第85話 やらないか
即位式が終わるとアナリーゼは直ぐに王都シリウス奪還作戦のための軍議を開いた。
玉座に座るアナリーゼは開口一番に告げる。
「先ず今回の出征に関しては私自身が兵を率いるわ。つまり親征ね」
親征。君主が自ら軍を率いて出陣することである。君主自らが出撃する事により将兵の士気を高められ、名誉を重んじる封建貴族達に兵力の出し惜しみを許さないなどのメリットがある。一方で君主自らが出陣する以上、そうそう軽々しく撤退などはできないし敗戦するような事があれば君主の権威を傷つけかねない。オリヴァント四世の父である武王ガルヴァリスによるアスモデウス王国征伐は親征のメリットによって大成功し、そしてデメリットにより大失敗したといえるだろう。
「良きご判断かと思われます。恐れながら大陸には未だ先王ヴィクトリス陛下の妹君であらせられるエミリー殿下が王を名乗っておられ、女王陛下の正当性に疑問を持つ者もおられますれば、陛下自ら王都シリウスの奪還を果たす事が、陛下が唯一のバエル王国の君主である事の証明となるでしょう」
群臣達を代表して元帥クロムウェルがアナリーゼの発言に賛同を示すと、他の者たちもアナリーゼの決断を称えながら同調を始めた。
実のところ軍議が始まる前にアナリーゼが親征する事は織り込み済みなので、このやり取りはただの形式上のものでしかない。一介の公爵令嬢ならまだしも、一国の王が出陣するというのは、それだけ面倒なのだ。
「総大将は王である私だけど、私は兵を率いる事に関しては素人よ。実質的な大将はクロムウェル元帥にやってもらうわ。私からは余計な口は出さないから、思うようにやって」
「ははーっ」
「私の近衛としてアスール、けどアスールはクロムウェルが必要と判断したら引き抜いても構わないわ」
「はい」
「三成さんは兵站全般をお願い」
「承知」
「それと東部からはバルバトス伯を総大将にした別動隊が動く手筈になっているわ。この別動隊と上手く連動しながら――――」
その時、会議場の扉がノックもなく開かれノアが姿を現した。
全員に緊張が走る。このタイミングでノアが現れて、それが吉報だった試しがないからである。
「女王陛下、一大事です。革命軍が動きました」
果たして想像通りノアから放たれたのは凶報であった。
「どこへ動いたの?」
「東部です、東部へ侵攻を開始いたしました」
「革命軍も軍を二つに分けて、先んじて東部に侵攻したのね。でも予定は変わらないわ。東部が革命軍の半数を相手しているうちに、私たちは北上して王都を……」
「待て、アナリーゼ」
命令を出そうとしたアナリーゼを三成が制した。
「聞くがノア。革命軍は軍を分けたのか?」
「いいえ、革命軍は王都を放棄しました。全軍をあげて東部へ殴り掛かっております」
アナリーゼが親征すると発表した時のわざとらしいものではなく、本物のざわめきが起きた。王都陥落は革命軍にとって最も誇るべき大戦果であり、革命成功の象徴のようなものであったはずである。それを捨てたというのがにわかには信じられなかったのだ。
「王都を捨てただと!? では王都はどうなったのだ!」
ハレーが怒鳴る様に聞くと、ノアは冷静に答えた。
「完全に無人です。革命軍は持っていけるものは、全て北部の旧フルカス領や、ナベリウス領などに引き揚げてしまったようですね。私の掴んだ情報によると、一部の幹部は王都の焼き討ちを進言したそうですが、ヴォーティガンが『王都は王のものではなく、人類の財産だから』と却下したそうです」
「革命軍の首魁にこのようなことを言うのはなんだが、ヴォーティガン・リドルという男は、理性のある人物のようだな」
ハレーが感心したように言う。民主共和主義なんていう概念が生まれたばかりのこの世界の貴族にとって、革命軍というのは訳の分からない思想を持つ野蛮の徒のような認識なのだ。
「無人の王都、攻めれば一兵も損なうことなく占領できる……わけがないわね。共和国軍も王都を狙ってるだろうから……」
カシム率いる共和国軍に先んじて王都を奪還し、カシムが素直に引き下がるならばそれでいい。王都を奪還してもカシムが引き下がらなかった場合や、共和国軍の方が先に王都を奪還した場合はそのままアガレスと共和国の間で本格的な軍事衝突に発展してしまうことだろう。
「最悪、共和国と潰し合いをしている間に革命軍によって東部が陥落なんてことになりかねないわね。仕方ないわ、王都は諦めましょう」
