追跡
人が多くなると、さすがに馬に乗って疾走するのは無理だ。通りは広く、歩くことはできても馬を全力で走らせる訳にはいかない。
少しイライラしながらも、リンネはニルケと待ち合わせするはずだった噴水の所まで来た。
時間をしっかり決めたのではなかったが、ニルケはもう待っていた。こういう時は彼の性格に感謝する。リンネのような性格なら、あちこち捜し回らなければならないところだ。
魔法書を読んで待っているニルケに、リンネが彼の名を叫んだ。
「ニルケ!」
「リンネ、もう馬を引き取って来たんですか」
「違うの。うちの馬じゃないわ。あん、もうそんなことはどうでもいいの。とにかく乗って。早くっ」
リンネがせかせるので、ニルケは何も聞かずに後ろへ乗る。珍しくリンネが焦っているとわかったからだ。
そばにカードの姿が見えないから、彼に何かあったのだろうか。滅多なことは起きないと言いながら、自分に起こったのかも知れない。
「ごめんなさい、通してください」
人々が行き交う間を、リンネは馬を歩かせる。やがて人もまばらになってくると、一気にスピードを上げた。
「リンネ、何があったんですか。カードに何か?」
「ううん、カードは無事」
風と一緒に、リンネの声が流れてくる。
「何を急いでるんです」
「目の前で子どもが魔物にさらわれたの」
「子どもが? リンネ、どちらの方向へ向かうつもりですか」
リンネが道を言うと、馬のスピードが今までの倍になった。ニルケが魔法で馬の足を速めたのだ。こうして移動中に移動魔法を使っても、あまりうまくいかない場合が多い。それなら、こうして進むスピードを上げた方がいい。
街へ行くよりずっと早く、リンネ達はカード達の所へ戻って来られた。
事情は道すがら、リンネが話す。さらにカードが、魔物を追った時の様子を手短に話した。
「空を飛ぶ者の後を追ったことはぼくにもありませんから、厄介ですね」
意識を取り戻したサーヤが、すがるような目をしてニルケを見ている。彼女の見た目からだとニルケより少し上くらいかな、とリンネは思っていたが、ほんのわずかな時間で一気に十以上も年を取ったような表情だ。
「何かサリアの持ち物はありますか?」
ニルケが言うと、サーヤは娘が落とした人形を手渡した。
「お願い……あの子を見付けて」
「できるだけのことはやります」
ニルケはそう答え、リンネ達と魔物がサリアをさらった場所へ向かった。
「こっちの方角へ逃げたんだ。この先に森があるけれど、そんなに大きくない。森を越えれば、岩がごろごろしている平野が広がってる」
バーディが地理を説明した。
「森の中が怪しいですが、空を飛ぶとなればそうだと限りませんね」
「うん、森の上を飛んでった。少なくとも森の中心近くか、向こう側だ」
カードの少し怒ったような口調。あの時、もう少し気付くのが早ければ、と思うと悔しくて仕方がないのだ。
ニルケは左手に人形を持ち、右手で印を結びながら呪文を唱えた。リンネなら何もなくても追えるが、会ったこともない人間を追うとなると、その人の気配が染みついた物があった方がやりやすい。
「すごい……」
後ろで見ていたバーディがつぶやく。彼も魔法使いだ。ニルケの力を感じ取ることができる。そして、ニルケの魔法が強い、ということも。
「とりあえず、今はっきりわかるのは、あの森よりも向こうだということです」
込めていた力を抜いて、ニルケはそう告げた。
一行は急いでそちらへ走る。確かに森はそう大きくなく、すぐに森の向こう側へと着いた。途中に魔物らしい気配は一切ない。
バーディが説明したように、森を抜けると大きな岩がごろごろしている平野があった。短い草が一面に生え、人間より大きなものや犬やねこ程に小さい岩があちこちに転がっている。もしこの辺りの土地を拓くことにでもなれば、この岩を取り除くだけでかなりの時間と労力が費やされるだろう。
「で、ニルケ。こっからはどうなんだよ」
また呪文を唱える。
「おかしいですね。ここから真っ直ぐに飛んでいるはずなのに、途中で気配が消えています」
「消えてる? それってどういうことなの。どこか別の世界へ入っちゃったってこと?」
追う人間が気を失っていても、気配は残る。その人が生きているなら。ニルケが調べている限り、ここへ来るまでにサリアが死んでしまったということはない。
それならば、その魔物が魔法の届かない空間へ逃げたということになる。空間が変われば、今いる世界で使っている魔法は届かない。もし、魔物が異世界へ逃げたのなら、サリアの気配がわからなくなってしまったのも納得できる。
「じゃ、その魔物が何か術を使ったってことなの?」
「いえ、異空間へ入れるような術が使えるのなら、子どもをさらった時点で使えばいいことです。それなのにわざわざここまで飛んで来たということは、この近辺に抜け道があるんですよ」
