第73話 踊る者たち
嘗てソロモン大陸の三極で最大の国力を誇ったバエル王国は、ヴォーティガン率いる民主国家のイジドール自由連邦、カシム率いる共和制のバエル共和国、ユージーンとエミリーが王を名乗るバエル王国の四つの国へ別たれた。
バエル共和国暫定首都アルデバラン市ではカシム・エリゴスが初代国家元首として護国卿を名乗り、軍人達の投票で選ばれた十三人の円卓会議によって意思決定するという、軍人による共和制国家としての体裁を整えていた。
そしてイジドール自由連邦でも王都シリウス陥落後に簡易的選挙を行い、圧倒的多数でヴォーティガンが連邦初代大統領に就任していた。
だがバエル王国には四つに分かれた国のいずれにも染まっておらず、旗色を決めかねている封建貴族達が群雄として割拠している。その中でも天下の趨勢を決しかねない大貴族が西のウァレフォルと南のアガレスである。
このうちウァレフォル家当主のヴェロニカは遂に動き出そうとしていた。
「おいヴェロニカ。エミリー王女殿下からの使者がきたぜ。ルパート殿下とヴィクトリス殿下亡き後、正当な王位継承権がどうだのなんだのと言ってるが、要するに自分に味方しろってよ」
「ふむ。エミリー王女がいる地は我らがウァレフォル領の隣ですし、彼女を神輿として擁立するのは悪くはないですね」
バジルが使者の話についてヴェロニカに伝えると、シェパードが同意した。これにアウグステが意外そうな顔をした。
「アンタのことだから直ぐに王を名乗れとか提案するかと思ったわ」
「ヴェロニカ様こそが至尊の座に最も相応しいのは真理ですが、大衆は真理を知りません。できの悪い生徒には順序だてて一つずつ教えなければ」
「……バエル王国の玉座かぁ」
家臣達の議論を眺めながら、ヴェロニカが呟く。
公爵令嬢として生まれたヴェロニカには、生まれながらに人生の目的があった。即ち悪徳領主である父を打倒し、領地を建て直すことである。凡人であれば、それは生涯をかけても成し遂げられるかどうか分からぬ大望であっただろう。だがヴェロニカは凡人ではなく天才だった。常人が生涯かける事業を、ヴェロニカは十五歳になるまでに完遂してしまった。
以来、ヴェロニカは並外れた野心を持て余し、大望を抱くことが出来ず空虚に過ごしていた。三成のことを出会い頭に口説いたのも、彼が自分の欠けた野望を埋めてくれると思ったからである。
だがここでヴェロニカの空虚さを埋める新しい目的ができた。分裂したバエル王国を統一して、国を建て直す。一生涯かかるかは分からないが、それはきっとウァレフォル公爵領の立て直しよりは、ずっと手応えのある目標だろう。
ヴェロニカはエミリーを担ぐ事のメリットとデメリットを冷静に見極め、そして最善の選択肢を選んだ。
「エミリーをバエル王国の正当な王として担ぐのはいいわ。でもシェパード。担ぐ神輿に余計な装飾は不要と思わない?」
ヴェロニカはエミリーにお飾り以上のものを求めるつもりはないし、お飾りの分を超える実権を与えるつもりもなかった。
「そうですな。取り合えずエミリー王女に王都から仕えている家臣には、こちら側につくならば良し、そうでないならば退場していただきましょう」
「ええ、じゃあエミリー殿下……いえ、陛下に手紙を書いて」
なんの感情もなく陛下と呼ぶヴェロニカ。元々ヴェロニカにバエル王家への忠誠心なんて殆どなかったが、内乱での対応で既にマイナスにまで突き抜けていた。
「なんだこれは!? これがウァレフォル公爵の返事だと! あの未成年の小娘風情が! 爵位が上だからと増上慢になったか!」
ヴェロニカからの返書を受け取ったシトリー侯ジョルジュは、その内容を見るや否や激怒した。怒りのままに手紙を破り捨てなかったのは、それをエミリーが見ていたからだろう。
「なに、ヴェロニカはそんな酷い事を言ってきたの? 私を王と認めないとか?」
「ええ、エミリー殿下……いいえ陛下。ウァレフォル公爵がこちらに協力する代価としてとんでもない要求をしてきたのです!」
