その十五.人狼と童子
まるで剣と剣がぶつかり合ったような硬質な音が響いた。
「ところで白い娘、オマエは狼と戦ったことはある?」
「……いいえ。私が生まれた時には、とうに日本の狼は絶滅しておりましたので」
まるで天気の話をするような様子の林檎。
一方の吹雪は唇を引き結び、硬い表情で林檎の腕を見る。
林檎の右腕は赤黒い毛並みに覆われた獣の前足に変じていた。その鎌のように輝く鉤爪が絶句兼若と押し合い、火花を散らす。
「っく……」
「そう。なら、ワタシがオマエに狼の恐怖を教えてあげる――来い、同胞ども」
「ッ――!」
背後に獣の呼気を感じた。
吹雪は反射的に身をひるがえし、背後から飛びかかってきた大神をかわす。同時に悪あがきとばかりに、返す刀で林檎の首を狙った。
「ぇえいッ!」
斬撃はわずかにそれた。
林檎の右頬から耳までが切り裂かれ、その肌がぱっくりと割れる。
まるでにんまりと笑ったかのように白い牙が覗いた。
「……諦めが悪い」
いびつな笑みを浮かべ、林檎は目を細めた。
「ぐっ……!」
肩口に一気に二頭の大神が食らいついてくる。
吹雪は痛みに顔を歪めつつ、その鼻面を思い切り太刀の柄頭で叩いた。犬に似た悲鳴とともに、獣達の牙が離れる。
直後、急激に体が重くなった。
「う、あ……?」
視界がぐらりと揺れ、一瞬吐き気がこみ上げてくる。
混乱しつつも吹雪は止まらない。崩れ落ちるように地面に膝をつきつつ、床に横たえた絶句兼若の刀身に片手を当てた。
「立ち上がれ――!」
二重の氷壁が吹雪を囲うように立ち上がり、二、三匹の大神を吹き飛ばす。
同じ手は二度も通用しないようだ。大多数の大神は後ろに大きく跳躍することで氷壁の出現をかわし、今はその切れ目を探っている。
このままでは壁の脆い点を見つけだされてしまう。吹雪は立ち上がろうとした。
途端、こめかみに鋭い痛みが走った。
「う、ぐ、ぅう――!」
地面に置いた絶句兼若から青白い光が消える。
獣の声が頭蓋骨にこだまするように感じられ、吹雪は頭を押える。
がりがりと氷の壁を削る音が聞こえた。同時に、重いものがぶつかる鈍い音も。
「……このまま、じゃ」
もう一つ氷壁を作れば、少し時間を持たせることができるはず。吹雪はなんとか絶句兼若を持ち上げ、氷の壁を作ろうとした。
「ぁああああ!」
脳に焼けた火箸を叩きこまれたような痛みが走り、吹雪はうずくまった。
興奮した大神の声が響いた。
氷壁の一点に小さな穴が穿たれ、獣の鼻面がのぞく。
「だめ……」
破られる。
血の味が滲むほどに吹雪が唇を噛みしめた。
「――ぉおおおおおお!」
獣の咆哮よりもなお大きく、力強い怒号。
それが空気を震わせた直後、氷壁の向こう側で無数の影が吹き飛んだのが見えた。
大神の悲鳴が無数に重なり合う。
「え……」
「えぇい! この!」
大きな男の手が目の前の氷壁をたやすく壊した。
薄暗く冷えた空間が崩れ、明かりとともに外の空気が差し込んでくる。
そして――左目に傷のある男が、吹雪の前に立っていた。
「立てるか、小娘」
「御堂……さん」
吹雪は差し出された手を呆然と見つめる。
先ほど別れたときと同じように、時久は素っ気ない顔で言った。
「おい。聞こえているのか」
「何故、ここに……」
「追々話す。――それより、立てるのか」
吹雪は時久の手を借り、なんとか立ち上がった。
林檎の冷ややかな声が耳朶を打つ。
「……まさかアナタがここに現れるとは。童子」
「久々だな、人狼」
不敵に唇を吊り上げ、時久が林檎を見る。




