53、後悔
「放せって言ってんだろ! 殺すぞ、このワンコロがぁ」
「僕は犬じゃないよ、人間だ」
そう言って、やつの右顔面をグイグイと地面に押しつける。
夜の公園。照明は遠く、僕を横目で睨む後藤の表情が人間とは別の物に見えた。
「さあ、仕返ししてやるよ、後藤君」
遠慮なくエナジーを吸い取る。すぐに通常の生活分は枯渇したので、やつの奥の扉をこじ開けた。
「ギャー!」
押さえつけられている後藤が手足をバタつかせてもがく。思ったよりも寿命エナジーは豊富なよう。
「やめろー! やめてくれー。怖いよー、怖いじゃん。てめえは何をやってんだよ」
「君も分かっているんだろう。寿命を吸い取っているんだよ。どうだ、自分の人生がなくなっていく感想は」
僕の顔は意地の悪いものになっているだろう。
「やめろ……。この死神が……。ああ、なくなっていくぅ。俺の未来が、夢が消えていくんだよぉ」
「ああ、そうさ。君の大事なものを僕が吸い取っているんだ。これをギルドに持っていくと高値で買い取ってくれる。もっと僕を儲けさせてくれよ、君の将来でさあ。君みたいなゲスくさい命でも僕の財布を膨らませてくれる。君をすりつぶして僕達が贅沢できるのさ。ああ、楽しいなあ」
僕もゲス人間だったのか。こいつを殺しても後悔しないような気がする。
スザンヌの方に振り向くと、彼女は平静だった。普通の視線で僕と後藤を眺めている。
今まで姉妹は怖い思いを散々してきた。スマホの翻訳機能で状況を知り、罪を犯したら罰を受けるのは当然と思っているのだろう。
「やめろ、やめろよ。悪魔野郎がぁ……。地獄に帰りやがれ」
声もからがらに僕を罵る。やつの目はうつろになっていた。
「いーや、僕はやめないよ。だって、学校で僕がやめてくれと頼んでも君たちは苛めを続けたじゃないか。後藤君のエナジーを最後まで吸い尽くしてやるよ。今までやったことはないけど、エナジーを全てなくした人間がどうなるか実験してやる。ああ、楽しみだなあ」
口では言ったが、実際にそこまでやるのは怖い。どうなるか予想はつくからだ。
「やめて、やめてください、加賀様。どうか、俺のかけがえのないものを奪うのは勘弁してください。お願いいたしますぅ……」
泣き声に変わっている。とうとう突っ張っていた心が折れたのか。
「どうだ、前は君の音楽を吸い取った。これから、君の人生も削ってやる。どうだ、ドンドンとお前の大切なものがなくなっていく感想は」
「怖いよ、怖いよ。ああ、こんなことなら、加賀を苛めないで音楽だけをやっておけば良かった……じゃん」
しばらくして、つぶやくように後藤が歌い出した。それはロックの曲で彼が得意だったもの。素人の僕が聞いても下手だと思う。
不意に彼の未来が頭に映った。
四十歳を過ぎても実家に引きこもり、ずっとゲームをやっている。その先も同じ風景。
僕はドレインを止めた。
「何をやっているんだ!」
遠くから怒鳴り声がした。
見ると自転車に乗った警官。すぐに近くに走り寄ってきて自転車を止める。
ああ、ちょっとヤバいかな。
僕は後藤を押さえていた手を離す。
「ああ、おまわりさん。助けてください」
後藤が警官の腰にすがりつく。
「こいつは悪魔なんです。人の寿命を吸い取る死神なんですよぉ!」
そう言って腰を揺さぶるが、警官はいぶかしげに後藤を見下ろすだけ。
「おまわりさん。こいつを殺してください。この世に存在してはダメなものなんです。消しておかないと人間に災いを及ぼす妖怪なんです」
その若い警官は、目を細めて僕に視線を移す。
こちらが言い訳するのは簡単だ。
「その人は以前から妄想癖があるんです。さっき怪物を見たと言って暴れたので押さえただけなんですよ」
そうだよね、というようにスザンヌを見ると彼女は大きくうなずいた。
「まあ、とにかく、交番に行って詳しい事情を聞こうかな」
そう言って警官は後藤を引き起こす。
「そんな悠長なことを言っていないで、こいつを殺せじゃん! こいつは怪物だ。人間じゃないんだよ」
「分かった、分かった」
苦笑いして警官は、後藤の服についている土を払い落とす。
「殺せって言ってるじゃん!」
彼は警官のピストルホルスターをつかみ、ホックを外そうとした。
「何をするかぁ!」
警官は彼を引き剥がそうとしたが、後藤はホルスターを両手で握って中のピストルを取り出そうと躍起になっていた。
「いい加減にしろ!」
後藤を突き飛ばす。
後ろ向きに倒れた後藤は、大きく目を見開いて立ち上がり、公園中に響く悲鳴を上げて逃げ出した。
「待て-! こらー! 止まれ」
警官がダッシュで追いかける。
暗がりの公園に残ったのは、僕とスザンヌと自転車。
「僕達も逃げようか」
僕はともかく、スザンヌが事情聴取されると困る。
ホテルに戻り、今日は寝ることにした。
*
たくさんの買い物をしてスザンヌたちを異世界に送った後、僕は仕事に戻った。
今日の作業は湿気でベコベコになった床材の交換。腐った床板をフロアパネルに代える仕事だ。
一仕事終えた後に庭で休んでいるとスマホが鳴った。それは、清水美代子さんからのラインだった。
話があるという内容だったので、通話モードに切り替える。
「やあ、こんにちわ。元気だった」
向こうから返事がない。
「あの、清水さん……」
「はい、加賀君、久しぶりね」
「ああ、久しぶり。卒業式以来かな」
「ええ、そうね」
清水さんの声がそっけないトーンだ。
「あの……清水さん。」
「聞いているわよ」
相手は何か怒っているような気がする。
「ねえ、加賀君。ちょっと聞きたいんだけど、あなたは女の子とラブホテルに行ったんだって?」
「えっ」
背筋が寒くなる。誰がそんなことを。
「後藤君がメールをくれたのよ。加賀君がグラマーな女の子とキスしながらホテルに入っていったって」
「そんなバカな……」
後藤の野郎、ドレインの腹いせに悪口を言ったのか。
「その娘ってスザンヌという女なの?」
「あ、いや、それは……」
どうして僕はアタフタしているのだろう。
「加賀君には恋人がいたのよね。私のことは迷惑だったのかしら」
「そんなことはないよ」
「本当に?」
清水さんは信じているようではない。
あの後藤の野郎は、適当なことを言いやがって。
「本当だよ。スザンヌとは別に特別な関係じゃない。東京に来たんで、案内してあげただけなんだよ」
「ふーん」
僕はどうして言い訳しているのか。スザンヌとは恋人だと告げればよいのに。なぜか、それができない。
「じゃあ、今度、会ってくれる?」
「えっ」
「できれば、東京に来てくれるとありがたいんだけど」
「うん、まあ、いいけど」
車で行くのは大変だから、飛行機で行くかな。
清水さんに会いたいという気持ちがある。スザンヌに対する気持ちは本気なのだが、清水さんにも惹かれている。これは浮気というものではないのか。ふらついている自分の気持ちが自分で理解できない。




