第72話 初めてのプロポーズ
アガレス公爵家の評定の場には群臣達が勢揃いしていた。
既にヴィクトリスとその婚約者であったマルグリットの死は知れ渡っている。そしてハレーやクロムウェルを筆頭とした文武の家臣達は、主君アナリーゼが二人と親しくしていたことも知っていた。なので本当にアナリーゼはちゃんとこの場に出席できるのか心配する者もいたのだが、それは杞憂であった。
「アガレス家ご当主、アナリーゼ様のおなり!」
衛兵が言うと扉が重厚な音を響かせて開く。そして三成を伴って現れたアナリーゼは、いつもの明るいドレスではなく、夜のように暗い濃紺のドレスを着ていた。
アナリーゼは群臣達に一瞥すらせず真っ直ぐに玉座へと歩いていき、悠然と腰をかける。
そこは公爵家当主しか座ることの許されない場所であるが、王政府も流石に全国への非常事態宣言はしており、特例法により当主代行のアナリーゼは未成年であるが既に正式に公爵家当主である。なので何の問題もないのだが、それでもアナリーゼが一度も断りもせずに堂々とそこに座ったのは、いつもの彼女を知る者にとっては驚きであった。
「じゃあ軍議を始めるわ」
玉座に座るアナリーゼは群臣達を見下ろしながら宣言した。
(驚いた。親しいヴィクトリス殿下やマルグリット嬢があんなことになってしまったから、流石に塞ぎこんでしまうだろうと思っていたのだが)
(家臣からしたら頼もしいんだけど、お嬢様より年上の女としては、こういう気丈さは見てて辛いわ)
(お労しい……が、流石は俺が主君と認めた人だ。立ち直られるのが早い。いいや三成殿あってこそか?)
ハレー、ラウラ、クロムウェルはアナリーゼに対して三者三様の感想を持った。
「三成さん、先ずは地図を」
「ああ」
アナリーゼは構わずに命じると、三成がソロモン大陸の地図をテーブルに広げた。
北方を本拠地にして今は王都シリウスを占領した革命軍ことイジドール自由連邦。南西の副首都アルデバラン市に王都の住民と共に逃れたのが改革派率いるバエル共和国。王都から逃げた二人の王族のうちユージーンはバエル王国東部に割拠する東部四大諸侯の下へと逃れ、エミリーは北西部のシトリー侯爵家に逃れたという。そしてバエル王国西部を支配するのがヴェロニカのウァレフォル公爵家であり、南部を支配するのがここアガレス侯爵家であった。
「ねえ。アガレス家の右隣が空白になっているけど、ここにはなにがあるの?」
「申し訳ありません。どうやらこれは少々古い地図のようでして、書き足すとこのようになります」
そう言ってクロムウェルがアガレス公爵家の右隣にグランドール伯爵と書いた。
「グランドール伯爵というと確か……」
「ええ三成殿。私がアスモデウス王国時代に仕えていた旧主です」
クロムウェルの元主君であるバルドゥス・グランドール伯爵とは、アガレス家の面々も先代公爵オルバートの葬儀で会ったことがあった。暴力的気配を隠そうともしない粗野な大男に、好感を抱いている者は殆どいなかった。
「グランドール伯爵は以前のアスモデウス王国との戦いにおいて、どちらの陣営でも多大な戦果をあげた猛将だ。それに利に敏いという話でもある。上手く誘えば味方に引き込めるのではないか?」
ハレーが提案すると、主君の事を良く知るクロムウェルは渋い顔をする。
「余りお勧めはしませんよ。彼は利に敏いのではなく、目先の利に靡く人間です。こちらが恩賞や領地を約束して味方に引き込めたとしても、別の陣営にそれ以上の恩賞を約束されたらあっさりそちらに転びかねません。事実、アスモデウス王国に男爵位を与えられておきながら、バエル王国が伯爵位を約束したらあっさりと裏切りました」
「…………呂布みたいな人ね」
アナリーゼが誰にも聞かれないようぽつりと呟いた。
「補足すると領土は増えましたが、よく知らない東南へ転封された挙句に、約束より領土が少ないということで不満をぶーぶー言ってました」
「……確かにそんな人なら、背中を任せることはできないわね。いっそこちらから滅ぼす?」
『!?』
ハレーとラウラを始めとした家臣たちが、あまりにもアナリーゼらしくない発言にギョッとした顔を向ける。クロムウェルだけがそんな主君の姿に嬉々としていた。
「躾のなっていない猟犬を処分するのは、獲物を殺した後でいいだろう。それよりまずは革命軍かユージーンかだ」
三成が淡々と言う。バルドゥス・グランドールは保有する武力的にも位置的にも無視する事は出来ないが、優先すべき事柄という訳ではない。喫緊の課題は王都を占拠した革命軍と東部四大諸侯の下で王を自称したユージーンである。
「さてアナリーゼ様。臣はこの時のため、軍の調練は万全にしてきました。より早期から軍人の再雇用に熱心だったウァレフォル公爵家と比べれば将の数は劣りますが、数は互角。如何なされますか?」
