30、仕返しというもの
「大丈夫? 上田さん」
清水さんが声を掛けると、それまでボンヤリしていた尚美はゆっくりと顔を上げた。
「なんだよ……堅物女史とチンコロ野郎か」
性格を表している毒舌だな。
髪には白髪があり彼女の体は老化したままのようだが、以前より血色は良くなった。少しずつ回復しているのだ。
「授業に出ていないから心配していたのよ」
清水さんの言葉に尚美は眉をひそめる。
「うるせえんだよ。お前に心配してもらいたくねえよ。この偽善者が」
睨まれた清水さんは息を飲んで半歩下がる。
取り付く島もないようだが何か言わないと……。
「あの、尚美さん。清水さんが心配して言っているんだから、そんな態度はないと思うんだけど」
「うるせえ!」
尚美の怒号が屋上に響く。
「第一、私がこうなったのはお前が何かしたんだろうが。チンコロ野郎のせいでドン底に落ち込んでんだよ」
「そんな……僕は何も……」
やはり、気づいていたか。僕のドレイン能力で彼女の美貌というスキルを吸い取ったことを……。
「チクショウ、チクショウ。あの和也が……」
「和也って、ずっと付き合っていた人のことかしら?」
清水さんの問いかけに、右手でベンチを叩く。僕の手に痛さが伝わるくらいの大きな音がした。
「ああ、あいつがよぉ、私のことをババアって言ったんだよ。虫を見るような目で、人前で、大声でババアってバカにしたんだ」
彼女はうつむいた。涙が膝に落ちる。
誰にでも大事なものがあるんだよな。
「ずっと一緒だと言っていたのに……。もう、死にたい……」
僕と清水さんは目を合わせた。どうすれば良いのか……。
「お前のせいだ、このチンコロ野郎」
ドスの利いた声。女が本気で怒っている目つきが怖い。
尚美は立ち上がって僕の襟首を締めた。
「お前が何かしたせいで私はこんなになってしまった。お前が全部悪いんだ。殺してやる!」
「やめなさいよ!」
清水さんが引き剥がす。
尚美はヨロヨロと下がって尻餅をついた。まだ体力は回復していないらしい。
「僕を殺してどうなるんだよ。警察につかまって、ずっと少年院だ。家族にも迷惑を掛けるよ」
ここは正論を言って落ち着かせよう。
「うるせえ! だったら、お前を殺した後に私も死ぬ」
「だったら、それって心中と同じだよね。尚美さんは自分の価値を僕以下だと思っているんだ」
「そんなわけがないだろ、このチンコロ野郎。……それなら、ずっとお前につきまとって嫌がらせをしてやる。私の苦しみを少しでも味合わせてやるからな」
僕はため息をつく。
「それは僕のために生きるということじゃないの? 僕のために自分の人生をすりつぶして何が楽しいんだよ」
尚美は顔を歪ませる。涙で顔がクシャクシャになっていた。
「チクショウ、死んでやる。死んでお前を呪ってやるぞ」
ああ、それはちょっと怖いかな。
「もう、いい加減にしなさいよ。加賀君が原因とは決まっていないわ」
尚美が黙り込む。
証拠はない。だけど、尚美は僕のせいだと確信しているし、清水さんも心の底では疑っているんだろうな。
「上田さん。だったら、死になさいよ。そこから飛び降りて死ねばいいでしょ」
驚いて僕は清水さんを見た。
彼女は屋上のフェンスを指さしている。
「死ぬ覚悟もないくせに、死んでやるとか言うべきじゃないわ」
そこまで挑発していいのかな? 清水さん……。絶対に飛ばないことを見越しているんだろうが。
「そうかよ……ああ、死んでやるよ」
目を細めて、尚美がフェンスに近寄る。
飛び降りる気はないだろうと思うが、僕は念のために尚美の後ろに続く。
尚美はフェンスの前に立ち、横に渡るバーを握りしめた。
目の前に広がるグラウンドと町の風景。微風が屋上に流れて尚美の短いスカートを揺らす。
握っている両手がブルブルと震えているが、体は動かない。僕はすぐ後ろに立って、万が一の時は服をつかんで引き戻す準備をしていた。
「どう、飛び降りることはできないでしょ。人間は簡単に死ぬことはできないのよ」
そう言って清水さんは尚美の肩を抱き、ベンチまで連れて行く。
「誰かを憎んでも過去を変えることはできないわ」
清水さんが説得しようとしている。尚美は嗚咽と共に涙を流した。
「良い未来を作ることでしか、過去を償うことはできないのよ。この先、上田さんが幸せになって、その和也という男を見返してやりなさい。それが最高の仕返しというものだわ」
そう言って清水さんが優しく微笑む。
「そうか、そうかもしれないな……」
尚美が制服の袖で顔を拭う。
「分かった! 私は、ゼッテー幸せになる。それで和也を見返してやるんだ」
彼女が立ち上がった。
頭の切り替えが早いな。それだけ単純な思考回路なのか。
「今日は早退する。センセーに言っといて」
言い捨てて尚美はスタスタと屋上の出口に向かう。
僕はリンクを通じて彼女の未来を探った。
尚美の将来のイメージは、平凡な男と結婚して平凡な生活を送っていた。
夫の給料が少ないと愚痴をこぼしながら、スーパーでレジのパートをしている。子供は二人で、教育費を稼ぐために毎日クタクタになっていた。
でも、幸せそうだ。
ドレイン前の未来のイメージは知らないが、男遊びを続けた果てには不幸が待っているという予想しかない。それよりはマシになっただろう。
「私たちも行こうか。ごめんね、加賀君の昼休みを無駄にさせて」
「ああ、別に構わないよ」
僕たちは肩を並べて出口に向かう。
「でも、ビックリしたな。死んでみろとか言い出すから」
優しい清水さんには似つかわしくない言葉。
「利己的な人間は自殺なんてしないわよ。上田さんは、慰めるよりもショックを与えた方がいいかなと思ったわけ」
そう言って、にこやかな表情で僕を見た。
スザンヌの顔が頭に浮かぶ。いつも、いつも思うのだが、どうして清水さんとスザンヌを比べてしまうのだろう。




