第二十二話 図書館にて
白い木材はこの世界では特別な価値を持つ。魔術的な性質が高く魔杖に使えば性能も価格も跳ね上がる。そんな素材をふんだんに使った建物となれば、それはもう高級品だ。魔術で温度が管理され、湿度も一定に保たれ、外界の影響をほとんど受けない快適空間になる。
もちろん、木造建築にはデメリットもある。湿気に弱い、火に弱い、虫に弱い。だが、この世界では魔術でそれらの多くを打ち消してしまう。それでもどうしても消し切れない弱点が一つだけある。
それが、物理的耐久性の低さだ。だから、重要な建築物の中には、建物の周囲をレンガの壁で覆って外からの攻撃を防ぐ構造になっているものがある。
そして、その代表格が今日俺が来ている場所、図書館だ。
インターネットのないこの世界では知識や情報は力そのもの。それを守るために防御を固めるのはある意味当然の発想なのだろう。
今日は『真紅の鴉』の休養日。ネリに呼び出されて、この新都の建造物でも一、二を争う広さを誇る図書館に来ていた。
どうにも図書館という施設は前世日本ほど多く存在しているわけではないらしい。この新都にはここにしかないこともあってやたらと図体が大きいのだろう。
図書館の周囲は石の壁でぐるりと囲まれてまるで知識そのものを守る砦のようだ。図書館を見上げていると、背後から声がした。
「お待たせしたでしょうか」
振り返るとネリが静かに立っていた。いつもの冒険者装備ではなく、落ち着いた色のワンピース姿だ。柔らかい布地が風に揺れ、普段の凛とした印象とは違う落ち着いた知性をまとっている。知的な雰囲気が図書館に妙に似合っている。
一級魔術師でも駆け出しゴールドランク冒険者でもない恰好は初めてみる。果たして、今日の彼女はネリなのかネイリーなのか。
「いえ、いま来たところです」
「それはよかったです。さあ、行きましょう」
「はい」
その表情から正解かどうかはわからなかった。図書館へ向かう彼女の背中を追う。今日の髪型はポニーテールではなかった。
図書館の中は外観以上に迫力がある。天井が高く、建物中に本棚が整然と並んでいる。三階建てになっており、どの階も本、本、本。壁に沿って並ぶ本棚は、人の背丈を遥かに超える高さだ。背の高い人でも踏み台がないと届かない場所にまで本が収蔵されている。
図書館に関しては前世よりこちらの世界の方が遥かに見ごたえがあり、何度きても感心してしまう。
一階にある本は学術的価値があまり高くないものが中心で誰でも読むことができるが、貸し出しは不可。閲覧スペースに持っていって読むだけだ。
「本を取ってきます。少々お待ちください」
そう言い残して、ネイリーは自宅の書斎を歩くように堂々と去っていった。
残された俺は適当にレシピ本を手に取り、閲覧スペースで読むことにする。
新都で流行っているのは叙事詩や宗教書だが、俺の趣味ではない。魔物の生態図鑑や魔術の教導本は、ギルドのものも含めて現時点で読めるものは全部読んでしまった。
そこで、興味が湧きそうで実用的なレシピ本を選んだのだった。
二階や三階には俺が読んだことのない本が山ほどある。だが、二階は身元の確かな人だけ、三階は一部の限られた人だけが入れる場所。俺には無縁の世界だ。
ページをめくっていると背後から声がした。
「レシピ本を読んでいたのですね。てっきり図鑑とか魔術に関するものをお読みになるのかと思っていました」
ネイリーが積み重ねた本を両腕いっぱいに抱えて戻ってきた。口調は優雅だが、腕が少しプルプル震えている。
俺が返答する間もなくネイリーは机に本を下ろした。震える腕でも音をさせず丁寧に置いたのは彼女なりの本への敬意の現れだろうか。
持ってきた本は一冊一冊が分厚く、鈍器になりそうだ。
「そういった本は粗方読み終えてしまったので。レシピは知っていれば野営にも使えるので、読み物と実用書を兼ねています」
「そういう視点もあるのですか。ケントさんは読書がお好きなのですね」
「いえいえ、人並みですよ」
ネイリーだと意識すると、少し緊張してあまり上手く話せない。やけに喉が渇く感じがする。
「その本はどこから持ってきたのですか」
「三階です。何度も往復するのは非効率なので、まとめて持ってきました」
「三階ですか……」
三階の本を持ち出せるとは相当身分が高いのだろうか。一級魔術師やゴールドランクの冒険者でも三階の本は閲覧はできても持ち出しはできないと聞いたことがある。
ネイリーは只者ではないようだ。
そんなことを考えているとネイリーが一冊の本を俺の前に置いた。古い紙の酸味とインクの鉄のような匂いがする。前世で嗅いだいい本の香りではなかった。
「まず、これを読んでもらえないでしょうか」
ネイリーが俺の前に置いた本は分厚い革表紙の古い書物だった。表紙には見慣れない文字でこう書かれていた。
「魔力伝導の異常と症例」
普段な気にも留めないような無機質な文字列が、俺の心を騒がせる。