今やバエル王国でもトップクラスの兵力を有する軍事司令官となったクロムウェルが言うと、アナリーゼは玉座から立ち上がった。自然と群臣達はこれからアナリーゼが重大な発言をするのだと悟る。
「まずはっきりとこの場で宣言しておくわ。私はこの乱世で天下人にのし上がることを決めたわ」
「なっ!」
「そ、それは……!?」
ハレーとラウラは驚愕するが、クロムウェルは我が意を得たりとばかりに破顔した。
「よくぞご決断なされました。そう、この乱世を鎮めるためには、有徳の君主こそが新たなる王とならねばならない。そしてその王にはアナリーゼ様こそが相応しい!」
「ありがとう。じゃあ、今後の戦略はそのつもりで発言をして」
アナリーゼの宣言はとんでもない内容だった。今の今までクロムウェル以外の家臣達はアナリーゼの目的をこの乱世を生き残る事だと思っていた。しかしアナリーゼの目的は乱世を勝ち残る事だったのである。そうなると、とるべき行動がまったく変わってくる。
「お嬢様……いえ、公爵閣下の心中を察していますが、敢えて無視して申し上げます。東部四大諸侯の下へ逃げられたユージーン殿下を王として擁立した上で、革命軍とバエル共和国軍を討つのが上策かと愚考致します」
ヴィクトリスの仇であるユージーンを王として担ぐなど、感情的には難しいだろうが、それが最善と考えたハレーが進言する。
「私もハレーの進言に賛成です。ユージーン殿下を王として担いで成功したら、統一後に禅譲を迫れば良し。失敗すればユージーン殿下に全ての責任を擦り付けて、領土に引き籠るなり、他の強い勢力に鞍替えするかすればいい」
ハレーとラウラの無難な策に群臣からも頷く者が多く出始める。しかしここに待ったをかけたのはクロムウェルだった。
「果たして王族を王として擁立することに、どれだけの意味がありますかね。数か月前なら王権はまだ不可侵性はありましたが、今は違います。王と王太子が死に、更にその後の醜態で、元々先王の悪政で下がりつつあった王権の価値は地に落ちました」
「クロムウェルの言う通りだ。今は正義より力の時代だ。諸侯はより正当性のある側ではなく、より力を持つ側を正当性があると主張して靡く」
三成がクロムウェルを援護射撃した。群雄割拠の戦国時代を経験してきた三成は、この場にいる誰よりも乱世というものを熟知しているだけに、その言葉には強い説得力があった。
「その靡く理由になると言っているのだ。エミリー王女でもいいのだが、領地が遠いからな」
「いや……担ぐ相手ならば他にいる。ヴィクトリス殿下だ」
「何を言っている? 殿下は戦死なされているだろう!」
「王と王太子の死後、王位継承権第一位はヴィクトリス殿下となった。そして王に即位し、革命軍を迎撃に出たヴィクトリス陛下は、不義の兄ユージーンの謀反により戦死された。ヴィクトリス陛下と王后マルグリット様の仲介人を務め、陛下より後事を託された者として、我らアガレスは陛下の仇を討たねばならん」
『!?』
三成が言い出した事に群臣達は目を丸くする。
言うまでもなくヴィクトリスが王に即位した事実もなければ、アナリーゼがヴィクトリスに後事を託された事実もない。要するに三成は、そういうことにしてアナリーゼ自らが王に即位せよと主張しているのだ。
「ま、またとんでもない策を考え出したわね」
ラウラは冷や汗を流しながら戦慄する。
これまでは三成と歩調を合わせていたクロムウェルだが、流石に三成の先走り過ぎな提案には難しい顔をする。
「三成殿の提案は面白いが、俺は即時の王都奪還を提案したい。王都シリウスを奪還することで天下に武威を示し、その功とアナリーゼ様の血統をもって、バエル王国国王を名乗るのです。王都シリウスは建国以来の都。これを制するは王権を得るも同じです」
クロムウェルはアナリーゼに即位には賛成だが、それは王都奪還してからにするべきだと主張した。
「……王都の状況が知りたいわね。今どうなっているのかしら」
アナリーゼが呟いた時、ドアが開きノアが入ってくる。
「会議中失礼します。たった今、王都から高位の魔法使いと思わしき人物が参られました。なんでも『先生閣下』といえば分かると言っておりますが」
「すぐに通して!」
軍議で初めて感情を露わにしたアナリーゼが命じる。
するとローブを着た魔法使い、魔法実技教授のロウィーナが目を潤ませながら入ってきた。
「アナリーゼさぁぁぁぁぁぁん! 会いたかったですよぉぉおお! 介抱してくれるなら最後まで診てて下さいよぉ! 目が覚めたらヴォーティガンくんが革命旋風起こしてるわで大変だったんですからね先生!」
