ティルフィーネ・エヴァ・バケンティアの奮闘記 11
次の日、ティルフィーネは物心ついてからは初めての王城へ来ていた。
白亜の城と名高いディシャール国の王宮は、白壁が陽の光をあびてキラキラとしているように見えたが、ティルフィーネの心は緊張で沈んでいる。
両親曰く、3つだか4つだかの幼い頃に、国王夫妻に御顔見せとして登城したことがあるようだが、勿論ティルフィーネの記憶に残っていない。
そのため、実質初めての王城であるので、ティルフィーネは油断したらきょろきょろと見回してしまいそうだった。
……いや、正直言えば見て回りたかったし、許されるなら探検だってしてみたかった。17歳の淑女でなかったら、そわそわしながらこっそり歩いていたかもしれない。
ティルフィーネ・エヴァ・バケンティア公爵令嬢が、家族にお願いすれば割と容易く王宮探検ツアーを開催してもらえるはずだったが、ティルフィーネはそういった我儘を言うタイプではない……というか、そういったことを思いつくタイプではない。
後日、ティルフィーネから王城登城の際の話を聞いた父と兄達が「「「ティルフィーネが王城に憧れていたなんて知らなかった!」」」と、衝撃を受けて王城ツアーを企画し、そのエスコート役を誰がやるかで大揉めするのだが、今のティルフィーネには分からないことである。
とまぁ、そういうわけでティルフィーネは田舎者だと思われないように気を付けながら、王宮の天井の高い廊下を歩いていた。
「そんなにビクビクなさらないでちょうだい。ちょこーっと王妃様にご挨拶するだけなんだから」
「ええ!そうですわね!」
声を裏返しながら、ティルフィーネは平静を装う。多分無理である。
王妃様はティルフィーネの突然の来城を快く迎えてくれた。
「まぁ! あなたがティルフィーネね! 最後に会った時はうんと小さい時だったのよ、病気が治ってなによりだったわ。今度隣国のお話をゆっくり聞かせて頂戴」と気さくな様子で言われて、思わず感激してしまう。
高位の伯爵家のご令嬢だった王妃様は、国王陛下と幼い頃に婚約し、仲睦まじいことで有名だ。
理想の夫婦はと聞かれたら、国民の9割が国王夫妻とだと宣言するだろう、間違いない。
さて、そんなディシャール王家だが、女の子が滅多に生まれない。
そんな中、数年前に愛らしい王女様をお生まれになった際、ディシャール王国の歴史上、王女が生まれなさ過ぎたためにその教育に不慣れだった王家より命じられて、ハーヴェント公爵家のアヴェリナの教育方法を伝授した関係で、懇意にさせていただいているらしい。
本来だったらティルフィーネにも打診があったのだろうが、ティルフィーネは王女が生まれた頃にはもう隣国にいたのでその辺りは仕方ないと言える。
まぁ、国内にいたとしても病弱を理由に両親が辞退していただろう。健康になった今ならともかく、病弱だった昔のティルフィーネには登城すら難しい。
「アヴィ姉様、そちらの方がティルフィーネさま?」
王妃の傍にいた焦がし砂糖色の髪の幼女が小首を傾げながらアヴェリナに話しかけた。
くるくるとした巻き毛、まだ幼さの残る舌足らずな喋り方。好奇心に輝くアクアマリンの瞳と目があい、ティルフィーネはその可愛さのあまり心臓発作が起こるかと思った。
「ごきげんよう、リヴェラ様。そうよ、この方が……」
「……バケンティア公爵家の第四子ティルフィーネと申します。お初にお目にかかれて光栄でございます、リヴェラ王女殿下」
そうして淑女の礼をすれば、リヴェラ王女はわかりやすくぱっと顔を輝かせた。
「リヴェラ・ランフォールドよ、ティルフィーネおねえさま!」
(可愛すぎますわ!!!)
