第30話 飛行型
馬車の上が日常だと錯覚するほどに長い時間を揺られ続けて、8日が過ぎた。
セレノスまであと数日というところまで来ている。
「サツキくん、着いたらまず何をしようか」
アイリスは両親と死別後は10年以上も森で引きこもっていたせいで僕以上に対等な人付き合いに慣れていなかったようだが、随分と硬さが抜けてきた気がする。
そこらへんは孤児院育ちの僕は慣れたもんだ。
「うーん、色々新調したせいで路銀にそんなに余裕もないし、宿を確保したらまずはギルドかな」
「うん、その後は?」
「その後……あ、そうか、僕、海を見てみたかったんだった」
色々ありすぎて、すっかり忘れていた。
「いいね、私も内陸だったから、海、見たことない。魚介料理にも挑戦してみたいな」
「おーアイリスの魚介料理……!ねぇガボ、僕らって海に潜るの得意だっけ」
「錆びるから潜らんぞ」
「そ、そんな……。ま、いっか」
食材は稼いで買えばいいんだし。
それよりひょっとして僕らって水中戦不得意なのかな。そっちの方が重要じゃない?
「おい、サツキ、ちょっと来てくれ」
「あ、はい」
エライザさんに呼ばれ、僕は荷台の上へ昇った。
最近は身のこなしも随分軽くなって、これくらいならガボを装着しなくても平気だ。
あたりは少し薄暗くなってきていた。
「あれって、ひょっとして、魔物じゃないか?」
その言葉にどきっとした。
行商が始まってからというもの、先の人同士の争い以外には、時折腹を空かせた狼の群れを追い払うくらいで済んでいた。
セレノスが近くなり、より整備された街道には、時折魔道具の外灯もぶら下がっている程だった。
その少し先に見える灯りの上に、大きな梟のような鳥が止まっている。
その眼は、外灯と同じくらい、紅く、怪しく光っている。
魔物かどうかは、サーチをかければすぐ分かった。
魔物には――心臓の鼓動がないからだ。
「あれは魔物ですッ!アイリス!」
「はい!」
「まじかよ!くそ!」
馬車は急停止し、僕達は馬車を守るように魔物との間に立った。
魔物は完全に僕達を見据えている。
逃がす気はない、とその目は語っているように思えた。
その目に見られているだけで身体が底冷えするような悪寒を感じ、冷や汗が噴き出してくる。
「くっそ、最後の最後でよりによって飛行型かよ、どこまでこの旅はついてないんだ――ッ!」
アイリスさんが小さく呻った。
飛行型は、一度狙った獲物は執念深く追い続けるという。
(ガボ、どう戦う?)
(エライザに祠までの距離を聞け)
「エライザさん、祠まではどれくらいですか」
「あぁ?最後の祠は、全力で走って……30分はかかるぞ」
(30分か――)
(ガボ?)