「ごめんなさい閣下。でもあの時はヴォーティガン先輩を止めなきゃって思ってて。……間に合わなかったけど」
「それで閣下はこれまでどうしていて、どうしてここに参った?」
「えーと、殆どの教師や生徒は革命後直ぐか、ヴィクトリス殿下が戦死したゴタゴタで王都を脱出したんですけど、私はヴォーティガンくんに聞きたいことがあったのと、地方に友達がいなくて行く当てがなかったんで、王都に留まっていたんですよ」
「つまり改革派の王都脱出にも加わらなかったのですか?」
ロウィーナの能天気さにクロムウェルが呆れながら質問した。
「ええ。まあ結果的にセーフでした。改革派の軍人さんは、脱出しないと住民は革命軍に皆殺しにされるって言ってましたけど、そんなことはありませんでしたし。まあ王宮やらで派手に略奪はしてたみたいですけどね。そして建国宣言からの大騒ぎがちょっと静まったところで、ヴォーティガンくんに会いに行こうと思って、臨時政庁っていうのになった王宮へ行ったら……」
『話だと? 俺にお前と話すことなどなにもない。元教師だから元教え子の俺が遠慮するとでも思ったか、浅ましい。俺がお前に親切にしてやったのは、王を暗殺するのに利用する駒にしたかっただけだ。余りにも愚図なので止めたがな。分かったらさっさと王都から失せろ。そしてお前の教え子だったアガレスかウァレフォルかにでも泣きつくがいいさ』
そうロウィーナがヴォーティガンの声真似をしながら言った。もっともロウィーナの可愛らしい声では、ヴォーティガンの声をまったく再現できてはいなかったが。
「こほん。って言われたんで、ヴォーティガンくんの言う通り王都から近かったアガレス領まで逃げてきたわけです!」
「なんで自分のことを手ひどく振ったテロリストの言う事を素直に聞いてるのよ」
「そこはまあ言葉の裏を読んだというか、私が意識を失っていると思って、不意に零れたであろう本音を聞いていたというか。まあ……そんなわけで……」
語り終えたロウィーナは再び目を潤ませると、アナリーゼに泣きついた。
「私って、これからどうしたらいいんです? 悲しいことや驚くことが大渋滞しててパンクしちゃってるんですけど!?」
『知るか』
と、群臣全てが心を一つにした。もし彼女がアナリーゼの恩師でなければ、直ぐにでも評定の場から叩き出していた事だろう。
「閣下。王都から来たら状況も少しは分かっているだろう。革命軍はどうしている?」
だが彼女が性格はともかく世界最高峰の魔法の使い手であることを知っている三成は、貴重な情報源と見做してロウィーナに訊ねた。
「さらっと風の魔法を使って盗み聞きしたんですがユージーンとエミリーは討つか捕らえて処刑って言ってました!」
「だろうな。革命軍が狙うとしたら先ずその二つだ」
「ええ。革命政府の正当性のために、二人の王族は生かしてはおけません。それに王族を神輿にすることで革命軍以外の勢力が大連合を組む危険性だってあります」
「それってバエル共和国も? カシム先輩の妹は革命軍のテロで死んだのよ?」
アナリーゼの問いに答えたのは三成だった。
「嘗て項羽は叔父の仇である章邯を許して降伏を受け入れたし、曹操は息子の仇である張?の降伏を許して重用した。生きた妹と生きた国ならまだ分からんが、カシム・エリゴスは死んだ妹のために、生きた国を犠牲にするほど愚かにはなりきれん」
「もっと言うとヴォーティガンが独裁的権力を握る革命軍と違い、改革派においてカシムは派閥の長というだけで独裁者ではありませんからね」
ハレーは意味不明な項羽だの曹操だのはいつものようにスルーして補足する。
そして話題の絶えなかった議論が、初めて止まった。沈黙が一分ほど続くのを確認してからアナリーゼが口を開く。
「初めに謝っておくわ。私が目指す天下人は、何者にも配慮しないで我儘を押し通せる絶対者じゃないといけないの。だから……私はユージーン・バエルを担がないわ」
もしも東部四大諸侯と共にユージーンを担げば、統一後に東部四大諸侯がアナリーゼに次ぐ強い影響力を持つ事になる。またユージーン自身が王としての実権を確固たるものにしてしまえば、統一後に禅譲できるかも怪しくなるだろう。
故にアナリーゼはユージーンを担がない、いや他の誰も神輿とするつもりはない。
「では、どのように?」
「――――ヘンリー。手紙を二通出すわ、準備して」
「手紙、ですか。承知いたしました」
「誰と誰に文を出すのです?」
ハレーが尋ねると、
「カシム先輩とユージーンよ。カシム先輩には一緒に王都を奪還しましょうって。そしてユージーンには――――」
光のない目をしたアナリーゼは冷たく言い放った。
「私と結婚してくださいって」
それはアナリーゼが生まれて初めてする、プロポーズの言葉だった。