あっというまにお姉様認定されて、またしても心臓がきゅんっと痛くなった。
ティルフィーネは末っ子なので、妹や弟の存在がどういうものかはよく分かっていない。
だが、純粋に慕ってくれようとする幼子は可愛いものだと理解しているので、「おねえさま」という言葉は勿論致命傷だった。
リヴェラが王女でなかったら、お家に連れ帰って妹にすると駄々をこねていたかもしれない。
「もうっ! 相変わらず可愛いですわ! クラウスには勿体ない……いまからでも私の妹になりませんこと?」
「アヴェリナ様!」
自分の心の声が読まれているのではないかと思うほど的確な台詞に、ティルフィーネは思わず青くなったが、アヴェリナはそんなティルフィーネの事をお見通しなのかにやりと笑うばかりである。
「リヴェラを可愛がってくれて嬉しいわ。今後ともよろしくね」
と、にこやかで爽やかな王妃に心をときめかせながら話をしていると、扉をコンコンとノックする音がして上級女官が王妃の耳にコソコソと耳打ちした。
「ごめんなさい、茶会の途中で申し訳ないのだけれど何か起こったらしいわ。良ければもう少しだけリヴェラと遊んでいただけたら嬉しいわ」
と言って、妃殿下が部屋を後にしたあとも、ティルフィーネは当初の目的を忘れて王女と楽しく遊んでいた。
幼いながらも賢く、おねえさまと慕ってくれるおませな女の子はなんて可愛いのだろう。
「ところでリヴェラ様、あのろくで……クラウスは今日どうしているか知っていて?」
「え? クラウスにいさま? クラウスにいさまならキュリエねえさまがいませんから、溶けてますわ」
……溶け?
いまなんだろう、不穏な言葉を聞いた気がしたが気のせいだろう多分。……とでも言うように、ティルフィーネは思考を巡らせる。いや、ほら、気のせいだって多分。
「とろとろかしら」
「ぐちょぐちょだとおもいます!」
「ぐちょぐちょ?」
だめだ、意味が分からないとティルフィーネは思わず首を傾げると、その様子を見た王女がハッとした顔をした。
「ティティおねえさまは、もしかしてクラウスにいさまが溶けたすがたをみたことがないのですか?」
「ええ、そうなのよ。今日はその溶けたクラウスをティティに見せたかったの」
「そうなのですか!」と王女は言うと、小さな拳でトンっと胸を叩き「ではリヴェラにお任せください!」と言い出す。
「溶けてるにいさまを、リヴェラが案内して見せて差し上げますね!」
王女はそう言うと、屈託ない笑顔でティルフィーネの手をとるとずんずんと王宮の奥へとティルフィーネを誘った。
困惑しながらもついていくティルフィーネは、やがて王宮の一角にある第二王子の執務室に辿り着く。
「こんこん! にいさまいますか!」
コンコンとノックの音を大きな声で真似ながら、王女が執務室の扉をノックする。
しばらく反応がなく、王女がもう一度ノックしようとするよりほんの少し早く、扉が小さく開いた。
現れたのは夜空のような深い紺色の髪に青銀に鈍く光る瞳を持った青年だった。
確かクラウスの側近だった……はずの……そう、
「カイル・フェルディナンド侯爵令息……」
「……バケンティア嬢」
クラウスの側でいつも無表情でいた、護衛騎士も兼ねていると聞くフェルディナンド卿はティルフィーネの存在に少しだけ驚いたように瞳を瞬かせた。
その隙に「クラウスにいさま! リヴェラがきましたよ!」と言いながら、幼い王女がフェルディナンド卿の脇を通り抜けて部屋に入ってしまう。
「「リヴェラ様!」」
2人の声が思わず揃った。
そのまま、王女を追いかけてティルフィーネは第二王子の執務室へと足を踏み入れる。
執務室は、ティルフィーネが思っていたような部屋ではなかった。
灯りが付いてなくて、カーテンの隙間から漏れ出る外の光だけが室内を照らしていて、人気は感じられない。
「リヴェラ様? ……クラウス様?」
不安になりながら声をかけると、視界の端で王女の砂糖菓子によく似た焦がし砂糖色の髪が揺れた気がしてそちらの方へ視線を向ける。
「え」
そこにあったのはソファだった。
王女がにこにことしながら、そのソファにだらしなく眠る人物に声をかける。
金色の髪をした男性だ。
手入れのされていない、べたついて見える髪に、よれよれのシャツはだらしなくはだけていて、胸元がちらりと見えている様子に免疫のないティルフィーネは「きゃっ」と悲鳴をあげて両手で目を覆う。
「クラウスにいさま! ちゃんとなさって!」
王女がぺしぺしと、横になっている男性の頬をたたくと、その男性は心底迷惑そうに眉根を寄せて、つむっていた目を開ける。
恋焦がれた蒼玉の瞳が、ティルフィーネを捕らえる……が、その瞳は曇っているように見えた。まるで、死んで3日たって新鮮さを失った腐りかけた魚のようだ。
「リヴェラ……キュリエがいないのに、ちゃんとする意味ある?」
気だるげな声を出したその男性は、キュリエの初恋の人クラウス・フォン・ランフォールドその人だった。