「でも王都を抑えることは歴史的に大きな意義があるのでは?」
「いいのよアスール。取り返してもあそこを王都にするつもりはなかったから」
「そ、そうだったんですか?」
「王都シリウスは平和な時代や、戦争をする相手が外国の時はいいが、内乱になると脆い。それが此度の動乱で証明された。例えアナリーゼによって天下統一が成されても、直ぐに世が平らかになる訳ではない。内部に火種を抱えた国の都としてシリウス市は不適切だ」
三成の分かりやすい説明の通りだ。なので天下統一後も首都は引き続きアガレス領内にあるアルタルフに置くことになるだろう。それなら仮にまた内乱が起きたとしても、テグミン要塞さえ死守すれば今や天領となったアガレス領は維持できる。
「まあ王都奪還を果たしたという正当性を共和国にとられるのは痛いですが、止むを得ないでしょう」
「共和国は王都シリウスからの難民を抱えている。中核を為している元王軍にも王都を故郷とする者も多い。故に共和国は例え我等とぶつかる危険性があると分かっていても、王都奪還に動かざるを得ないだろうからな」
ハレーと三成が其々言うと、クロムウェルが悪い笑みを浮かべ口を開いた。
「しかしタダでくれてやるのも芸がない。共和国に対して使者を送っては如何です?」
「使者を? どういうことクロムウェル?」
「以前の詫びに革命軍はこちらが相手にする故、安心して王都シリウスに入城されたしと伝えるんです。最終的な目標は天下統一だとしても、常に全勢力と敵対状態にある必要はありません。例え細くとも共和国とのパイプを繋ぎ直しておいて損はないかと」
嘗てバルドゥス・グランドールの下で双璧とされたクロムウェルとトリスタン。戦術家としての二人を比べた場合、純粋軍師であるトリスタンが僅かに凌駕するだろう。だがクロムウェルは政戦のバランス感覚と戦略眼においてはトリスタンを圧倒していた。だからこそ、こういう政治的な配慮も行える。
アナリーゼもクロムウェルの進言に頷くと、
「分かったわ、直ぐに共和国へ使者を送りなさい」
「はっ!」
「それと東部へも使者を送って。私たちが駆け付けるまでは防戦に徹して耐えるようにって。くれぐれも軽挙妄動しないように厳命しなさい」
「御意」
命令を出し終えるとアナリーゼは目を瞑って、額を押さえ暫し沈黙する。
あまり長時間緊張し続けて働くのは体に毒だ。やるべき仕事は多くあったが、任せられるものは全て家臣に任せると、アナリーゼは軽い運動をしてから睡眠をとることにした。
そして共和国ではクロムウェルや三成の予想した通りとなっていた。
革命軍が王都を放棄したらしいという情報が伝わるや否や、王都を奪還せよと兵士や市民達が一斉に政庁へと押しかけて来たのである。それに合わせて共和国首脳部でも軍議が開かれていた。
「俺たちは王都を脱出する際に、王都の住民を引き連れてきた。正当性云々より彼らを故郷へ返すためにも、王都奪還は必ずやり遂げなければならない。問題は……」
」
「アガレスが東部を斬り捨てて、目先の王都占領を優先するという愚挙を犯した場合、我々とアガレスとで王都で衝突してしまう可能性があるということですね」
カシムの懸念をローワンが的確に言い当てる。
かといって兵士や市民達の感情を慮れば、王都奪還に動かないという選択肢がないのも事実だった。もしここで王都奪還に動かずにいたら、共和国は兵士と民衆の支持を失ってしまうだろう。民衆の支持については取返しもつくが、兵士の支持を失う事は軍事政権にとって致命的である。
「いや、警戒するべきはそれだけじゃない」
艶のあるベルベットボイスで意見を述べたのは、王政府の不興を買い地方に飛ばされていて最近共和国へ合流してきたアヴェリウス・ヴィジンティリオン中将である。はち切れんばかりの胸板に彫りの深い顔立ちと男らしい色香のある人物だった。左遷されて中央を離れることになる前までは、改革派のリーダー格としても活動していた男で、今は名実共にリーダーとなったカシムも気を遣わなければならない相手である。尤もアヴェリウスはそういった事に拘って先輩面したり不必要に馴れ馴れしい態度をとったりしないイイ男であったので、カシムは素直に信頼していた。
「どういうことだ、アヴェリウス総参謀長」