こちらを見るネイリーの瞳は真剣そのものだった。
差し出された本を丁寧に受け取る。ページをめくると細かい文字でびっしりと文章が並んでいる。
内容はとある医者が患者を診察した記録をまとめたものだった。
患者は魔力障害とされる人々。その症状は幅広い。
まず、魔力そのものを持たない者とある。
これは俺も知っている。魔力がない人間は魔術も魔道具も使えない。ぶっちゃけ迫害の対象だ。
次は、魔力はあるが魔術として行使できない者と書かれている。
魔力は体内にあるのに魔術が発動できない。魔力を流し込むのができなかったり、圧縮ができなかったりするようだ。
魔道具や魔術を使えていたのに成長とともに使えなくなる者。
魔力の流路が成長とともに変化し、魔道具や魔杖の要求する流し方と合わなくなるのか、魔力を通そうとすると内部で魔力が詰まったように停滞して発動しないらしい。
魔力を異物として認識してしまう者。これが一番気になった。
魔力を流す時、体が拒否反応を起こす。魔力を流し込む際、自然に流せずに必ず意識して魔力を押し出す必要がある。その結果、魔術の発動に微妙な間が生まれる。
ページをめくる手が止まる。
――これは、俺のことではないか。
魔杖を握って魔力を通す瞬間だけどうしても意識してしまう。自然に流れない。昨日ネイリーに指摘されかけた部分だ。
魔力障害は魔力がない人のことじゃなかったのか。俺はてっきりそう思っていた。だが、この本に書かれているのは魔力があるのに扱えない人間の話だ。
しばらく黙って読み続ける。ページをめくるたび、紙が擦れる乾いた音がやけに大きく響く。周囲の静けさが逆に心臓の鼓動を強調しているようだった。
ひと通り目を通したところで、俺は本を閉じた。
「それで、これを読んでどうしたらよいのでしょうか」
自分でもわかるほど声が硬くなっていた。
ネイリーは表情を変えず、静かに言った。
「他にもまだあります。読んでください」
机の上には、まだ数冊の分厚い本が積まれている。
ネイリーに促されて次の本を開く。
こちらは魔力障害を含む魔力関連の病気を体系的にまとめた専門書だった。
魔力の流路の形状、魔力の質、魔力の癖。
魔力が強すぎて制御できない者。逆に弱すぎて魔術式が安定しない者。魔力が体内で渦を巻くように流れ、魔術発動のたびに体調を崩す者。
そして、魔力伝導の遅延。魔力を流し込む際、意識しないと流れない、自然に流れずに遅延する、という症状があると書かれていた。
――やはり、俺のことじゃないか。呼吸が早くなる。
さらにネイリーが持ってきた三冊目は、魔力障害の治療法をまとめた本だった。
前世日本人の感覚で言えば、かなり怪しい。
魔力の流れを矯正するために体を縛って固定する。
魔力の流路を広げるために魔力を帯びた薬草を煎じて飲む。
魔力を活性化するために魔石の上で瞑想する。
なかには、魔力の流れを強制的に変えるために魔力衝撃療法という名の拷問に近いものまであった。
これは絶対やりたくない。思わず本を閉じた。
一冊、また一冊と読み進める。どれも難解で、専門用語が多い。
だが、読めば読むほどに、パズルのピースが埋まっていく感覚がする。心当たりがないわけじゃない。魔力を通す時の違和感。六属性の魔力を使えること。魔力が見えること。
だが、それを言葉にする気にはなれなかった。
読み終えた頃、ネイリーが静かに問いかけてきた。
「……何か、心当たりはないでしょうか」
その声は責めるようなものではなく、ただ事実を求めるだけの穏やかな声だった。
それでも俺は、喉が詰まったように言葉が出なかった。
「……どうでしょう」
誤魔化すように言うと、ネイリーはしばらく俺の顔を見つめていた。
その瞳は何かを決意したように揺れている。
そして、ネイリーはゆっくりと口を開いた。
「実は、私の兄は魔力障害です」
その一言に胸が強く跳ねた。
ネイリーは続けようとしたがそこで言葉を止めた。唇を噛んで視線を落とす。
図書館の静寂がやけに重く感じられた。
俺は何も言えなかった。ネイリーもそれ以上は語らなかった。
ただ、机の上に積まれた本だけが無言で俺たちを見下ろしていた。
ネイリーの兄が魔力障害。なら、ネイリーは俺に何を聞きたいのか。
「……場所を移しましょう」
「……はい」
俺はその言葉に従うのが精一杯だった。
図書館を出ると、傾き始めた太陽が白木の壁を照らしていた。
ネイリーは手櫛で髪をかき分けて、俺に向き直る。
「ケントさん、もし話を聞くのが嫌になったらすぐに言ってください」
その声はかすかに震えていた。強がりでも命令でもなく、ただのお願いだった。
「……わかりました」
俺はゆっくりと頷いた。
ネイリーはほっとしたように微笑んだ。その笑顔の奥に何か強い決意があるように見えた。
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