42,開幕
「冬也! お前なんか出て行け!」
父親の怒鳴り声。
僕の体に寒気が走り、喉が詰まったように何も言えない。
「まったく、加賀家の面汚しが。少しは兄の隆也を見習え」
広い居間、壁際に立っている兄に視線を向けると、僕をバカにしたように薄笑いを浮かべている。
兄は有名大学の経済学部に在籍していて、僕とは段違いに優秀だった。長身でほっそりとした体。勉強は得意だが、スポーツは苦手らしい。
「苛めくらいで引きこもりになりやがって、本当に弱っちい野郎だ。世間体が悪いったらありゃしないぜ」
父は顔をしかめ、顔を背けるようにして僕を横目で見る。眼鏡を掛けて気難しそうな顔をしている。実際に頑固で融通が利かない性格だ。公務員をやっていると堅い人間性になってしまうのか。
夕食の後、春の日は長いが、午後7時ともなると外は暗い。
「でも……」
ようやく僕の口から言葉が出た。
チラリと母を見ると相手は気まずそうに目をそらす。
「でも、何なんだよ。冬也、本当にお前はダメな野郎だ」
父は僕に、ダメだという烙印を押した。
チクショウ、僕は家族から見放されてしまったのか。
成績が良くて、高いランクの大学に行かなければ人間として認められないのかよ!
学校で苛められている僕を理解しようとする気がないのか。僕はあんたの息子だろうが。
「そうかよ……もういいよ」
ふて腐る僕。
「何だと……」
普段から怖いと思っている父。その顔がさらに怖い表情になる。
「もういい、もういいよ! どうせ僕なんか、どうなってもいいんだ」
父に背を向けて自分の部屋に向かう。
そして、壁を思い切り蹴飛ばした。木が割れる音がして壁がへこむ。補修が難しそうな壊れ方だ。
「出て行け-! とうやぁ!」
居間の吊り下げ照明が震えるほどの怒声。
父親の歪んだ顔は容易に想像できるので、振り返って確認する必要もない。
僕は2階の自室に入って荷物をまとめた。
現金やカード、それと大事にしている物は全てリュックに詰め、階段を降りて玄関に向かう。
靴を履いていると母が来て無言で一万円札を2枚、差し出した。
後ろから兄がやってきて、僕が受け取った札を奪い取る。
「余計なことをするなよ、母さん」
知的な顔をした兄は人差し指でクイッと眼鏡を上げた。
この家庭は父と兄に権威がある。母は何も言えない。
「冬也……、まったく、恥ずかしい弟だぜ」
そう言って兄は、奪った札を僕の手に押しつけた。
「もう、この家に顔を出すんじゃないぞ。これは手切れ金だ」
握っている一万円札を兄の顔に叩きつけたかったが、家出をするのなら、お金は必要になる。
深呼吸してから僕は黙って玄関を出た。
漫画喫茶に入って考えたが、僕の行き先は一つしかない。
翌朝、電車に乗って田舎のおばあちゃんの家に向かった。
*
目を覚ますと冷や汗をかいていた。
呼吸が荒くて口の中が乾いている。
「何で、あのときの夢を見るかなあ……」
忘れたいと思っているようなことが頻繁に夢に出てくる。家を追い出されたときのことなど記憶から消去したいのだが、パソコンのようにメモリを簡単にデリートすることはできない。
ベッドから起きだし、現実感を取り戻すために部屋を見る。四畳半くらいの洋間。カーテンは朝日に照らされて光っている。
ここはスザンヌの家で、僕の部屋。今は日本から転送して異世界にいる。自分の居場所を確認した。
「日本かぁ……」
嫌な思い出しかない。僕にとって日本が異世界で、このスザンヌ達がいる世界が本当の現実なんだ。
パジャマを脱ぎ、服を着てから台所に向かう。
「おはようございます。トウヤさん」
そこではスザンヌが朝食の準備をしていた。
「ああ、おはよう。スザンヌ」
寝ぼけているような声で僕が返事をする。
ニッコリと笑っているスザンヌは今日も可愛い。
