第35話 神殿
梯子を伝って、どれくらい降りただろうか。
すぐに風の音は聞こえなくなり、ひんやりとした冷気の流れを感じた。
カンテラの灯りがなければ全く何も見えない暗黒を経て、次第にぼんやりと下の方が明るくなってきた。
無数の紫色の光が、辺り一面を淡く照らし出している。
「あれが見えてきたので、終点です」
ヴィンセントさんの声は静かに辺りに響く。
僕たちは梯子から降りて、両足はしっかりと地面を踏んだ。
足元は、うっすらと紫色に光っていた。
「ここが、ダンジョンなんだ」
アイリスは足元の光を不思議そうに眺めながら呟いた。心なしか楽しそうだ。
上を見上げても、何も見えない。天井は随分と高いみたいだ。
「地下一階はこの光が明るいので探索しやすいですが、潜れば潜るほど、光源が弱くなっていくので、探索は難しくなっていきます」
ヴィンセントさんは火を消したカンテラを腰にぶら下げながら、辺りを見回している。
ふと、光が少し密になっている場所が近くにあったので、近づいてみた。
よく見ると、光を取り囲むように石が置かれている。それ以外には、何もない。
あたりをぐるりと見渡すも、だだっぴろい空間に瓦礫が散乱しているだけだ。
「このあたりの調度品は、とっくに取り尽くされていますね」
どことなく現実感のない光景の中を、ぶらぶらと観光気分で進んでいく。
「ダンジョンでは、特にバフォックスのような害獣が独自の進化を遂げて強力になっていたりします。かれら、人の喉笛を切り裂くのが上手いので、十分気をつけてください」
それを聞いてすぐに僕は姿勢を正しつつセンサーユニットを装着した。
よく見るとそこかしこに小動物の骨に加えて人骨みたいなものが転がっていてゾッとした。
サーチの結果、どうやらこの辺りにはいないようで、ほっとする。
「わかりました、気をつけます」
アイリスに大丈夫と目配せする。
――少しだけヴィンセントさんからの視線を感じた。親切な人だが、ガボについてわざわざこちらから語ることはない。
斥候用の魔道具のようなものだと伝えると、なるほどと納得してくれた。
「ちっ、ここはもうただの廃墟だな」
「金目のものはなーんも無かったな」
「あら、ちょっとロマンチックでいいじゃない」
3人組の冒険者たちとすれ違う。
こちらに関心を向けるでもなく、そのまま地上へと上がっていく。
「おや、ふむふむ、これは」
ヴィンセントさんが何かを見つけたようなので、駆け寄ってみる。開けた広場の真ん中、紫の光源が少し集まっている場所の地面に、なにか窪みのようなものがある。
これに何の意味があるのか全然分からない。
「三本の線、のように見えませんか」
「これがですか?」
アイリスが覗き込む。
「はい。私の仮説なんですがね、ダンジョンの形成には、竜が関わっているのではないかと考えています。あの大昔から、なんのために存在しているかよく分からない、知性をもつ大きなケモノ、竜がね」
つまりこれは……。
「竜の爪……のように見えてきますかね。まぁ竜なんてそうそうお目にかかることはありませんがね」
「あ、実は会ったことがあります。南部の山頂に住む竜帝と話をしました」
ヴィンセントさんはびっくりした様子で振り返った。
「よく生きていましたね。……いや、南部の竜はとりわけ知性が高く穏やかだと聞いたことがありますが……いやはやサツキ君には驚かされますね」
よく見てみると、深く抉れた地面は確かに爪痕のように見えなくもない。
「え、まさか、この地底に、竜が住んでいるなんてことが……」
「あぁいや、安心してください。ダンジョンの中で竜の生息が確認されたことは一度もありません。びっくりさせて申し訳ない。まぁ、ただの私の仮説ですよ」
それを聞いてほっとした。
「さて、私は戦うのがそれ程得意ではありませんし、もう少しこの辺りを調べてから出ようと思いますが、君たちはどうしますか?」
アイリスがこくんと頷く。
それだけで、彼女の意思はなんとなく分かる。
「僕たちは、下層へと進みます」
「分かりました、どうかお気をつけて。君たちは照明器具をもってないようだから、これを餞別に差し上げます」
ヴィンセントさんはそう言って、松明をくれた。
