第75話 ダイナミック婚約破棄
三成と共に近衛兵を引き連れアガレス領に向かうユージーン達一行の前に、漸くアガレス領の国門たるテグミン要塞が見えてきた。
軍事の素人ですら一目で難攻不落だと直感するテグミン要塞の威容を見て、ユージーンは目を輝かせる。
「あれがアガレス領の入り口にして、アガレスを守護する鉄壁、テグミン要塞か。見事なものだな」
「は。数百年に渡り代々土属性の高位魔導師が、城壁はもちろん土に至るまで硬化の魔法を重ねがけしてきたため、どれほど強力な魔法をぶつけてもびくともいたしません」
「王都の不落神話はただ単に敵に攻撃されることがなかっただけだが、テグミン要塞は違う。三百年前、王家がこのテグミン要塞の献上を求めてアガレス家と争った際も、王軍は野戦で大勝利しながら、この要塞を突破することが終ぞできず手打ちになったという」
ユージーンはその時は王家に背いたアガレス家を不愉快に思ったものだが、それが自分の味方になるならば話は別である。忌まわしかった要塞が、己を守護する鉄の女神に思えてきた。
「素晴らしい! この要塞といい、まさしく王たる私が仮の都とするに相応しい地だな! いっそ王都シリウスを奪還した後、正式にアガレス領内に遷都するのも悪くないな」
浮かれての発言だったが内乱でバエル王国中が荒れている今、それは中々鋭い考えであるといえた。ユージーンは王族としての教育をサボりまくっていたヴィクトリスや、宰相ドラコリスによる念入りな暗愚化教育が施されておらず、熱意を持って学習に励んでいたので一定以上の能力は持ち合わせているのだ。惜しむべきは正妻の子である兄弟達へのコンプレックスから、派手で巨大な実績を求めるあまりに空回りばかりしてしまうことだが。
「でしたら都はアルタルフ市にするが宜しいかと。アガレス領内で最も栄えた都市です」
「考えておこう」
三成の進言に頷いたユージーン。するとテグミン要塞の城門が開いて、武装した兵士がぞろぞろと溢れ出てきた。アガレス家の軍旗を掲げる完全武装の兵たちは、一糸乱れぬ行軍でユージーン達一行を囲むように横へ広がっていった。
「お、おい! 城門から三千近い兵士が出てきたぞ。なにが始まるのだ?」
「歓迎です」
物々しい雰囲気に動揺したユージーンに、三成が簡潔に答えた。
「そ、そうかそうか歓迎か! まあ反乱騒ぎが起きて物騒だからな! 多少の物々しさは仕方ない、か」
その時、兵士たちの列が割れて、馬に跨った女性が現れる。
夜の闇のような濃紺のドレスに身を包み、傍らに蛇矛を持つメイドと、秀麗な執事を従えた彼女はアナリーゼその人だった。
「アガレス領へようこそ、ユージーン殿下。アナリーゼ・アガレスです」
ユージーンはアナリーゼの外見をまじまじと見つめてから、満足そうに笑みを浮かべた。
「おう、出迎えご苦労、アガレス嬢……いいや、我が妻よ! だが言い間違えているぞ。私は殿下ではなく陛下だ!」
そんなユージーンへのアナリーゼの返答は、
「取り囲みなさい」
手で展開した兵士たちに合図をすることだった。瞬間、整列していた兵士たちが一斉にユージーンの退路を塞ぐように後ろへ回り、一斉に槍をユージーンとそれを守る兵士たちに向けた。さっきまでユージーンの隣にいた三成は、何時の間にやらアナリーゼの隣に移動している。
「お、おい! なんだこれは!? 王たる私に武器を向けるとはどういう了見だ!?」
「殿下を守る兵士たちに告げるわ。死にたくない人は武器を捨てなさい。そうすれば殺しはしないし酷い扱いもしないわ」
ユージーンを無視してアナリーゼは一方的に告げた。
「お、おいアガレスが乱心したぞ! わ、私を守れ者共!」
「え、あ、し、しかし…………」
ユージーンの近衛兵達が竦みあがった。なにせ近衛兵達はざっと百ほどしかいない。三千のアガレス軍に完全包囲された状態で勝ち目は万に一つもなかった。しかもアナリーゼの隣にいるアスールが超人的武勇の持ち主であることは知れ渡っていた。
「やりなさい」
そこでアナリーゼの号令が告げられ、囲っていた兵たちが一斉にユージーンへ殺到し始めた。仮にも王であるユージーンの近衛兵である。半数ほどの近衛兵は自分たちの王を守るためアガレスの兵隊に立ち向かうも多勢に無勢。槍で突かれ次々に討ち取られていった。そして残りの半数は、
「ま、待て! 俺たちは武器を捨てた! 手を出さないでくれ!」
ユージーンに義理立てして一緒に死ぬより、自分の命の安寧を選んだ。
「な、なにをしているお前ら! 私の近衛だろ! 高い給金を貰ってるだろうが!」
ユージーンは激怒するも、もはや彼に従う者はこの場に一人もいない。アガレスの兵士たちはアナリーゼが言った通り投降した近衛兵には手を出さず、残ったユージーンを取り押さえた。
虜囚の身となったユージーンの下へ、馬から降りたアナリーゼが歩いてくる。
「何故だ! どうして婚約者の私にこのようなことをする!?」
「ユージーン殿下、貴方との婚約を破棄するわ」
「は?」
「理由は最初から、貴方の全てを奪うための作戦だったからよ」
「なん、だ……もが、もがもががあぁ」
叫ぼうとするユージーンに兵士の一人が猿轡を噛ませた。そして斬首用の大斧を持った死刑執行人がユージーンに近づいてくる。その意味するものを知ってユージーンは狂ったように暴れ出した。だが複数人がかりで抑えつけられているせいで、逃げる事は叶わない。
血走った目でユージーンはアナリーゼを見る。そこには復讐の喜びでも憎悪でもなければ、殺人への悲しみや恐怖すらない冷徹な目をしたアナリーゼがいた。そしてそれがユージーンがこの世で見た最後の光景となる。
「……ッ!?」
猿轡の隙間から、声にならない断末魔が漏れる。
死刑執行人が振り降ろした斧は一撃で首を切断し、ユージーンの首がころんと転がり落ちた。
「終わりました、アナリーゼ様」
「水属性の魔法が使える人は、ユージーン殿下の首級に『防腐』の魔法をかけておいて。この首級は時期を見て晒すから、それまで大事に保管しておいてね。首から下のほうは先に埋葬しなさい」
「はっ」
素早く指示を出すアナリーゼに、軍服を着たクロムウェルが近づいてくる。
「アナリーゼ様、軍を出す準備は万事完了しておりますれば、すぐにでも出陣できます」
「まだ待って。出陣するのはカシム先輩が、王都シリウス攻撃を始めてからよ。革命軍と共和国軍の戦いが始まったタイミングで、軍を東部へ出撃して、東部を併呑するわ。出陣と合わせて全国に檄文を発し、ユージーン殿下の首級は国王陛下殺害の大罪人として晒すから準備しておいて。それとユージーン殿下が死んだことは、まだ漏れないようにお願い」
「はっ、万事滞りなく」
「じゃあ後はお願い」
「はっ」
仕事を任せると感情をまるで出さないまま要塞内へ戻っていくアナリーゼ。そんなアナリーゼを見てノアは戦慄した。
(俺は究極的には自分の見たことしか信じない男だ。だが初めて自分の見ているものが信じられなくなった。これがあのアナリーゼか)
そこにノアが仕えた頃の、無邪気で天真爛漫な少女の面影は何処にもなかった。