ブラウンのTシャツにオレンジ色の短パン。白い足が長く露出している。シャツの胸は盛り上がり、僕の視線を強制吸引しているのだよ。
いつも僕が彼女の胸をチラ見しているのをスザンヌは知っているし、その胸に触ったこともあるのだから、これからはガン見しても構わないという意見が僕の脳内会議において重要議題として提出され、激論を戦わせたこともあるのだが、彼女に嫌われたらどうしようという意見が出た途端に現状維持ということで会議は終了した。
スザンヌのヒップは大きい方かな。
美代子さんと比べると、小さい方か……。いや、どちらかというとスザンヌの方が大きくて形が良いような気がするかなあ。
男心をそそるヒップ。一度、スザンヌの後ろに体育座りをして、じっくりと観察してみたいものだ。
「どうしたんですか、トウヤさん?」
小首をかしげている18歳の少女。
「あ、いや、別に……」
どうやら、スザンヌを見ながら呆けていたよう。
「ああ、喉が渇いているから水を飲もうかなあ」
僕はコップを探すが、食器類は大きなプラスチックの容器に放り込まれていた。
「ごめんなさい、コップを洗い忘れていました」
「ああ、いいよ、構わない」
シンクの上の容器に入っているコップに手を伸ばす。ゆすいでから使えば問題はない。一人暮らしのときは適当に生活していたのだ。
「トウヤさん。ちょっと待ってください」
そう言うとスザンヌは蛇口をひねって水を流す。そして、両手を組んでお椀の形を作り、水道の水を溜めた。
「さあ、どうぞ」
いたずらっぽく笑って僕に、その水を勧める。
「ああ、うん……」
これを飲めという意味だよな。
僕はスザンヌの手の容器に顔を近づけてククッと飲む。その水は少なくなり、僕の唇が手のひらに触れた。
「うふっ、くすぐったい」
そう言って含み笑いを浮かべる。
「あ、ありがとう。スザンヌ」
「どういたしまして。もう一杯、いかがですか?」
「あ、ああ……、もらおうかな」
僕の心臓は朝から過剰労働を強いられている。顔面に汗が流れていた。
スザンヌは手に水を汲んで、2杯目を差し出す。
「あー、またー!」
白いワンピース姿のクリスが、大きな目を細めて僕たちを見ていた。ワンピースの生地が薄いので水玉模様の下着が透けて見える。
「まったく、朝からイチャコラ、イチャコラと……。エッチなことをするなら部屋でやってよね」
僕とスザンヌが絡んでいるときは必ずクリスがやってくるなあ。まあ、同居しているのだから当然か。
クリスは持っていたコップに水を汲むとグビグビと飲んでから、ターンとコップをシンクの上に置いた。
「はい、コップはこれを使って」
クリスの指示に従って僕は、そのコップを軽くゆすぐと、水を入れて飲む。
「まったく、お姉ちゃんもエロいんだから」
そう言って台所から出て行く。
スザンヌは苦笑いを浮かべ、気まずそうに朝食の支度に取りかかった。
エロいのかなあ。エロと言うよりも、萌えだよな。モエが主体のモエロというべきシーンだと思うのだが……。
僕は居間に入ってテーブルに着いた。
来週から僕は大型ホームセンターでアルバイトをする。
お金はあるので遊んでいても良いのだが、世間体が悪い。日本の基地である、おばあちゃんの家は田舎にあるので、無職の若者が毎日、ブラブラしているのは目立つのだ。
ホームセンターは基地の近くで、車で20分くらい。
そこで働くことによってリフォーム関連のスキルを身につけ、その技能をスザンヌの家に利用するつもり。
エアコンも欲しいし、トイレに浄化槽も設置しなければならない。やることは山積みで苦労も多いだろう。
でも、少しずつ生活を向上させていくのは、シミュレーションゲームのように作り上げていく楽しみというものがあると思う。