「ど、どこにそんなものが」
バーディがあちこちを見回して、魔物の抜け道を探す。
「気配が消えたのは、あの岩の付近です。恐らくあの岩自体ではないかと」
ニルケが差す岩は、リンネ達の近くにあるものの中では一番大きな岩だった。人間二人分程の幅に、リンネが手を伸ばしても届かない高さ。
「これのどこに、そんな抜け道があるの?」
「見た目にはわからなくても、このまま突っ込んで行けば、どこかへ通じているはずですよ。封じられていたり、隠されたりしている気配はありませんから」
「じゃ、前進あるのみね」
言うが早いか、リンネはその岩へ向かって突き進む。
「リッ、リンネ、待ちなさい!」
ニルケが止める間もなく、リンネはすでに身体の半分近くがその岩の中へと吸い込まれていた。
「おい、リン。……全く、本当に怖い物知らずだな」
カードが渋い顔で後を追う。
驚いたのは、バーディである。
ちょっと待ってくれよ。今、あの少女は何をした? 魔物がこの向こうにいるかも知れない岩の中へ、先頭切って入っただって? まさかそんなことが……。
「リンネって……魔法使いじゃないんだろ」
バーディはリンネが魔物の通ったと言われる所へ真っ先に行くのを見て、あっけにとられてしまった。普通の女の子がこんな所へ行くなんて、信じられない。
「ええ。でも、そこいらの魔物を相手にするより大変なんです」
言いながら、ニルケも後を追って岩の中へ姿を消す。
バーディは呆然としてリンネ達が消えた岩を見ていたが、はっと正気に返ると慌てて彼らの後を追い、岩の中へ身体をすべり込ませた。
☆☆☆
岩の中は薄暗く、前方に真っ直ぐ伸びる道があるというのがかろうじてわかるだけ。他には何もなかった。
人間二人が並んで歩ける程度の幅しかない。あの岩と同じ幅だ。しかし、周囲の壁に岩のような感触はなく、人間が作った建物にある廊下のように地面は平坦だった。
異空間と聞いたから、もっとおどろおどろしいのかと思っていたが、薄暗いという以外、恐ろしいと感じるようなものは何もない。魔物のいる様子もなく、静かなものだ。
道の先に、ほのかな灯りが見える。出口か、本当の異世界が広がっているのか。
そこに何が存在していようと、子どもをさらった魔物がここを通ったというのなら、行くしかない。
「リン、いくらなんでも先頭は無茶だよ。オレが先に行く」
「そう? じゃ、よろしく」
最初に入ったリンネを後ろへ回し、カードが前を歩く。
「これは魔物の世界なのか? まるで人間の城か宮殿の廊下を切り取っただけのような感じがする」
バーディはあちこち目をやりながら、不思議そうにつぶやく。彼はこのような異世界は初めてらしい。普通はそうだろう。特殊な事情でもなければ、こんな世界に足を踏み入れることは、魔法使いといえども滅多にないはず。
リンネ達の場合は「特殊な事情」がよくあるので、これくらいでは驚かない。
「魔物が造った世界ではないでしょう。魔法の気配のような感覚を受けませんから」
「うん。何かのきっかけでできた、自然の歪みだよ」
「言われてみればそうね。前はもっといやな空気を感じたもの。それに、ここって単なる通路みたいだし」
「は? お、おい、ちょっと待ってくれよ。リンネ、きみは一体何者なんだ? 前はって、そんな頻繁にこんな所へ行くのか?」
何でもないような会話をされ、魔法使いでもないはずのリンネが何度も経験したような言い方をする。バーディが気になるのも当然だ。ニルケはともかく、リンネが普通じゃなさすぎる。
「ううん、異世界は一度しかないわよ」
「一度しか……ねぇ。たった一度でも、すごいことだと思いますけれど」
あきれ口調のニルケ。
「だって、あの時はカディアーナを助けるためだったじゃない。それがなきゃ、あたしだって行ったりしないわよ」
「異世界でなくても、余計なことに首を突っ込むことはよくあるじゃないですか」
「でも、無駄に終わったことって一度もないわ」
「そんなこと、自慢になりません」
「あ、妖精の世界って、異世界に含まれるのかしら」
つい最近、夢の妖精の世界へ行ったことを思い出す。
「人間のぼく達から見れば、十分に異世界ですね。少なくとも、人間世界とは別ものですから」
「やっぱりそうなるのね。あ、バーディ。言っておくけど。あたしはごく普通の女の子だからね。何者って言われる程、何もしてないわよ」
「そうかなぁ」
話をふりだしに戻しかねないカードのセリフがすかさず入る。
何だかすごい人達と知り合いになってしまったらしい。
リンネとニルケの会話を聞いて、そう思うバーディだった。
光は遠く感じたが、案外早く出口へ近付く。長いようで、それほど長い道程ではなかったようだ。これは異世界の空気のせいか、時間の流れが違うのか。
「カード、外の様子はどう?」
斥候に出たカードへ、リンネが声をかける。
