45、花見
「何をやってんだ! さっさと運び出せ、冬也」
依頼主の家の前。井上の怒号が集落内に響く。
僕は無言で部材を家の庭に運んだ。
怒鳴られるのにも慣れてきた。異世界で悪者と戦うことに比べたら、大したことではない。
「ちっ、グズが……」
井上が顔をゆがめて僕を見てから家の玄関に入った。
僕は黙って井上に続く。
やつは人前でも平気で僕を叱る。女子社員がいてもお構いなしだ。
人を叱るときは、誰もいないところに連れて行き、静かに注意するべきだと、僕の叔父さんに教わったのだが井上は何も考えていない。
公衆の面前で怒鳴るということは、その相手からの信頼は未来永劫に得ることはできなくなるということを理解していないのか。人前で恥をかかされたのだから僕は一生、やつを許すことはない。
人は宗教団体に入っても精神が向上するわけではないようだ。
*
「おい、冬也。お前は花見の場所取りをしろ」
「はい?」
会社の休憩室。ぶっきらぼうな言い方をする井上の態度にむかつく。
この会社では、社員がそろって花見をするのが恒例になっていた。
東北の桜は開花が遅い。新人歓迎会を兼ねての花見だという。
今度の週末に川沿いの公園で花見をすることに決定したらしい。
「花見のときは新人が朝から場所取りをすることに決まっているんだよ。お前は5時からシートを敷いて俺たちが来るのを待っていろ」
「5時というと夕方ですか?」
「朝に決まっているだろ! 昼前には場所が埋まってしまうから、先にブルーシートを敷いて花見の場所を確保するんだ」
「はあ……」
やれやれ、これが社会人の習わしというものか。
「それから、お前は酒を飲むなよな」
「はあ?」
新人歓迎会という意味もあるのに、僕は酒を飲むことができないのか。まあ、未成年だから当然というものだが、他の若い社員は平気で飲み会に参加している。
「花見が終ったら俺を家まで送る仕事があるからな」
「はあ……」
タクシーか電車で帰れば良いのに、こいつは公私混同しているな。
「よーし、今度の花見は思い切り飲んで騒ぐぞぉ」
井上は大きく背伸びして倉庫に向かった。
「やれやれ……」
社会人になるということは面倒な義務が生じるんだなあ。仕事さえしていれば、それで良いということにならないのだろうか。
会社にとっては、業務フローの明確化とかマニュアルの整備などのシステムが重要で、いくら飲み会をやっても社員のチームワークが良くなるとは思えない。
「まあ、これがずっと続くわけではないさ」
今回の花見は、状況を変えるチャンスになるかもしれない。
僕は気分を落ち着かせて倉庫に向かった。
*
金曜日の早朝。
僕は軽自動車で会社に行き、倉庫に用意していたブルーシートを引っ張りだして車の荷台に乗せた。
川の側は広い公園になっていた。
4月だと河川敷は、まだ暗い。
車からシートを出し、肩に担いで公園の広場に行き、シートを広げた。
そのシートの中央に座って周りを見渡す。誰もいない広い公園だ。こんなに早く場所取りをする必要があったのだろうか。
東の空が明るくなっている。大きな川は、ゆったりと流れていた。
公園の端には花見客用の仮設トイレが設置してあった。
大の字に寝て、見上げると濃い紫色の空が広がっている。今日は良い天気になりそう。
しばらくして朝日が顔を出した。
桜並木は影を長く延ばし、空の色は薄くなって水面のさざ波が輝き出す。
ああ、こんな景色を見ることができたのだから、早起きした甲斐はあったかな。
午前10時頃になって会社の人間が集まりだした。
花見客は、まばらにいるだけ。平日なのだから5時に来る必要はなかっただろう。
所長の音頭で乾杯をしてからは、それぞれが適当に酒を飲み出した。
真昼の河原で僕はウーロン茶を飲む。桜並木は満開を通り過ぎて散り始めている。
「おい、冬也。ちょっと歌え」
ほろ酔いの井上が偉そうに命じる。
「あ、でも、僕は……歌はちょっと……」
「いいから歌え。可愛くないやつだなあ。何でもいいから、校歌とかでもいいからよぉ」
「はあ……」
仕方ないか。
立ち上がって校歌を歌う。何の思い入れもない学校。その歌だ。
人前で歌うなど、初めてのこと。歌い終わると汗が出ていたが、周りの人間は誰も聞いていない。チラホラと拍手が鳴っただけ。
「ちっ、下手だなあ」