「松脂をたっぷり染み込ませていますから、3階までは保つでしょう。2階以降は人の足もがくんと減り、害獣も出ます。3階以降ではダンジョンの主が現れることもありますから十分に用心してください」
「何から何まで、色々とありがとうございました」
僕たちはお礼を言って彼と別れた。
2回層以降は、地面が自然に抉れて出来たらせん階段で下へと降りていく。
紫色の光源は点在してはいるが、数はどんどん減り、なにより明るさが半分以下くらいになっているため、あたりはかなり暗い。
……なんだか、亡霊かなにかに誘い込まれているようだ。
「アイリスたのむ」
「うん」
アイリスの指先に灯った赤い火が、松明の先にすぐに乗り移った。辺り一体が強く心強い火で照らされた。紫の光はそれに対して、今すぐにでもかき消されそうな程に弱い。
「あの紫の光、なんなんだろう」
ヴィンセントさんは、あれが何なのかよく分かっていないがどこのダンジョンにも共通して見られるもの、現象、と言っていた。
「うーん、なんだろうね。魔力を感じないから、魔法の類いではなさそう」
アイリスが光に触れている。特に害のようなものはないようだ。
「ふぅん。折角明るくしてくれるなら、もうちょっとしっかりやってくれるといいのに」
僕もなんとなく真似して、足元にある今にも消えそうな光に触れてみた。
――ジジ
『――り。――て』
「え?」
一瞬、ほんの一瞬だけだが、視界が白ずんで誰かの声を聞いた気がした。
「ねぇアイリス今なにか言った?」
「いえ……なにも?」
「そう。……ん?」
いつの間にか、さっきまで足元で揺らいでいた光は、跡形もなく消え去っていた。
「ね、ねぇ、この光に触って、声が聞こえたりすることあるのかな?」
「ううん、聞いたことないけど、なにか聞こえたの?」
「あぁいや、大丈夫」
人の声を聞いた気がするとか、余計な心配をかけない方がいいだろう。
(ガボ、今の何?)
(たしかに声、のようだったな。アイリスもそうだったが、普通は聞こえないのかもしれん)
(ガボにも聞こえたのか)
(あぁ。だが、どんな影響があるか分からんから、今後は触るのはやめておけ)
(そうだね……)
もう一度試してみたい気もするが、気味が悪いのは確かなのでやめておこう。
「キュイキュイ」
壁状の瓦礫を挟んで何枚か向こうに、バフォックスの群れを確認した。
本来なら僕一人でどうとでもなるが、一際凶暴化しているとの助言があるので、アイリスと示し合わせていく。
1階層と違って天井が低いのでそれ程音は響かないが、これ以上近づけば気付かれそうだ。
道中で食べて骨だけになった魚をポイっと開けた場所に放り投げつつ、その音に紛れるように僕は反対側の瓦礫の上にホバリングしながら飛び乗った。
「キュイキュイ♪」
5匹のキツネ達は可愛らしい尻尾をフリフリしながら魚の方へ寄っていく。先頭の一匹が骨に齧りついて、大きな口を開けて、それを丸ごと飲み込んだ。
すかさず投石と岩砲弾を撃ち込み、先頭と殿のキツネ達を撃破した。
すると、ぐるんとキツネ達の首がアイリスを向き、すかさず彼女めがけて駆け出した。
「させるか!」
すぐ後を追う。
キツネ達は血走った目で先ほどとは形相がまるで変わっている。
「私だって!」
アイリスは風魔法で後方に飛びながら器用に火の矢を放つが、すんでのところで躱されている。
なんとか追いついてまた一匹仕留めた。
すると後方にいた個体が僕めがけて反転したかと思うと――。
キイン
鋭く振るわれた爪をナイフで弾き、仕留めた。
あいにくと首切りは僕も得意なんでね。
最後の一匹はアイリスが火球で倒していた。
「随分凶暴だったね」
「ほんと、舐めてかかってたら危なかった」
ヴィンセントさんには感謝だ。
その後、僕たちは2階層のすみずみまで探索を続けた。
バフォックスの群れには何度か遭遇し、アイリスと連携して怪我なく倒すことができた。他にも害獣として名高い、ゴキローチという甲殻に覆われた1メートル程の肉食害獣にも遭遇した。追い詰められると羽を広げて空を飛んだりしたが、バフォックス程の素早さはなく、大した脅威ではなかった。
(――サツキ、装着解除する前に、その緑色の体液を拭き取っておいてくれ)
この返り血のことかな。珍しい注文だった。
(ん?ひょっとしてガボ、ゴキローチ苦手なの?)
