第八話 大脱走計画発動
アミティーは本棚から一枚の地図を引き抜き、机の上に広げた。
周辺諸国が細かく描かれた、少し古い地図だ。
「さて……逃亡先は、どこにしようか?」
真剣な顔で呟くと、背後から控えめな声が返ってくる。
「神龍教の総本山に逃げ込むのが、最も確実かと」
ミケの言葉に、アミティーは振り返る。
「……神龍教の総本山?」
「はい。どの国にも属しておりませんので、亡命者の保護先として、昔から知られております」
「へ~、物知りだね」
アミティーの称賛に、ミケの鼻は自慢げにぴくぴくと動く。
「権力者に狙われ、やむを得ず国を捨てた者を受け入れてきた場所でもあります」
アミティーは、地図に視線を落とした。
「その総本山って……どこにあるの?」
「この辺りですね」
ミケの指先は、地図の外縁を示していた。
「大陸のほぼ中央に位置しております。聞くところによると、浮島だと」
「浮島?! え、行ける気がしないんだけど……」
アミティーは頭を抱えた。
「ご安心ください。総本山は、参拝客のために常に開かれております。各地の神龍教の施設から転移魔法陣で簡単に移動できます」
「今すぐ行きたい!」
アミティーは右手を挙げて即答するも、ミケは困ったように苦笑した。
「それがですね……この国の教会には、転移魔法陣が敷かれていないそうです」
「なにそれ」
「エルディア王国の教会は規模が小さいのです。一番近い転移魔法陣は、隣国の教会になります。が……、お嬢様の場合、少々難しいかと」
「え? どうして?」
「お嬢様は、表向きは第一王子殿下の婚約者候補です。正式な出国手続きなしに国外へ出るのは、まず不可能でしょう」
ミケが口ごもる。
「もう~! 全部腹立つ!」
アミティーはぐぬぬっと歯噛みする。
「ですので! 入念な準備と変装が必要になります」
ミケの目が光る。
「変装!?」
「はい。国境警備が手薄になる深夜を狙えば、可能かと」
「それよ!」
「あと、金板も必要です」
「金板って?」
「教会発行のものです。どこの国でも価値が変わりませんので、商人がよく使います」
「準備しよう!」
アミティーは勢いよく身を乗り出した。
「私の貯めたお金、全部、金板に替えてきて!」
「承知しました」
王城での仕事には給金が出る。
初めて知ったときは、本気で驚いた。
だがその事実が家族に知られれば、即座に取り上げられる。
アミティーは給金の管理をすべてミケに任せ、平民向けの銀行に預けていた。
「金さえあれば、何とかなる!」
アミティーは、天高く拳を突き上げた。
「殿下から贈られた装飾品やドレスは、いかがいたしますか?」
「あの趣味の悪い贈り物? 足が付くのは嫌だから、分解して、他国の商人に流そう!」
「かしこまりました。いくつか宛てがあるので交渉してみます」
ミケの瞳がキランと光る。
「それにしても、ミケってなんでそんなに詳しいの?」
「孤児院時代に、商隊で雑用をしていましたから」
「へ~、すごいね!」
アミティーの言葉に、またもやミケの鼻がぴくぴくと動く。
交わされる会話の中で、アミティーの『逃亡』は、空想や夢物語ではなくなっていた。
こうして――アミティーの亡命計画は、静かに、しかし確実に動き始めた。
翌日。
いつも通り王城に隣接する宿舎で仕事をこなしていたアミティーは、とある書簡を見た瞬間、ぴたりと手を止めた。
「なにこれ……」
まじまじと内容を確認すると、それは神龍教の総本山で行われる式典への招待状だった。
「え、行きたい」
だが、そんな由緒ある式典に、第一王子の婚約者候補ごときが参加できるはずもない。
「行きたい行きたい行きたい!」
どうせなら、そのまま帰って来なければいい。
アミティーは必死に考えた。
「参加予定は、大司教、カーサー殿下……」
式典期間は、アカデミーの夏季休暇の真っただ中だ。
毎年その時期になると、カーサーはシルビアと王領の避暑地へ出掛ける。
嫌でも覚えてしまった予定だった。
そして、その間の仕事は、決まってアミティーへ押し付けられる。
今までだって、そうだった。
「確か、ホテルと警備の手配も頼まれていたはず……」
アミティーは山積みの資料から該当書類を引っ張り出すと、日程を総本山の式典にぴたりと重ねた。
王族や大司教まで出向く式典だ。
いつも通り、この仕事がアミティーに回ってくるかはわからない。
だが——。
「むふっ」
今まで散々押し付けられてきた。
今度も、きっと来る。
いや、来い!
アミティーは、決裁済みの箱へ勢いよく書類を放り込んだ。




