第七話 私、側妃なんて絶対に嫌です!
「ぜぇ、はぁ、はぁ、ぜぇ」
アミティーが、ふらふらと壁に寄りかかりながら教室にたどり着くと、クラス中の視線が一斉に彼女へ向いた。
青白い顔に浮かぶ無数の汗の粒。
荒い息遣いと、おぼつかない足取り。
誰が見ても、まともな状態には見えなかった。
「た、体調不良で、早退します……」
アミティーは掠れた声でそう言うと、そそくさと鞄を持って教室を出る。
それから体調不良を理由に公務を断り、久しぶりに王都の屋敷へと帰った。
以前の自分からは考えられない行動力だったが、今はそれを止める理由が見つからなかった。
「お話があります!」
ノックと共に執務室に入ったが、歓迎されていないことはすぐに分かった。
アミティーの父であるカーンは、彼女を一瞥しただけで、すぐに視線を手元の資料に戻した。
だがアミティーはめげない。
目一杯息を吸い込み、きっぱりと言い切った。
「私、側妃なんて絶対に嫌です!」
「うるさい」
カーンは被せるようにそう言うと、アミティーに向かって部屋から出て行くように手を払った。
手元の資料から顔を上げず、視線すら合わせない。
「私、側妃候補と言われました! 絶対に嫌です! ありえません!」
「黙れ。この話で我らの昇爵が決まるのだ」
「知って……いたの?」
「当然だ、お前は殿下に気に入られる努力だけしていろ」
吐き捨てるような言葉に、アミティーは息を呑んだ。
確かに、娘扱いされたことなど一度もない。
それでも。
アミティーは、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
「……お前たちが、一体どんな努力をしてきたというんだよ」
アミティーの口から低い声が漏れた。
「なんだ?」
カーンが顔を上げる。
「……いえ。失礼しました」
アミティーは唇を引き結び、その場を後にした。
使用人たちが、チラチラとアミティーを窺っていた。
廊下には高そうな絵画が並び、意味もない大きな壺が並んでいる。
よく見ると、庭は整えられ、外壁まで塗り直されていた。
見慣れた屋敷が、別物のようだった。
この家に、こんな金があるはずがない。
「……なんで?」
アミティーは唇を噛みしめて走った。
寮の部屋に戻るなり、勢いよく扉を閉めた。
「あんの、クソオヤジがぁ!」
地団太を踏みながら悪態をつき続けるアミティーに、ミケは黙って茶を淹れ始める。
「お嬢様、お口が悪いようですよ」
「いいの!」
ふんすっ、とへの字口をしたアミティーは、勢いよくベッドに飛び込んだ。
「う~~!! う~~がぁ~!!」
枕に顔を埋め、拳でぽすぽすとシーツを殴る。
「すっかり以前のお嬢様に戻りましたね」
ミケは、じだばたと暴れるアミティーを見ながら微笑んだ。
「ぐやじい……ぐやじい……!」
何度叫んでも悔しさは消えなかった。
アミティーは、力尽きたように天井を仰ぐ。
「もうヤダ……逃げたい」
目頭が熱くなる。
枕から舞い上がった羽毛が、ゆっくりと落ちていった。
「お嬢様?」
側で見ていたミケが、静かに声を掛ける。
「でも……逃げられない……ううう」
アミティーの瞳に、ぶわっと涙の膜が張ると、大粒の雫がこぼれ落ちた。
ふと言葉が途切れる。
「…………いや?」
逃げられない?
――本当に、そうだろうか。
アミティーは、はっと身体を起こす。
自分のことなど誰も見ていない。
誰も止めない。
だったら。
もういっそ、全部捨ててしまえばいいのだ。
「逃げるか。よし、逃げよう!」
アミティーは、先ほどとは打って変わって不敵な笑みを浮かべた。
不思議と、胸は軽かった。
「私、この国から逃げる! こんな国、出ていってやるぅ!!」
アミティーは、ふんす、と鼻息荒く言い切った。
「全部捨ててやる!」
その声は、驚くほど晴れやかだった。
突然の変化に、ミケが目を瞬かせる。
こうしてアミティーは、新しい未来に向けて動き出したのだった。