(――まぁ、なんとなくだ)
ガボの意外な弱点を見た気がした。
しかし結局、2階層ではチップらしきものは気配すら全く見つからず、3階層への入り口だけが見つかった。
「降りてみる?」
アイリスが確認を求めてくる。
降りたくてうずうずしている様子だ。
3階層に到達した人はずいぶん少ないだろうから害獣も多いかもしれないが――。
「折角ここまで来たんだ。いこう」
「うん!」
狭い螺旋階段をさらに下へと降った。
壁一面に及ぶ大きな窪みがあったり、駆け巡ったような3本線の跡が至るところに刻まれている。
本当に昔ここで竜が暴れ回ったようで、ゾッとする。
「あれ、なんだろう」
アイリスの指差す方に、大きな構造物――なにかの建物のように見える――が視界に映った。
紫の光源はほとんど消え掛かっていてあたりはかなりの暗さなのだが、向こうの構造物はぼんやりと明るいようだ。
「行ってみよう」
「うん、暗いからもうちょっと照らすね」
アイリスは大きめの火球を宙に二つほどぐるぐる回るように浮遊させて、辺りは少し明るくなった。
「はー、便利だなぁ」
「燃費は悪いんだけどね」
そうは言うものの、特にしんどそうな様子はない。僕はサイコキネシスの練習でしょっちゅう魔力切れを起こしたから少しは分かる。きっと彼女の魔力保有量はずば抜けて多いのだろう。
時折襲いかかってくる害獣を倒しながら構造物まで辿りついた時、僕たちはかなり疲弊していた。
遠くからみるとよく分からなかったが、それは、廃墟だった。つまり本当に建物だ。自然発生したものでは決してなく、何者かが作ったものであることは間違いない。
「いつからここにあるんだろう」
彼女は火球を纏いながら建物の周りを歩き、指でなぞったりして探索している。
サーチをかけるが、特に害獣はあたりにはいないようなので、僕も一緒にここを見て回ることにする。
「建物には模様がある。朽ちた……神殿なのかな。冥天教のものとは少し違うみたい」
冥天教は、僕たちに加護を授ける大いなる神を崇拝する世界最大の教会だが、それとは違う神殿は、基本的には邪教とされている。
「加護はあくまで自然発生した人の能力であって、神から賜ったものではない」
アイリスの声にぎょっとした。
「え?」
「はは、そう考える人たちが作ったのが邪教らしいね。ドワーフが孤立してるのは、基本的には大いなる神を信じていないから、らしいよ」
「へぇ」
加護、か。
ガボも加護なのだから、神様が僕に与えてくれたってことになるわけで。
それって素敵な話だと思うけどな。
「サツキくん、あれ」
ぐるりと神殿を回った僕たちの前に、ひときわ大きな紫の光源がひとつ、ぽつんと佇んでいた。ほかの光源が消え掛かっているこの3階層において、それは異彩をもって輝いていた。
「ここは……まだ建物がしっかり残っている」
アイリスが呟いた。
神殿らしき建物は壁も屋根も殆ど朽ちて崩れているが、確かに小さなここだけ離れのようになっていて、壁も屋根も健在だ。
ただ、ドアらしきものはない。
紫の光源は、この離れの前に寄り添うように佇んでいるように見える。
壁を叩くと、コンコンと硬い音が返ってくる。かなり分厚そうで、高周波ナイフでも歯が立たないだろう。
「うーん、とても興味深いけど、ここもめぼしいものは取り尽くされてるのかな」
今のところチップはおろか、金になるお宝はなにも見つけられていない。
――よし。
僕は意を決して、大きな紫の光源に近づいていく。
(おいサツキ、危ないんじゃないのか)
(さっきは、そんなに嫌な感じはしなかったよ。他に手掛かりもない。やってみようよ)
(……やむなしか。せめて俺を装着した手にしとけ)
(うん、ありがとう、ガボ)
「アイリス、ちょっと光源を調べてみるね。なにかあったら、よろしく」
「え、あ、はい」
アイリスに一言断っておいた。これで安心だ。
僕はガボと一緒に、ゆらめく紫の光に触れた。
その瞬間、視界は白く弾けて――。
何かが、僕の中に流れ込んできた。