「護国卿。俺たちの背後にはエミリー王女を王に担ぐウァレフォルがいるのを忘れるな。ウァレフォルは西部の支配権を確立して、東へ打って出る機会を虎視眈々と伺っている。俺たちが下手に意識を王都へ向けてる間に、ケツを狙われたらたまったものじゃないぞ」
「た、確かに……」
トーマスが頷いた。
「王都って黄金色の玉を掴むために、自分のケツを突かれちゃ世話がない。かといってウァレフォルのいる西側に兵を大分割いたら、肝心の東で負ける。どうにかして戦線を一つに絞りたいな」
「ウァレフォルと手を組むと?」
「俺たちとヴェロニカ……の担ぐエミリー殿下には色々遺恨もある。いきなり表立ってケツ拭いた紙ごとトイレに流すわけにはいかないだろう。国が面子を失ったらおしまいだからな。だが表じゃできないなら、校舎裏でこっそりやればいい。ヴェロニカたちにもっと緩くて突きやすい尻があると教えてやるのさ」
「そうか……北部か!」
アヴェリウスは頷くと地図を広げた。
「御明察。じゃあ地図を見てくれ、こいつをどう思う?」
「……凄く、よくできてます」
ローワンが生唾を飲みながら言った。アヴェリウスが持ち込んできた地図は、ソロモン大陸が勢力事に色分けされていて誰にでも見やすくなっていた。これなら子供だって一目で今の勢力図がどうなっているか分かるだろう。
「あ、それとウァレフォルは私たち以外に、北部の革命軍とも隣接していますね」
「ヴェロニカの目的を俺たちではなく、革命軍にするわけか」
シーリンとカシムが言うと、アヴェリウスは「そういうことさ」とにやりと笑ってみせた。
「だが諸刃の剣だ。ヴェロニカの勢力拡大を見逃すようなものだぞ」
最近の情勢は派手な動きをするアナリーゼばかりが目立っているが、能力的にはヴェロニカのそれはアナリーゼを遥かに凌駕する。ヴェロニカが大勢力を築き上げてしまえば手が付けられなくなるだろう。
「その時は革命軍なりアガレスと裏で手を組んで、ウァレフォルを抑えればいい」
「そんな節操のないことでいいんですか?」
リュミナが疑念を言う。
「いいのさ。革命軍も、アガレスも、ウァレフォルも、滅ぼされた東部四大諸侯も掲げた理想やら大義やらのせいで、他の勢力と手を組むってのが難しい。そこへいくと俺たちは革命軍とも、アガレスとも、ウァレフォルとも他のどの勢力とも手を組める余地がある」
今の共和国は軍人貴族による共和制国家だ。これを全市民にまで拡大すれば革命軍と同調する事ができる。また立憲制への移行を条件とすればウァレフォルやアガレスと手を結ぶ事も出来るだろう。
「ビッチになるのさ。ピュアボーイや、ピュアガールはいつだってビッチに弱かった」
「ピュアボーイは……ビッチに弱い……ふむふむ」
律儀にシーリンがメモをしていると、これまで黙っていたレオン・ジュストが激怒して立ち上がった。
「さっきから黙っていれば、ビッチだのケツだのと何を言ってるんだ! 大体手を組む相手を決めずに尻軽ビッチムーブをしてたら、いずれ全員から捨てられて、孤独に死ぬことになるぞ!」
「だがレオン・ジュスト。ビッチには純情ビッチというものもある。股はいくらでも開くが、心を開いたのはたった一人。そういう純情ビッチであれば、最終的に一人の男のもとに収まることもできるんじゃないのか?」
「夢を見るな護国卿! そんなものは童貞の妄想の中にしか存在しない!」
「いや、しかし俺が読んだ小説には、貴族の三男坊と娼婦が純愛の末に結ばれるという話があった!」
「フィクションじゃないか!」
カシムとレオン・ジュストがどうでもいい言い合いをしていると、アヴェリウスが割って入る。
「レオン・ジュスト、君もまだ青いな」
「……なにがだ?」
「ビッチが男に捨てられたら、おしまいって思ってる事がさ」
「違うっていうのか?」
「ビッチは逞しいのさ。男に捨てられたら、自分一人で生きていけばいい。愛は消えても、色んな男と寝て稼いだ財産は消えないんだからな。そもそも俺たち共和国にしても、他の勢力にしても、目指しているのはバエルの統一だ。どこと手を組もうと最終的には裏切って潰しあう運命なんだよ」
「そういう道だけではないはずだ。例えば……」
「革命軍と手を取りあい、共に王政を打倒する、ですか?」
のんびりした調子のローワンが言うと、レオン・ジュストがぎょっとした顔をした。ローワンの表情は穏やかそうに見えるが、その目はまな板の鯉をこれから捌く料理人のように冷たかった。