(ちょうどいい機会だ。――サツキ、完成系の一つ手前を見せてやる)
身体の中から語り掛けてくるガボの声に、凄みを感じたのは、これが初めてだった。
僕は……ガボに言われた通りに、指示を出した。
「アイリス、操縦席に座って魔法でエライザさんと馬を守ってて。エライザさんは、祠まで全力で走ってください」
「馬鹿言え、活動期の飛行型の魔物だぞ?D級のお前じゃ5分と待たずに殺されるぞ。くそ、こんなことならケチらずにC級雇っておけばよかった」
「あはは……。でも、信じてください。奥の手があるんです」
僕は真剣にエライザさんを見る。
彼女も僕の言葉に偽りがないことを感じ取ったのだろう。
どのみち夜が来れば新たな魔物に襲われる可能性がある。彼女の決断は早かった。
「上手く生きてたどり着ければ報酬は倍出すから死んだら殺すぞ!」
エライザさんの声とともに、僕とアイリスは操縦席の端に飛び乗る。
「もうひと頑張りだ。走れ!」
激しく鞭を打たれた良馬は、彼女の決意をくみ取ったかのように、大きく嘶いたのちに、魔物の待ち受ける街道を勢いよく走り始めた。
「アイリス、土魔法で荷台の周囲と車輪を強化して」
「は、はい!」
アイリスに頼み、馬車が破壊されないように補強してもらった。
こういう時、三色魔法使いは非常に有能だ。
僕は双脚ユニットでコンクリートのように固くなった荷台の上へと一跳びで飛び上がり、単腕ユニットにナイフを持ち、構える。
(今は全身を覆えていないから、体幹の操作はできない。お前は生身の腕の付け根が外れないように体幹にぴったりとつけて離さず、構えを維持することに集中していろ)
(――わかった)
チップが少ない現状下でのガボによる強制操作に備えて、僕はよくこの型を練習させられていた。
――ナイフを構える。
そのころには、梟が思ったよりも随分と大きかったことが分かり、
――それが大きく翼を広げると、その獰猛な眼は僕の顔ほどの大きさで、嘴は大剣のようなものであることが分かった。
ひゅっと、夜の冷たい空気に亀裂が入ったかのような音がした。
ギィンッ
完全に僕の意識が追いついていないところで、ガボが操作する右腕が何かを弾いた。
右腕から全身にかけて衝撃が走る。
梟はまた上空に飛び上がった。
(今のは爪だ。対応は俺に任せて、お前は集中してよく見ていろ)
(うん)
ガボによる強制操作は、山の主の時以来だ。
あの時は何も分かっていなかった。
この旅で人を相手に命のやり取りをして、少しだけ分かった。
ガボのナイフの扱いがいかに卓越して上手であるかを。
再び爪で串刺しにせんと急降下する梟。今度は少し見える。
荷台の上で両足を深く踏み込み、身体が低くなる。
(頸を斬り付けるぞ)
ギィンッ
転がる様に前進しながらまた爪を弾き返し、相手が宙にわずかに静止したタイミングで、ガボは振りむきざまに側宙で飛び上がりながら空中で逆方向にホバリングして意味不明の軌道で敵の後頚部上に飛び乗り、一瞬だけ高周波ナイフを作動させてその首筋を斬り付けた。
ザクッとした感覚を手に覚えた。
何を斬っても殆ど感触のない高周波ナイフの刃に、物凄く硬い線維を切り裂いたような感触が残った。
次の瞬間、魔物は「ギェェ!」と不快極まりない咆哮を挙げて僕達を振りほどこうとする――前に気が付くとまたバク転でスタッと荷台の上に着地していた。
(全身が激痛だ。けど――なんて動きなんだ――)
同じ人間の動きとは思えない。
初めてケルヴァイン装甲を攻撃したが――。
高周波ナイフでも斬りきれない、あれが、難攻不落の魔物の最重要臓器か。
金属片には届かなかったのだろうが、急所に届き得る攻撃を受けて、梟はひるんだらしい。
空の上を旋回しながら、一定の距離をとっている。
「あと20分だ!がんばれ!」
長い。
「援護します!」
アイリスの声と共に、馬車の荷台から上に向かって太い岩の木のようなものがニョキニョキと生えていって、空に蓋をした。馬車を雨から守る傘みたいな形だ。
「サツキくん、これで操縦席は大丈夫です。一緒に上に上がりましょう!」
岩傘の上へと昇る。アイリスも風魔法でついてきた。
彼女は自分用の防空壕みたいな溝を作り、その中に入った。機転がきく。
僕は少しだけ梟に近くなった。第二ステージだ。
旋回していた梟が、宙で留まり、大きく翼を広げて、羽ばたき始めた。
(来るぞ)
ギィィン!
(――ッ!)
