ティルフィーネ・エヴァ・バケンティアの奮闘記 9
「ティルフィーネ様、少しご相談をさせていただけますか」
悲痛そうな顔で、キュリエがティルフィーネの元へやってきたのはそんな時だった。
美しい紫水晶の瞳が不安で揺れるのを見たティルフィーネは、キュリエその様子に心臓をどくりと跳ねさせる。
「お願いします、アヴィには内密にご相談させていただきたいのです」と、真摯に願われたティルフィーネは、初めてバケンティア公爵邸に友人を招いた。
急な来客、しかも第二王子の婚約者である辺境伯令嬢に公爵邸の使用人達は驚きながらも、「自分たちの可愛いティティお嬢様が、初めてお友達を連れてきた!」ということに喜びながらお茶の準備をしてくれた。
気恥ずかしさに顔を赤らめながら、ティルフィーネは少しだけ落ち込んだキュリエに話を促す。
「その、あの……」
「大丈夫ですよ、キュリエ様。ゆっくりお話しなさってください」
日頃からは考えられないほど、言葉を選んでいるようなキュリエにティルフィーネの胸がキュッとする。
キュリエは恋敵だが、いつも親切で優しい、大好きな友人(予定)だ。何か辛いことがあるなら力になりたいと思うのは、当然の事だった。
その想いが伝わったのか、キュリエはしばらく視線をさまよわせた後、決意したようにその瞳をティルフィーネに向けると、祈るように手を組む。
「ティルフィーネ様、どうか正直に仰ってください。私、クラウス様の婚約者として相応しいでしょうか」
「……????」
ちょっと何を言っているか、この時のティルフィーネには分からなかった。
キュリエ曰く、クラウスはいつも優しいし、いつだってキュリエの事を大切に想ってくれている。
ただ、クラウスはあまりにも素晴らしすぎる人だった。
何か功績をあげるたびに「キュリエのおかげで、私はいつも頑張れているんだよ」と言ってくれるが、果たして自分は本当にクラウスの為に何かできているのだろうかと、日々悩む毎日だという。
ティルフィーネは正直「何言っているんだ」と言いたくなったが、淑女の端くれとして直前で飲み込んだ。
いやほんと、何を言っているんだろうか。
キュリエはティルフィーネから見れば、未来の王子妃として完璧な令嬢だった。
彼女を傷つければ、ディシャール各地の有力貴族を敵に回すと馬鹿でも分かるような人脈を抱えている令嬢が、未来の王子妃として相応しくないわけがない。
むしろ、これ以上を望む方がおかしいだろう。
「キュリエ様以上に、クラウス殿下に相応しい方がいらっしゃるわけないですわ! 何よりほぼ毎日会いに来られては、キュリエ様に愛を囁いていらっしゃるでしょう?」
「それは、政略結婚ではないという……主張の為でございましょう?」
曇りなき眼で、本気でそう答えたキュリエに、ティルフィーネは何を言っているのだろうと、ますます首を傾げた。
クラウスは暇さえあれば、卒業したはずの王立学院にキュリエを迎えに現れているのに。
一応、名目上は論文提出の為の事務の為だと言っているし、職員棟の一室はクラウスの研究室とされているので不思議ではないのだが、99%どころか100%の確率で、キュリエに会いたいから王立学院に部屋を用意してもらっているのだと、アヴェリナが吐き捨てるように言っていたのを覚えている。
馬車に乗る直前、キュリエの髪をひと房とって口づけするのはいつもの事。愛しくて仕方がないという顔で二人して馬車へ乗り込む姿は理想の婚約者同士であると、学生の間で話題になっているのに、何度も言うがキュリエは今さら何を言っているのだろう。
だいたい政略結婚ってなんだ政略結婚って。
アヴェリナから聞いていたのは、クラウスが強く望んで結ばれた婚約だということだったが、違うのだろうかとぐるぐる考えていたら、いつのまにかキュリエは大粒の涙をぽろぽろ流していた。
「キュリエ様」
「……実は、クラウス様に隣国の姫君から友好の為の政略結婚の話が出ているそうなのです」
「はぁ?」
「今、結婚適齢期な王族はクラウス様だけです。フェニシオラ辺境伯領の九子である私より、ずっといいお話ですわ。国益の為なら退くべきだと分かっているのです……、お手を煩わせないために私の方から婚約破棄を願うべきだと」
「お待ちになってくださいキュリエ様! どうか落ち着いて!」
なるほど、アヴェリナに相談できないわけだ。
こんな話、アヴェリナが聞いたらすぐさまクラウスに殴り込みに行き、婚約解消を嬉々として各所に提案しかねない。
「……きっと、色々誤解されているかと」
「そうでしょうか」
そうでしょうとも、そうに決まっている! と、言いたい気持ちを押し隠して、ティルフィーネはなんとか説得した。もともと対人関係が乏しいティルフィーネには、説得という仕事はずいぶん難しかったが、彼女なりに必死に頑張った……ような気がする。
「あ、そうだ! 一度距離を置いてみるとかどうですか!」
「……距離を?」
ヤケクソ気味で提案したティルフィーネに、キュリエは顔を上げた。
ぽろぽろと泣くばかりだったキュリエのその反応に、ここぞとばかりにティルフィーネは言葉を紡いでいく。
「一度、距離をおいて静かに考えるというのもありですわ。キュリエ様がクラウス様の事をどう思っているか、自分自身と向き合って考えてみることも大事だと思うのです」
なんて、恋愛上級者(ティルフィーネ調べ)なことを言ってみたが、全部隣国にいた時にお世話になった叔母の受け売りだ。
だがしかし、必死なティルフィーネの言葉に、キュリエはこくんと小さく頷いた。
「……そうですね、それも大事かもしれません」
「そうですよ!」
なんとか時間を稼げそうでティルフィーネはほっとした。
キュリエ曰く、毎年恒例の南の辺境伯領地に一時的に帰る時期が近付いているそうで、それを少々早めて実家で1人考えることができそうだという。
「ありがとうございます、ティルフィーネ様。私、少し考えてきます」
「はい、キュリエ様。どういうお答えが出たとしても、私はキュリエ様の味方です」
手を取り合って微笑みあう、少女たちの友情は美しく、一方ティルフィーネの内面では嵐が吹き荒れていた。
(なるべく早急に、アヴェリナ様にご相談しなきゃ!)
悪手であるのは百も承知だったが、ティルフィーネ1人で抱えるにはあまりにも重すぎたこの事件のせいで、彼女はさらに初恋迷宮へと迷い込むことになったのだった。




