第38話 魔人
魔人は規模の大きな、おそらく上級クラスの魔法を立て続けに放った事など忘れてしまったかのように涼しげに漂っている。
その佇まいに反して、発せられるプレッシャーは凄まじい。冷や汗が頬を伝って、落ちた。
魔人は片手に持った槍をくるくると回しながらまたにやりと笑った。それを見ているだけで、心臓を直接掴まれているような気分になる。
どうやって生き残るか――新しい力を試す間もなく、過去最悪の状況に陥っているこの状況でどう動くか。それだけを考える。
「お前がアイリスか」
考えていた。
魔人の口から、知り合いの名前が発せられるまでは。
「え?」
敵前だというのに、思わずアイリスの方を振り向いた。彼女もまた困惑していた。
「なぜ私の名を?」
「将軍から、アイリスのいう名のハーフエルフを生きたまま丁重に連れてこいと命令されていてな。非常に面倒だが、軍団長である俺がじきじきに迎えにきてやったんだ、光栄に思えよ」
「将軍……まさか。……なぜ、私がここにいると?」
「お前たち人間は数だけはひしめき合っていて揃ってマヌケだからな、金瞳と黒翼がなければ俺たちが魔族だと気付けない体たらくだ」
……人の暮らしの中に、魔族が紛れ込んでいる?
今までそんな話は聞いたこともなかった。
「随分とお喋りなんですね、そんな重要なことを喋ってしまっていいのですか?」
「知っていても対処できなければ意味はない。それにどうせお前以外、向こうで見苦しく逃げ惑う者達も全員、ここで死ぬのだから」
「……ッ」
その結果を、まったく微塵も疑っていない。
そんな表情をしている。
「ふ、ふざけるな!俺達は何度も魔物を狩ってきた!そう易々といくかよ」
「その通りだ。C級冒険者の意地にかけて、ここは通さん」
キィンと甲高い音とともに、バッツが背負っていた大剣を鞘から抜き放ち構えた。
剣は赤く輝いている。どうやら、魔法剣のようだ。
その横でダムドが大盾を構えた。
「……この俺を魔物と同一視するとは、不敬な。……下等種族が」
風を切る音がして、魔人は翼をはためかせるでもなく、突如として姿を消した。
かろうじて気配のみを察知して、僕は一歩横へと小さく飛んだ。
ザンッ
鈍い音、甲高い音の両方がした。
遅れて、呻き声が低く響く。
「がぁ……くそ……」
「げふ」
剣を持っていたバッツの左腕と、ダムドの盾が粉々になって宙を舞っていた。
「あぁ……ふたりとも!」
サルサが叫んだ。
くるくると回転する槍から、血が無残に振るわれる。
二人とも生きている。だがバッツは大量出血、ダムドは鎧の胴体に大穴が空き地面に伏せている。既にどちらも戦闘不能だ。あの一瞬で。
「オマエらがうろちょろしているせいで極大魔法が使えんのだ。この槍で早々に百舌鳥の早煮絵にしてやろう」
魔人の視線の先はサルサだ。彼女は仲間を二人一瞬でやられて戦意喪失している。
すぐ無抵抗に刺殺されるだろう。
そうはさせない。
僕は投げ出されたバッツの剣を手に取った。
槍と短剣ではリーチが違い過ぎる。この剣はそれなりの業物のようだから使わせてもらう。
大丈夫、本来、ガボの剣術の基本は剣だ。
僕は駆けた。
ボディユニットが四肢を連結させ、各ユニットの性能と安定感が格段に上がっているのが分かる。
(欲を言えばセンサーユニットが欲しかったが、今は俺がサポートしてやる)
(頼む!)
魔人がまた空で弾丸のように風となる。
一度見ているので、なんとか軌道をイメージすることくらいはできる。
サルサに向けられる槍を受け止めることはできないから、間に合わせるしかない。
目の前を通過しようとする魔人に向けて燃える剣を振るった。
生身の僕とは比較にならない程の膂力でもって踏み込み、鋭く剣を振う。
「――ア?」
ガキンと、手首の骨が砕けそうなほどの衝撃と共に僕は大きく後退した。
サルサへの攻撃はなんとか阻止できたらしい。僕は、魔人に槍で弾き飛ばされていた。
「いかにも弱そうなナリしていたから後回しにしていたが、オマエ、召喚術士か」
「――召喚術士がどうした」
「是、か。それならば話が違う。オマエはここで確実に殺しておく」
魔人の中で殺気が膨れ上がる。
瞬間、ガボの僅かな強制力と共に身体がゆらりと揺れて、身体がその重心移動に合わせて自然と構えた剣は、気づくと魔人の槍を三度弾き返していた。
見えないと思っていた魔人の動きが、肉眼で追えていることに僕自身が驚きを隠せない。
(いいぞサツキ。随分と練度が上がっている。その調子だ)
「これも躱すか」
「サツキくん!」
アイリスの声と共に、一跳びで彼女の元へと着地する。
「上級魔法――『業火』」
彼女の杖先から放たれた焔は宙を一直線に伝い、魔人の足元で勢いよく弾けて空高く火柱を立ち上らせた。
僕はその隙に倒れたバッツとダムドを回収する。
「う――すまない」
「大丈夫です。立てますか」
「大丈夫だ」
ダムドは気絶していただけで、意識を取り戻した。
手際よくバッツの腕を止血すると、よろよろとサルサの元へ歩いていく。
「あんたたち、D級って――なんで高位の魔人と渡り合えてるの?」
サルサは驚いた表情で僕達二人を見た。
「――二人を守ってあげてください」
「――恩人を詮索するもんじゃないね。助けてくれてありがとう。死ぬんじゃないよ」
「はい」