エミリーはシトリー侯爵から手紙を受け取る。
「どれどれ……私が十八になり成人するまで、ウァレフォル公ヴェロニカを王国摂政兼宰相とし、専断の権限を与えるように、と」
専断というのは要するに軍事・内政・外交を王に一々許しを得ずとも自由に行えるようにせよということだ。要するにヴェロニカはエミリーを王にする代わりに、自分を独裁者にしろと要求しているのだ。そしてこの手の要求をした者が、王が十八になったら約束通り権力を返す事は殆どない。
「これは家臣の身に余るとんでもない要求ですぞ! ヴェロニカは陛下に仕える我ら忠臣を排除し、王国を我が物とするつもりです! このようなこと決して頷いてはなりませぬ!」
「……そうね、私も侯爵の言う通りだと思うわ。ただウァレフォル公爵を敵に回すのは避けたいから、どうにか要求を引き下げる方向で交渉して」
「はっ。陛下のご英断、臣は嬉しゅうございます」
シトリー侯爵が退室したのを確認すると、エミリーは最も親しい友人の名を呼ぶ。
「ミランダ、いる?」
「お呼びですか姫さ……陛下」
それはアナリーゼやヴェロニカのクラスメイトでもあったミランダ・ラウムだった。エミリーの取り巻きであったミランダの縁で、ラウム伯爵家はシトリー侯爵と共にエミリーを担ぐ事を選んだのである。
エミリーはなんでも言う事を聞いてくれる便利な友人に、とんでもないお願いを言った。
「ミランダってウァレフォルのところのヴェロニカとクラスメイトで友達だったんでしょ? 直ぐにウァレフォル領へ行って、要求をすべて受け入れるって返事の手紙を届けて欲しいの」
「え、どうして!? けどさっき侯爵にはああ言ってたし、うちの親もこれには反対で……」
「私はね、王にさえなれればそれでいいの。妾腹のユージーンなんかじゃなくて、王の正当な子である私がね。誰が私を王として担ぐかとか、担いだ人間がどういう政治をするかどかはどうでもいい。興味がない」
もしかしたらオリヴァント四世の四人の子供の中で、最も王の素質があったのは末っ子である彼女だったのかもしれない。冷たく言い放つエミリーの表情は、冷血な君主そのものだった。
「あ、それとヴェロニカが宰相になったら、たぶんミランダの親は隠居してミランダが伯爵位を継ぐことになると思うから、今のうちにおめでとうと言っておくわ」
「え、えぇ! わ、私が爵位を継承!? で、でも……」
「もしミランダが断るなら、ミランダはヴェロニカと殺し合うことになるけど、どっちがいい?」
「……やります」
「よく言ってくれたわミランダ。持つべきものは友達だわ!」
ミランダはエミリーの指示に従わざるを得なかった。根が友達想いのミランダは友達のエミリーのお願いを断る事も出来なければ、友達と戦争することも嫌だったのだ。
こうしてエミリーのお墨付きという大義名分を得たヴェロニカは堂々とシトリー侯爵を革命軍との内通容疑で処分。他の非協力的な者たちも追放や蟄居を命じるなどして処理するとエミリーを王として担ぎ、自らは宰相として全権を掌握した。
要求通り王になったエミリーは王としての実権を全てヴェロニカに奪われ、ただのお飾りと化したが、彼女は二人の実兄と一人の妾腹がいるせいで諦めていた玉座に座れたので満足していた。
だが繰り返すがヴェロニカは既にエミリー含めバエル王家を見限っている。なのでヴェロニカはエミリーがよっぽど酷い人物なら、父親と同じように『病死』して貰うつもりであったのだが、エミリーの様子を見て考えを改めた。
「どうやらエミリーはそこまで欲張りな人間じゃなさそうね」
「ええ。物分かりも良いですし、バエル王国に静謐を取り戻した後、穏便にヴェロニカ様に禅譲させたら、先王としての礼節を尽くしつつ、田舎にでも隠棲していただきましょう」
「まぁ友達の友達だから、死なせるのもちょっと寝ざめが悪いしね」
こうして先ずはエミリーが王を名乗るバエル王国が、ウァレフォル公爵家に吸収される形で消滅して、早々に一つの群雄が歴史から姿を消した。
