるチートじみた能力の代償と考えたこともある。

 しかし、ネイリーが持ってきた本には、その症状が魔力障害として記されていた。

 俺は魔力障害だったのか。自分でも知らないうちにずっとハンデを抱えていたのかもしれない。


 しばらく沈黙が続いた。

 ネイリーは頭を下げたまま、微動だにしない。


「……ネイリー」


 俺がようやく口を開くとネイリーが顔を上げた。表情はほとんど変わらない。だが、瞳の奥が揺れている。


「多分、俺は魔力障害だ」


 ネイリーの瞳が大きく見開かれた。


「本を読んで気づいた。魔力を自然に流せない。魔道具に魔力を通す時、必ず意識してしまう。魔術の発動に間がある」


 言葉にすると胸の奥が妙に軽くなるような、逆に重くなるような不思議な感覚だった。


「でも、俺はそれを障害だとは思ってなかった。ただ、魔力を流すのが苦手なんだと思ってた。治そうなんて考えたこともなかった」


 ネイリーは唇を噛みしめ、俺の言葉を一つも逃すまいと聞いていた。


「克服なんてしてない。ただ、魔力の流れが見えるから、無理やり合わせてるだけだから、治療法なんて知らない。俺自身、治ってないんだから」


 そう言うと、ネイリーはほんの一瞬だけ目を伏せた。その表情は、普段の冷静な彼女からは想像できないほど脆く見えた。

 だが、すぐにこちらをまっすぐに見つめた。


「……それでもいいの。あなたがどうやって魔術を使えているのかを知りたい。兄にも同じことができるかもしれないから」


 藁にも縋るような思いとはまさにこのことだろうか。

 切実な願いに胸が揺さぶられる。


「治せるかはわからない。でも、できることがあるなら協力する」


 その言葉を口にした瞬間、 ネイリーは瞬きを一度だけした。その一瞬で瞳の奥に光るものが揺れた。だが、涙は落とさない。

 彼女は強い。兄のために泣くことすら後回しにしている。


「……ありがとう、ケント」


 その一言に、どれほどの想いが込められているのか。俺には計り知れなかった。

 こうして、知らぬ間に背負っていた魔力障害とネイリーの願いに突然向き合うことになった。

 逃げる道はもうどこにもなかった。

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