三人は避難者たちの元へと小走りで離れて行った。
憂いがなくなったところで、アイリスと目くばせをした。
「君が名指しで狙われていて、次は召喚術士である僕は生かしておけないときた。なんでこう僕達はトラブルが続くかなぁ」
「ごめんなさい、元はといえば、私のせいで魔人を呼び寄せたのかもしれない――」
「言いっこなしだよ。それより今はどう生き延びるかだ。あいつ、あれくらいじゃ死んでないだろうから――」
「当たり前だ」
煙が晴れた向こうには、ほぼ無傷の魔人がいた。
バッツの剣は既に多くのひび割れが入ってしまっていたので地面に突き刺した。
ナイフを取り出し、いつものように構える。
「俺と切り結んで生き延びた人間はそういない。おい人間、名を名乗れ」
「――僕か?」
「そうだ。加護とやらに良い気になっている骨のない人間とお前は練度が違うようだからな」
間接的にガボが褒められている。師を褒められて悪い気はしない。
「サツキ・ノーマンだ」
「サツキか。よかろう、改めて名乗ろう。俺は【ドゥライツェル解放軍】五大軍団長が一人、【魔槍】ライヴェルト・リンドだ」
――解放軍、だって。
逆だろう。それじゃ、まるで人間が魔族を虐げているみたいな言い方じゃないか。
「待って!私を連れてくるように言った、将軍って誰!?」
「あぁ、気になるだろうな。エルノカレラ将軍は、軍で最も強く、美しいお方だ。なぜオマエなどに固執されているのかは知らんが。俺は言われた通りにお連れするまでだ」
「その将軍――は、元――人間ではないの?」
「――よく知っているな。確か、リリィという名だったそうだ。まったく意味のないものだから、とっくに捨てておられるが」
「リリィ――」
その名を聞くなり、彼女は膝をついて座り込んでしまった。
「なるほど、オマエはエルノカレラ様が人間だった頃の知り合い――か。そんなものに意味があるとは思えないが、抵抗する気力が削げたのなら話が早い、さっさと連れて行くまでだ」
「アイリス!」
僕はアイリスを庇うように魔人の前にナイフを構えた。
「サツキ。冥途の土産に見せてやろう。人間と魔族の格の違いというやつをな」
そうして魔人ライヴェルトは槍を頭上で振りかざし、徐々に槍が熱を帯びていく。
次第にそれは熱風を伴い、目を開けるのもやっとだ。
殆ど魔法に疎い僕でも、そこに膨大な魔力が込められていることくらいは分かる。
――怖い。
(魔族がここまでとは――まずい!サツキ、アレはまだ今の俺達じゃ。一旦引くぞ!)
(僕が逃げたらアイリスが連れ去られる。それにもう間に合わないよ。やるしかない)
(――南無三。アーマーのバリアを最大起動させる。急所だけは避けろよ)
僕の周囲にバリアが貼られたのだろう。熱風の熱さが随分と遠のいた。
バリアの効果がどれ程のものかはよく分かってないが、少しは心強い。
ナイフを強く握りしめて、高周波ブレードを起動させる。
大丈夫、これなら弾けないものはない筈だ。
「サツキくん……逃げて」
「いや、僕があいつを倒すよ」
次の瞬間、まるでアイリスの熱嵐が一点に集約されて顕現したかのような、絶望的な暴力が僕だけを目掛けて振り下ろされた。
受け止める。
「ぐぅぅぅぅ!!」
刃と刃が接している部分があり得ないくらいの炸裂音と共に赤滅している。
ボディユニットがなければ一瞬で身体中がバラバラになっていただろう。
だが、その槍をへし折ってやる!
「やはり召喚術士は侮れない。これを真正面から受けた胆力も褒めてやろう。だが、終わりだ」
肉薄した魔人ライヴェルトは槍がため込んだ魔力を開放させた。
槍は巨大な赤い獅子の姿となり、僕は大きく開けられた口に飲み込まれる。
――ナイフが。
絶対に負けることはないと思っていた高周波ブレードに、ヒビが入っていく。
バリン
ナイフが根本から折れた。
赤獅子に飲み込まれ、全身を覆っていた鎧が、粉々に砕け散った。
「――が、ふ」
灼熱感と激痛が全身を走りまわった。
すぐに意識が遠のき、僕は地面に倒れた――らしい。
(ガボ)
ガボから返事がない。
(ガボ……)
「サツキくん!サツキくん!」
(僕達……負けた……のか)
「俺に獅子を開放させるとは、やるな。最後に言い残すことはあるか?」
「止めてください!彼を殺すなら、私は自死します!それでもいいんですか!」
アイリスは自分の首筋にいつでも発動できる風魔法を番えた。
「――男同士の決闘を汚すとは。やってみろ、貴様の魔法の発動より、俺の槍の方が早いぞ。将軍は無傷でとは言ってないのでな。その場合は、腕を一本もらうことになる」
「うぅぅぅ」
戦闘不能となったサツキに背を向けて、魔人はアイリスににじり寄っていく。
その時――。
バシィ!!
どこか遠くから放たれた閃光が、確実に魔人の頭部目掛けて放たれ、魔人はそれを槍ではじき返した。
「援軍か。チィ、時間も魔力も使い過ぎた。仕方ない。どのみち小僧はもう二度と戦えんだろう。命だけは助けてやる。小娘、貴様はこい!!」
「あぐっ」
魔人はアイリスの綺麗な青髪を乱暴に掴むと、笛で飛行型の魔物を呼び、その背に飛び乗った。
「サツキくん……ごめんね……今までありがとう……」
「――アイリス」
飛び去っていく魔人。
地面に突っ伏したまま、僕はその背を目で追いかけ――。
――何も分からなくなった――――。