「普通の森の中みたいだ。おかしな気配は感じない。元の世界に戻ったようだけどさ……はてさて、ここがどこなのかが問題だな」
今通って来た所は、ニルケによれば抜け道ということだった。つまり、どこかへ抜け出る道ということ。
ここはどうやら人間世界のようだが、イメールの街からは離れているはずだ。そうでなければ魔物が使う抜け道の意味がない。多少の距離なら、すぐにその足や翼でかせげる。遠くへ通じる道だからこそ、魔物もここを使ったのだ。
「とりあえず、普通の世界なら文句はないわ。ニルケ、サリアの気配をたどってみて」
リンネに言われるまでもなく、ニルケはすでに呪文を唱えていた。
彼らの手慣れた様子に、バーディはやはり呆然とするばかりである。
「そんな場合じゃないっていうのはわかっているけど、ますますリンネには興味がわいてくるな。ラースの街から来たって言ってただろ。俺はまだあの街には行ったことがないけど、一体どんな街なんだ」
「ラースが特別な街ってんじゃないよ。リンが特別なだけ」
「カード、今の言葉、わずかに引っ掛かりを感じたんだけど」
「そう? でも、普通のお嬢様じゃないってことだけは確かだろ」
お嬢様どころか、普通の人が滅多に経験しないようなことを、リンネはたくさん経験している。
「カード」
ニルケの張り詰めた声に、カードがそちらを向く。
「追っていたのは、彼じゃないですか?」
いつの間にか、ニルケは魔物と対峙していた。
鋭いくちばしと、大きな黒い翼。遠目だと鳥に見えたが、近くだとその翼とは別に人間のような腕があるとわかる。顔は鳥と人間を混ぜたような造作だ。小柄な人間と大きさは変わらない。
そこにいるのは、サリアをさらった魔物だった。
「さっきサリアをさらったのはお前だなっ」
バーディがニルケよりも前に出て怒鳴った。
「ど……どうやってここまで」
相手の魔物は、追っ手がここまでやって来たことに驚きを隠せない。自分はちゃんと逃げ切った、と思っていたから。絶対に追われるはずはないのに。
「お前が通って来た道を使ったんだ。さぁ、早くサリアを返せ」
言いながら、バーディは魔物に戒めの魔法をかけた。さっきは空高く飛ばれていたので届かなかった魔法だが、今は至近距離。どんなに力が弱い魔法使いでもかけられる距離だ。
バーディは追跡の魔法は苦手なものの、戒めの魔法はそれなりに使えるらしい。魔物はすぐに動けなくなった。
「た、助けてくれ。命だけは」
魔物はしわがれた声で助けを請うた。姿が不気味な割に、あまり魔力はないようだ。
「さらった少女はどこです。その子を返せば、命までは奪いません」
「そ、それは……」
魔物は口ごもる。それを見て、バーディは戒めの魔法を強めた。身体を縛っていた縄を強く締め上げたようなものだ。魔物は悲鳴を上げる。
「喰ったのか、サリアを」
低く尋ねるバーディの言葉に、リンネ達は最悪の状況を覚悟した。
「俺は喰ってない。俺は喰ったりしてない。今までだって人間を喰ったことはないんだ」
魔物はかろうじて動く首を、懸命に横に振った。
「それじゃ、どこなんだよ。さっさと口を割らないと、本当に殺されちまうぜ。頭に血が上った人間は、時として魔物より質が悪くなっちまうんだからな」
カードが冷めた声で「助言」する。
「……マージの所へ連れて行った」
魔物は震える声で、そう告げた。
「誰だ、それはっ」
また力を込めかねない口調で、バーディが聞き返す。
「こ、この近くにイークスの山がある。そ……そこに棲んでる魔……魔女だ」
それだけを答えるのに、魔物はひどく怯えた表情で、声もさらに震えている。
「魔女だと? つまりお前は、その魔女に貢ぎ物としてサリアをさらったのか」
「ひっ、許してくれぇ。そうしなきゃ、俺が殺されちまうんだよ」
魔物が涙を流して謝っている。もし身体が自由であれば、地面に額をこすりつけるようにして謝っていただろう。
「俺にすれば、お前の命よりサリアの命の方が大切なんだ。許してくれって言われて簡単に許せるか。あの子はまだ五つなんだぞ。涙なんか流しても、俺は騙されないからな」
「バーディ、少し落ち着いてください」
「こいつ、本当に怯えてるぜ。その魔女ってのがよっぽど怖いんだ」
「それだけ、強い魔力を持った魔女なのね」
魔物がリンネの言葉に、魔物が何度も頷く。
「だけどっ」
「ええ、わかっています。このまま放っておく訳じゃありませんよ。サリアがその魔女の所へ連れて行かれたと言うのなら、その魔女の情報を得ないと」
「あんたも自分の命が惜しいなら、ちゃんと話すのよ」
「でも……」
魔物は魔女のことを口にするのも恐ろしい、という表情をする。
「魔女に殺されるのと、たった今命を落とすのと、どっちがいいのっ」
リンネがいきなり叱りつけ、魔物はビクッとなる。
動けるものなら、魔物は今すぐにでも飛んで逃げたかったに違いない。