ウァレフォル公爵家がエミリーを取り込んでいた一方で、アガレス公爵家も動き出していた。最初にアガレス家が接触したのはカシム率いるバエル共和国である。アナリーゼの使者として執事長のヘンリーが共和国臨時首都アルデバラン市を訪ねてきたのだ。
「なに? アガレス公爵領からヘンリーがアナリーゼの手紙を持ってきただと?」
「はい、如何なされますか護国卿」
そう確認したのは、先のクーデターで功績を上げたシーリンだ。
この時、優秀な働きぶりからシーリン・ハーフィズは、傭兵という出自でありながら、カシムの秘書官にまで出世していた。勿論彼女の中身がナディア・エリゴスであることは本人以外は誰も知らない。
「ともかく会おう、通せ」
「はい」
そうしてヘンリーが執務室に現れる。学園で互いに顔見知りなので、わざわざ本物か偽物か確認する必要がないのは地味にありがたかった。
「お久しぶりです、護国卿殿下。この度は我が主君アナリーゼ様からの手紙を預かって参りました」
「受け取ろう」
カシムが読んだアナリーゼの手紙の内容を要約すると共和国軍が王都シリウスを攻撃すれば、自分たちも王都を別方向から強襲する。その後、共和国は立憲制を敷いて、その王は自分にするようにとあった。
「確かに共和国内でもローワン・キャンドルウィックのような人間ばかりではなく、王制そのものは維持したい者は多い」
なにせ改革派の多くは故イスマイル・エリゴスを慕う者達であり、そして武王ガルヴァリス・バエルに忠誠を捧げた者達なのだから。
「仁君として声望があって王位継承権も今や第三位のアナリーゼはうってつけ。アガレス家の兵力もありがたい。はっきり言って願ってもない話だ。だが、らしくないんじゃないか? アナリーゼは率先して戦争に関わろうとしないタイプだと思っていた」
「ナディア・エリゴスは護国卿殿下の妹であると同時に、アナリーゼ様の生徒会の書記だったんですよ。それにヴィクトリス殿下とマルグリット様のこともあって、アナリーゼ様はこれ以上の大事な人の流血を絶対に防ぎたいと思っておられます」
「うっ……」
その時、カシムの横で話を聞いていたシーリンが胸を押さえた。
「どうしたシーリン?」
「い、いえ。少々心が……胸のあたりがずきずきと」
「そうか、体を労われよ」
だがヘンリーの説明を聞いてカシムも納得した。アナリーゼは一年の時に生徒会選挙に立候補するなど、時に凄まじい決断力を発揮する事がある。きっと今回もそうなのだろうと。
「して殿下、お返事は?」
「即決はできん。俺は共和国の元首ではあるが、王でも独裁者でもないからな。協議にかけることになるが、俺個人の予想では十中八九通るだろう。エミリー王女がウァレフォルと接触しているという噂もある。どこの勢力もアガレスを味方につけたがっているからな」
「……このようなことを申し上げるのは不敬でしょうが、この話は決して外部には漏らされませぬよう。共和国と我らアガレスが結んだことが他に知られれば、奇襲になりませんからね」
「分かっているさ。内乱なんて、早く終わらせることにこしたことはないからな」
北のアスモデウス王国の内戦が終結する前に、一刻も早く内乱を終わらせなければならない。それはバエル王国に割拠する全勢力の共通認識であった。
なおこの情報は共和国内部に潜入中のレオン・ジュストによって革命軍に流れてしまうのだが情報が正しく伝わってしまったが故に革命軍をも混乱に陥れる結果を生むことになる。
バエル王国東部、サブナック侯爵領。そこにアガレス公爵家からの客人が訪れていた。
エドムンド・サブナックは、面識のあるその人物に、一応の礼儀として名を尋ねる。
「ようこそサブナック領へ、名前とご身分を、お聞かせ願えますか?」
正装の着物に身を包んだ黒髪の武士が口を開いた。
「アガレス家奉行、石田治部少輔三成男爵」
バエル王国の歴史が、悪役令嬢の手によって加速を始めた。




