97 放たれた矢は星を超えて
クォーツが突然現れた姿を変えた翔を感じ取った時には、すでに翔は駆け出していた。
己の体がここまで軽やかに動いた経験は、翔の人生で一度もなかった。インドアな趣味ばかりであった学生時代や、生活リズムが乱れまくっていた社会人時代、そして太りに太った体は、地面を強く蹴り上げることを不可能にさせていた。
だからこそ、こんなタイミングであったとしても、頬を風が切っていく感覚が翔には少しくすぐったく感じられた。
警戒心を強めたクォーツからは饒舌さも消え去り、突進してくる翔を見据えている。
「こっちも見た方が良いんじゃな~い?」
「チッ! 邪魔!」
余裕をもった慇懃さすら消え去ったクォーツは、チッチョに拳を振りかざした。腕の長さや判断の早さから、クォーツの拳の方がチッチョの突進よりも早く相手に届くことは明白だった。
だが、その隙を翔は見逃さなかった。地面をさらに強く蹴り上げると、クォーツの腹部に突進を仕掛ける。
(突進は避けられるが……。チビの拳を防御魔法で固めるかな)
クォーツはその体を翻し、チッチョに叩き込もうとした腕を引っ込めて翔の突進を避けようとした。
パァン!
瞬間、鳴り響いたのは破裂音だった。
「しまっ……!」
それは視界の外から平河が放った拳銃の音だった。能動的な防御魔法ではなく、自動的な防衛装置としての物理防御魔法が、一瞬でその銃弾を受け止める。
「クォーツ、残念だったな」
遮蔽から悠々と出てきたムトが、勝利を確信したように笑みを浮かべている。
クォーツは翔を避けようとしていた体をさらに翻し、チッチョの拳を避けた。自身の詠唱した魔法が、意識を吹き飛ばされてかき消されないための最善の合理的判断だった。
だが、それはつまり翔の突進を食らうことと同じである。
「クォーツ!」
腹部にタックルをかまし、翔はそのままクォーツの体をがっしりとつかむ。
「水無月ィ! お前は知らんだろうがな、どんなに抵抗してももう魔法は止められねぇんだよ! それに、身体強化魔法は他人にかけてもらうと威力も何もかもが弱まるんだ! 師匠の魔法か? だったとしても同じくらいの力にしかならねぇよ!」
真っ黒な毛並みを逆立てながら、クォーツは叫ぶ。
「いや、クォーツ、お前の負けだ。大津さんの姿でも、教祖の姿でもなく、その姿で来た時点で、お前は負けてたんだよ」
「は……?」
次の瞬間、クォーツの膝が力なく地面に折れる。
身体強化魔法がかかっているにもかかわらず、己の体に力が入らないとクォーツが気が付いたのは、数秒後のことだった。
翔が体に回した腕は、クォーツの衣服を引き破り、そして手はクォーツの素肌に触れていた。
毛並みの整ったクロヒョウの獣人の素肌に、翔は触れた。動物でも、獣人でも、構わず力なく撫でることができるその手が、クォーツの獣人としての敏感な肌に触れている。
そこから先は、すぐだった。
「ムトさん!」
「ああ、準備はできてる!」
「はっ! 俺の力を削いだところで魔法は発動するぞ水無月!」
「クォーツ、後ろ、見てみろよ」
翔の言葉にクォーツが振り返る。
これまでのクォーツならば絶対にしなかった隙だらけの行動だが、それを行ってしまったのは、予測が可能で、しかし回避不可能な、嫌な予感が翔の言葉にあったからだ。
そして、その予想は間違いなく的中した。
クォーツの後方には、異世界への扉があった。己が入ってきた、この世界と日本をつなぐ、唯一の扉だ。
「クォーツ……いや、このまま、一緒に帰りましょう。大津さん」
「おい……おい! やめろ! ハアッ……」
初めて見せるクォーツの焦りの表情を無視しながら、翔はなおも前に進み続けた。背後には、空中に広がる異世界への扉がある。
抵抗しようにも、クォーツの体には力が入らないままだった。
魔法が発動するまであと五秒。
四、三、二、一。
「ふざけるなあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
農園に響いたクォーツの声は異世界への扉をくぐった瞬間に消え去り、全身が通り抜けたと同時に放たれたムトの扉を閉じる魔法によって、クォーツは完全に遮断された。
残されたのは、パソコンと翔の部屋とをつないでいた、すっぱりと切れたコードだけだった。
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