ティルフィーネ・エヴァ・バケンティアの奮闘記 10
「シバきましょう」
「しば?……え?」
首を傾げる上品なティルフィーネに構うことなく、事情を聞いたアヴェリナはにこやかに、右手で作った拳を左手のひらにパンパンと音を立ててぶつけていた。
しばく、という単語の意味は分かっていないが、穏便な言葉ではないことを肌で感じて「落ち着いてください」とティルフィーネはアヴェリナを慌てて止める。
「しばいたら? ダメだと思います! 多分!」
「安心なさい、ちょっとあの綺麗なご尊顔を力の限り殴るだけ……」
「絶対ダメだと思います!」
スカートの裾にすがってそう言えば、アヴェリナは不満そうにしながらも拳をおろした。
それでも文句を言い足りないのか、ぶつぶつとアヴェリナは呟いているので、油断はできないなと思いながらもティルフィーネはホッとする。
「好きな女を不安にさせる唐変木なんて、殴ったって罪にならないわよ」
「なります!! 王族暴行罪ってありますわ!」
「あのろくでなしなら無効よ!」
全然無効にならないはずだが、アヴェリナは今にも持っている扇をパキリと折りそうな勢いだった。
アヴェリナがクラウスに怒るのはいつもの事だが、見るからに高級品なそれが、八つ当たりで折れるのは忍びない。
イライラする猫がしっぽをばたんばたんと鳴らすのと同じリズムで、アヴェリナが扇を叩いて鳴らしているのを聞きながら、ティルフィーネは侍女サラが淹れてくれたハーブティーを一口飲む。
とっても美味しい。安心する。
なお、キュリエが旅立ったのは昨日の事である。
キュリエの帰省は毎年の事だから、アヴェリナも分かっていたことだったが、早めの帰省の知らせに寸前まで拗ねていた。
「キュリエが帰るなら、私もクリステッドに行く」
「今週ご予定頂いている商談が5件、お茶会が3件ございますし、明日は王妃様に王宮にご招待を頂いておりますので無理ですよ」
と、侍女サラに言われて凄く不満そうな顔をしていたらしい。
その話をした時は、その表情が想像できるようで楽しかったが、帰省が早まった理由がクラウスのせい(?)だと聞いてから、アヴェリナは非常に機嫌が悪い。
「ほんとあいつ大嫌い。クラウスの癖に!」
「でも、どうしましょう。このままだとキュリエ様、クラウス様に婚約解消を言い出したりしませんか?」
「……ティティ、あなた2人に別れてもらった方がいいんじゃなくて?」
意地悪な物言いに、ティルフィーネは思わず言葉を詰まらせる。
それは確かにそうなのだ。ティルフィーネはクラウスが好きで、ずっと思い続けていて、キュリエという婚約者がいると分かった今でも、諦めることができないのだから、2人が別れるのならティルフィーネは諦めなくてよくなるかもしれない。
「でも、でもそれはぁ、なんか、違うかなぁって」
ティルフィーネは気が付いたらめそめそ泣いていた。ディシャール王国の飲酒年齢は18歳なので、ティルフィーネはもちろん素面である。
17歳思春期のめんどくさ……純粋な心の持ち主であるティルフィーネにとって、この微妙な三角関係はとっても修羅場だった。
三角関係だとおもっているのはティルフィーネだけであるが、人生最大の修羅場だと言っても過言ではないと思っている。
「クラウス様わぁ、しゅてきなかたでぇ、キュリエ様もしゅてきな方でぇ、あんなにおもってらっしゃるのにぃ、すれちがってらっしゃるところにぃ、私がはいりこむのはちがうじゃないですかぁ」
べそべそめそめそ、湿度高く泣いているティルフィーネをアヴェリナは、邪険にすることなくよしよしと撫でていた。ちょろいティルフィーネは「聖母ですかぁ」などと言いながらそれに甘えている。
「ティティは本当にめんどくさくて可愛いわ」と、聞こえた気がするが、気のせいだ多分。
そんなデリカシーの無いこと、さすがのアヴェリナでも言わないだろう。
……言わないよね?
「ねぇティティ。明日、クラウスの顔見に行きましょ」
「……え?」
べしょべしょになった顔をあげて、ティルフィーネは首を傾げた。ちょっと意味が分からなかった。
「あのろくでなしが、ろくでなしな様子を見に行きましょう」
「いや……その、ご迷惑では」
控えめに言ってみたが、そりゃもう迷惑だろう。
相手は第二王子である。公爵令嬢であるティルフィーネ達も、学業と社交でそこそこ忙しいのだが、第二王子であるクラウスは自分達よりももっとずっと忙しいはずである。
「キュリエがいないからどうせ、ろくでもなく暇をしているわよ」
「そ……そうなんですか」
「ティティもね、そろそろ現実を見たほうがいいですわ」
不穏な言葉がいっぱい聞こえた気がしたが、涙だけではない液体でべっしょべっしょのティルフィーネの頭には届かない。
「サラ! ティティのケアをしてあげてちょうだい!」とのアヴェリナの言葉でティルフィーネはサラに別室に連れていかれたので、改めてちゃんと聞くことができなかった。
そのことを、ティルフィーネは明日、王宮でとても後悔することになるとは思わなかった。