それなら、お前が歌ってみろよ、と井上に言いたいが、それを言ってしまうと仕事がやりにくくなりだろう。
会社の飲み会などつまらないし、下手な歌を歌わせて何が面白いのか。本当に会社というものは下らない。そんなことをやっても会社の業績が上がるわけではない。倒産するときは倒産するだろう。
昼過ぎに花見は自由解散になった。
それは、帰りたい人間は帰っても良いし、残って飲みたい人は残っても良いということ。
「おい、冬也。帰るぞ、家まで送ってくれや」
僕は井上達と一緒に駐車場に向かう。ブルーシートなどは、最後に残っていた人が片付ける決まりになっているらしい。
井上を含む三人を、一人ずつ自宅に送って降ろす。わざと僕は井上を最後にした。やつは寝ているので遠回りしていることに気がつかない。
「井上さん、着きましたよ」
やつの家は貸家式のアパートだった。それは二階建ての古びた家。
助手席で寝ている彼の肩を揺らしたが、起きる気配はないようだ。
駐車場の三方は障害物で見えないようだし、道路に人影はない。
「チャンスだな」
僕は右手を井上の右肩に伸ばす。
肩に触れても寝息に乱れはない。
リンクを繋いでドレインを開始した。
生活エナジーを吸い取り始める。スキルのエナジーを感じたので、それも吸い取った。
ピクリと井上の体が震えたが、目を覚ますことはないよう。僕はドレインを続ける。
黄色いエナジーをほぼ吸い取り尽くしたので、今度は奥の扉に手を伸ばす。
「どうするかな……」
迷うが、今まで井上から受けた仕打ちを考えると、やっても構わないだろう。
無理に扉を開けて生命エナジーを引きずり出す。
「ウギャー!」
井上が叫んで身もだえする。シートベルトに拘束されているので暴れることができない。
僕は、すぐにリンクを解除してから両手で彼の体を揺すった。
「井上さん、大丈夫ですか!」
ドレインをごまかさなければ。
やつは目を見開いて呼吸を荒くしていた。
「俺はどうしたんだ……。ここはどこだ……」
「いきなり大声を上げたんで、急いで起こしたんですよ。悪い夢でも見たんですか?」
やつはビッショリと顔に汗を浮かべて深呼吸をした。酒臭い匂いが車内に広がる。
「なんか、すごく嫌な感じだったんだが……。お前、何かをしたのか?」
「いえ、とんでもない。井上さんの自宅まで送ってきただけですよ」
僕は顔の前で手を左右に振って否定した。
「そうか……」
やつは手が震えているのかシートベルトを外すのに手間取り、しばらくガチャガチャやって、やっと抜け出す。そして、ドアを開けると何も言わずにフラフラと歩いて家の中に入っていった。
*
飲み会の翌日でも仕事は休みにならない。
僕と井上は車で依頼者の家に向かった。
その家の主人と話をして、修理の見積りを算出するのが今日の仕事。
今日は鉄の柵の修理で、その柵が壊れているところの修繕を頼まれたのだ。家の囲いの幅一メートルくらいが錆びて倒れている。
「これくらいになりますかねえ」
井上が数字などを書いたメモを主人に渡す。
それを見て主人の顔が引きつり、片目が細くなった。
「何だ、これはー! これじゃあ、高すぎるだろうがぁ!」
メモを井上に放り投げる。
テーブルに落ちたメモを見ると、修理費が約百万円になっていた。
「ちょっと柵を直すだけで百万とは、どういったことだ。いくらなんでも変だろう」
恫喝するように主人の顔が歪む。
井上は訳が分からないというように口を開けて主人を見ていた。
やつの工務スキルを吸い取ったので、リフォーム作業の知識や経験が無くなってしまった。そのせいで、修理の見積もりもできなくなったらしい。
「すいません、少し待っていただけますか」
そう言って僕はポケットからメモを取り出すと、吸い取ったスキルを使って見積もりを計算する。
「これくらいでどうでしょう」
差し出したメモに書かれた金額は5万円程度。相手は金額を見るとフンと息を吐いてメモを置く。
「うん、これくらいだよな」
僕を見てウンウンとうなずいている。
「それで柵の修繕を頼むよ」
「はい、分かりました」
いいですよね、というようにメモを井上に見せると、やつは口を結んだまま小さくうなずいた。
それから、井上は会社でミスを連発。それにより毎日のように所長に怒られていた。
やがて、井上は出勤してこなくなった。