「思い返せば貴方は会議中も、革命軍の利になる発言をすることが多かった。巧みなのはそれが我が共和国の利にもなったことですが、流石に無節操に情報を流しすぎましたな」
「情報を、流す? どういうことだ! 俺たちの情報が敵に漏れていたのか!」
「とぼけないでいい。レオン・ジュスト、お前が革命軍のスパイであることの裏はとれている」
カシムがそう告げた瞬間、レオン・ジュストは反射的に魔法を放とうとする。だがそれがシーリン(ナディア)の逆鱗に触れた。シーリンは愛しい兄に殺意を向けたレオン・ジュストに飛び掛かると、即座に斬り伏せた。
「ぐぅ……ぁあ……かく……めい……万、ざ……」
末期にそう言い残し、レオン・ジュストは自分の作った血溜まりに倒れる。
カシムは仲間だと思っていたスパイを見下ろし少しだけ悲しい目をすると、
「さて、反対意見は消えたな。ではアヴェリウス参謀長の案を採用する」
異議は出なかった。そして直ぐにウァレフォル家へ送る手紙の内容をどうするべきか話し合おうとしたタイミングで急報が入った。
「会議中、失礼いたします。ウァレフォル家から密使が来ております」
「流石はヴェロニカ、行動が早いな。こちらから使者を送る手間が省けた。早速その密使と会おう。だがその前に、内通者の首を切って晒しておいてくれ」
「はっ」
ヴェロニカからの密使の内容は、カシムが予感した通り内密の休戦協定であった。カシムはその協定を受け容れる旨を使者に伝えると、自分は王都シリウス奪還のための準備を始めた。
アナリーゼからの王都シリウスに侵攻しない旨の書状が届いたのはその直ぐのことである。
共和国が休戦協定を受け容れた事が伝えられ、ウァレフォル家ではアスモデウス王国との戦いに参戦経験のある者を中心に安堵の声を漏らした。イスマイル・エリゴスが"自爆"する光景を目の当たりにした者にとって、同じ超魔法を受け継ぐカシムと戦う事は悪夢でしかないのだ。
それはウァレフォル家の総司令官を任じられたハインツ・ロンメル元帥もその一人だった。
「これで革命軍本拠地である北部を狙うことができますね。今までは下手に動けば留守を共和国に襲われる恐れがありましたから。……それとも軍師殿におかれましては騙し討ちして共和国を狙えとでも仰せになりますかな?」
「まさか。下手に共和国を追い込んで、エリゴスの自爆攻撃のターゲットにされてはたまりません」
騎士道精神に溢れ堂々たる戦いを好むロンメルと違い、シェパードにはそんなセンチメンタリズムな感傷は一切ない。しかし共和国軍と本格的に潰し合う事のリスクは共有していた。
「自爆か……確かに自爆という運命に抗うためにクーデターを起こしたのがカシム・エリゴスだが、もし彼がイスマイル元帥の薫陶を受け継いでいるなら、味方を守るためにそれしか手がなくなれば、躊躇はしないだろうからな」
「その通りです、ロンメル元帥。我々の理想としては、アガレスあたりが共和国を追い込んで、カシム・エリゴスがアナリーゼ諸共消えてくれれば万々歳なのですが」
「そう都合よくは運ばないわよ」
ヴェロニカが無感情に言う。
「物事がうまくいくよう知恵を絞るのが役目と心得ております」
「ならいいわ! さ、北部を攻めるわよ!」
革命軍、アガレス、共和国と続き西方の雄ウァレフォルも本格的に動き始めた。
そしてバエル王国が動乱の渦中にある中、ベリアル王国には解放された王太女ディアーヌが漸くの帰国を果たしていた。ディアーヌは休む間もなく執務室へ行くと、弟のレイヴェンからの報告を受ける。
「姉上。イジドール自由連邦以外の全ての勢力から、自分たちを正当と認めるよう求める使者がきておりますが、どうしますか?」
「こういうモテ方は嬉しくないですねえ」
ディアーヌは今すぐにでも殺し合う友人たちのもとへ飛んで行って、戦いを止めたいという激情を抑え込む。そしてベリアル王国の君主としての判断を告げた。
「現状どの陣営が勝つかは不明ですし、下手な火傷をしないよう、革命軍以外のどの陣営にもそこそこいい顔しておいて保留……ですかねえ。個人的にはヴェロニカかアナのどちらかが残ればいいと思いますけど」
「それでも残る国は一つです」
「はぁ。なんで私は王太女なんて大層な地位を持ってるのに、友達の喧嘩一つ止められないんですかね」
「姉上……」
「国は、重い」
姉の独白を聞いて、レイヴェンは嘗て安易に王位を求めた己を恥じた。




