第二十一話 嬉しくない指名依頼
季節はいつの間にか移り替わり夏。眩しい朝日から逃げ込むようにギルドの扉をくぐると、中は外より幾分涼しく、木の香りと紙の匂いが混じり、落ち着いた空気が漂っていた。
こちらに気づいた受付嬢ミルダさんがぱっと顔を明るくした。
「『真紅の鴉』の皆さん、ちょうどよかったです。指名依頼が来ています」
「指名依頼?」
思わずオウム返しをする。
指名依頼は、依頼人が特定の冒険者やパーティを名指しで依頼する特別な依頼。名の知れたパーティに貴族が護衛を頼むこともあれば、ギルドを通さないと依頼を受けられないため形式的に出されることもある。
が、うちに指名依頼なんて今までなかった。『真紅の鴉』はカッパーランクの小規模パーティ、名声があるわけでもなく指名される理由など、普通はない。
「ギルドからの依頼です」
「ギルド?」
ミルダさんは頷き、依頼書を差し出した。
「内容は、カースヘイズの討伐です」
その名を聞いた瞬間、セタールの顔が引きつった。
「カースヘイズ、あーあれかぁ……」
カースヘイズは黒い霧状の魔物。
一体一体は弱いが、数が多く、物理攻撃が効かない。魔術的攻撃でなければ倒せない面倒な魔物だ。
魔力を込めて魔術を帯びた攻撃のできる武器もあるため、冒険者なら誰でも討伐は可能だが、魔術を使った方が圧倒的に早い。
そのため、魔術師のいないパーティは避ける傾向がある。
俺は魔術使いだからそれは問題ないが、魔力を通す回数が多くなるからできれば避けたい魔物だった。
「カースヘイズの群れが確認されまして。放置すると周囲の魔力や瘴気を吸収して増殖してしまうため、ギルドとしては魔術師のいるパーティに指名依頼を出しました」
説明するミルダさんがネリを一瞥する。なるほど、ネリがいるから指名されたってことか。一級魔術師兼ゴールドランク冒険者がいたら、そりゃ頼むわな。
「あ、今日は用事があったんだった。ごめーん、後は任せたね!」
セタールが突然、目を泳がせておどおどしながら踵を返した。
「嘘つけ。カースヘイズが面倒だからだろ」
「ち、違うよ!? あれがこれで、それがあれだからー!」
セタールは手をぶんぶん振りながら後ずさる。声も裏返っている。
悪事がバレた子どもような焦り方だ。
「まあ、セタールは普段と違う武器を使うことになるし、手応えのない相手だから逃げたくなる気持ちはわかるが」
「今日は本当に用事ができるから!」
「じゃあまだないじゃん。この前のしんみりしたセタールはどこにいったんだよ」
「忘れて! あれは一時の気の迷い!」
セタールはそのままギルドの外へ逃げていった。
ミルダさんは苦笑しながら依頼書を差し出す。
「……というわけで、残った皆さんでご検討ください」
セタールがいなくなり、一瞬静寂が訪れる。
「『真紅の鴉』では指名依頼は今までにあったのですか?」
ネリが静かに尋ねる。
「いんや。カッパーランクしかいないパーティに指名する人なんていないって」
「なるほど。私がいたから指名されてしまったのかもしれないですね」
「そうかもしれんな」
ネリは少し申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ご迷惑でしたら、私が個人で受けても――」
「いやいや、そういう意味じゃない」
両手を振って否定する。
「指名されるってのは、それだけギルドが信用してるってことだ。ありがたく受けておこうぜ」
「……はい」
ネリはほっとしたように微笑んだ。
(……カースヘイズか。面倒だけど、やるしかないな)
カースヘイズが発生するのは湿気が多いところや空気の淀んだところだ。今回発生しているのは湿地帯、足を踏み入れると空気が一気に重くなる。足元はぬかるみ、踏み込むたびにぐちゅりと嫌な音がした。
ルキッドは相変わらず無言。ネリも静かで、魔術の話以外はあまり自分から話さないタイプみたいだ。セタールがいない今、この二人が並ぶと湿地の空気が静まり返っている気がする。
俺も話すのが得意なわけじゃないが、ここはそうも言ってられないか。
「ネリ、湿地は初めてか?」
「はい。足場が悪いので、詠唱の位置取りを考えないといけませんね」
「まあ、今回はカースヘイズだからそこまで気にしなくていいさ。あいつら、こっちに向かってくるだけだし」
「そうなのですね。参考になります」
そんな会話をしながら進むと、黒い霧に漂われた地帯が見えてきた。
「カースヘイズだな」
ルキッドが短く言う。
無数の黒い霧がふわふわと漂い、時折形を変えながらこちらへ寄ってくる。霧のように見えるが、れっきとした魔物だ。黒い霧はただ漂っているだけなのに、じっと見ているとこちらを観察されているような錯覚に陥る。
「じゃあ、始めるか」
魔杖を構えて核に狙いを定める。カースヘイズ自体は弱いから魔力はあまり込めず、圧縮もしないことを意識する。
「【水よ帯となり振るい打て――水揮鞭!】」