電光石火とはこのことか。
少し目に慣れたと思っていたのに、また殆ど見えなかった。
構えが解けないように、背骨が折れないように、脊柱起立筋を最大限まで引き絞って体幹を維持することだけに集中する。
ガボは爪に対して高周波ナイフを使ったらしい。
3本ずつある爪の一部が欠けて、ぽとんと荷台の上に転がった。
魔物にも、感情というものはあるのだろう。
爪を折られて激昂したのか悲鳴のような咆哮が鼓膜をびりびりと震わせたかと思うと、梟は荷台の上に降りてきた。近い。大きい――。
(高周波は防御にも使える。見てろ)
ガボはナイフを短く持ち、刃の腹を見せるように90度回転させて構えた。
途端、大剣のような嘴から、鋭い突きが放たれた。
いや、現在進行形で放たれているらしい。
見えない。
岩肌を踵で削って脚を固定し、恐れずに真向から魔物に向き合い、ナイフの腹だけで右腕は空から降り注ぐ刃の雨のような刺突をいなし続けている。
幾ら強化外骨格が支えているとはいえ、こんな無茶な軌道を続けている僕の肩や肘の大事な腱はいくつか切れたのだろうが、絶え間なく放出されるアドレナリンのおかげで痛みは全く感じない。
(振動は衝撃を受け流し、わずかだが、敵の中枢を揺らす)
高周波ナイフのエネルギー残量が点滅し始める中で、ガボはいたって冷静だった。
右腕が嘴の根本の肉を切り裂いたとき、梟はまた甲高い声を上げて、空へと飛びあがった。
「あと10分だ!」
また耐えた。
でもナイフのエネルギー残量は尽きた。
激しい攻防からわずかでも時間ができると、途端に痛みが身体中で暴れ出してくる。
もう、やるならずっとやっててほしい。
(落ち着け。呼吸を深く。不要な筋肉を緩めて、血液を循環させて、老廃物を押し出せ)
無茶を言う。
でもガボに言われると、それが出来て当然なのだと思えてくるからまた不思議だ。
ふと、場にそぐわない、綺麗な音がした。
アイリスの声だった。
僕らの方を見るでもなく、目を閉じて、杖を胸に当てて、何かを諳んじている。
普段の瞑想の修行に少し似ている。
魔力というものに触れ始めて、なんとなく分かるようになった。
彼女は、なにか大きな魔法を編んでいた。
「サツキくん。こちらへ!」
――魔法というものは、複数の属性を跨った途端、別物と呼べるほどに、規模が大きく跳ね上がるのだという。単色魔術師がどう修行をしても、単純な魔法のぶつけ合いで複色魔術師には敵わない理由がそれらしい。
彼女が杖を空へ掲げた瞬間、僕はすぐに防空壕の堀の中へと飛び込んだ。
「いきます――複合魔法『熱嵐』」
その途端、熱波が空へと立ち昇った。
夜になりかけて薄暗かった空が、強制的に煌々と輝く夕焼け空へと変貌する。
いや――文字通り、空が灼けていた。
轟々と立ち上る燃える風。僕が生身で受けたなら、きっともう綺麗に火葬されて骸骨になっているだろう。改めて彼女の横顔をみる。
この綺麗な横顔からは想像もできない残酷な事象が空で起きている。
三色魔術師の恐ろしさを、今初めて知った。
魔法が止むと、馬車の後ろでボトリと音がした。
飛行型の魔物は、羽がすべて焼け落ちて、わずかに残った肉と、骨格の間をつなぐケルヴァイン装甲が露出した姿で、地面に墜落したのだ。
「……ナイフのエネルギーが残っていればトドメを刺せたのに」
「いえ、やめましょう。魔物によっては、油断させておいて一瞬で再生して人を殺める手法をとるものもいます。サツキ君は疲労困憊、私の魔力も尽きました。今の内に離脱しましょう」
「――――見えてきたぞ!祠だ。二人ともよくやった!」
遠ざかる魔物の残骸を見ながら、こみ上げてきた安堵感とともに、僕の意識は急速に薄れていった。