水が細くしなやかな鞭となり現れる。魔杖から伸びた鞭を振るって霧の中央の核に叩きつけるキンッっと軽く衝突音が生まれる。核に罅が入り形を保てなくなったカースヘイズが消滅した。
スカスカの魔力で放った一撃でも倒せるくらい弱い。寧ろ、強い威力の魔術を放つと軽いカースヘイズは勢いで飛んで行ってしまうから、最低限の威力じゃないとダメなのだ。
「【火よ瞬く熱を撒き放て――火散!】」
ルキッドも同じように霧を払う。
「こんな感じだけど、できそうか? くれぐれも高威力の魔術をぶっ放さないように」
「最小限の威力ですね。わかりました」
ネリは魔杖を握り直し、軽く目を閉じる。どの魔術を使うのか吟味しているのだろう。
「【風よ犀利な流れで切り刻め――風斬!】」
空気が震える音がして鋭い風が吹く。風は鋭い刃となってカースヘイズの核を真っ二つにした。
「こういう感じでしょうか」
「いい感じだ。後はそれを延々と続けるだけだ」
そう、討伐自体は驚くほど簡単。カースヘイズは魔術に弱く、魔術を当てれば一撃で消える。問題は数が多いことだけだ。
三人で一定の距離を保ちながら、次々と魔術を放っていく。集中力を切らしてうっかり威力の強い魔術を発動しないようにしないといけない。
だが、ネリがしきりに俺の方を見ている。その視線を認識して、少しだけ気まずくなる。なんだろう、何か顔についているのか。
何かあるとすれば、ルキッドと比べると討伐数に差が少しずつ出ていることか。
サボっているわけではないのだが、魔力を通す時に一々意識しないといけない俺は、魔杖を構えてから魔術が発動するまでに微妙に時間ロスが生まれる。普段なら気にならないくらいだが、カースヘイズように数をこなす相手だとその差が目に見えてくる。
やがて、討伐の隙を縫ってネリがこちらに歩み寄ってきた。
「ケントさん、もしかして、魔力を通す時に何か意識していますか?」
「え? いやー、セタールがいないと落ち着かないのかなー?」
俺は笑って誤魔化した。
ネリはじっと俺を見つめたが、すぐに視線をそらした。
その視線はただの確認ではなく、何かを測るような静かな探求心を感じた。
「……そうですね。今は討伐に集中しましょう」
それ以上は何も言わなかった。誤魔化せている自信は正直あまりない。もしかして、ついに感づいたのか。
ネリの考えは読めない。だが、俺の魔術について何か思うところがあるのは確かだ。
その後は黙々と討伐を続け、湿地帯の黒い霧はすっかり晴れた。
任務が終わり、街へ戻る道すがら。ネリが俺の横に並んだ。
「ケントさん」
「ん?」
「次の休みに、図書館に来ていただけませんか?」
「図書館?」
「はい。少し、お話ししたいことがあります」
ネリの表情は真剣だった。俺は首をかしげながらも頷いた。
「わかった。行く」
「ありがとうございます」
ネリはほっとしたように微笑んだ。
やっぱり、何か気づいたんだろう。
ネリが図書館で何を話すつもりなのか、帰り道はそれで頭が一杯だった。
街に戻りギルドへ向かう途中、広場の方から、聞き覚えのある甲高い笑い声が響いてきた。
「……ん?」
視線を向けると、屋台の前でセタールが友達らしき女の子たちと談笑していた。何か面白い話をしているらしい。
「……用事って、これかよ」
思わず呟くと、ルキッドが小さく鼻で笑った。
「セタールらしい」
ネリは困ったように微笑んだ。
「楽しそうですね」
「楽しそうだな。……まったく、あいつは」
俺は肩をすくめた。湿地での戦闘の疲れが、どっと押し寄せてくる。
すると、セタールはこちらに気が付いたのか手を振って手招きをしている。
「お疲れー! ストロベリープディング買ったから食べなよ!」
「用事って買い食いしてのかよ。ってなんだこりゃ?」
渡されたのは、潰したイチゴにミルクやらハチミツやらが混ぜられたプルプルした温かいゼリーっぽいもの。見た目は前世であった牛乳を混ぜて冷やすお菓子みたいだ。
「新作なんだって! ロピちゃんと一緒に回ってて見つけたんだー」
「あ、この前は、ありがとう、ございました」
黒髪の小柄な少女がたどたどしく礼を告げる。
「ああ、『黄金の女豹』の子か」
俺が先生役として、魔術の詠唱する時のコツを教えたロピだ。なるほど、一緒に遊ぶ程度にはセタールと友好関係を築いているのか。
「ほら、ルキッドとネリちゃんの分も買ってあるよ!」
「わざわざ、ありがとうございます」
「……いただく」
イチゴの甘酸っぱい湯気が鼻孔をくすぐる。ネリが何を話すのかについて考えすぎた頭が糖分を欲している。
「しゃあないな。これに免じて今日のサボりは不問とする」
「えへへー、作戦通りー!」
交友関係の少ない俺やルキッドと違ってセタールは顔が利く、こういう遊びもパーティにとって必要なことだ。今日は各々の役割を果たした、そういうことにしよう。
渡されたストロベリープディングの甘さとスパイスの混じった奇妙な味が、心のもやもやをいくらか晴らしてくれたような気がした。
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