第三話 龍の聖水
「アミティー様がお飲みになったのは、『龍の聖水』でございます」
寮の自室。
ベッドの上で目を覚ましたアミティーは、枕元に立つ侍女ミケの言葉を、半拍遅れて受け止めた。
「……りゅうの、せいすい?」
寝起きのまま、ぼんやりと聞き返す。
「はい。神事に用いられるお酒ですね」
「え、お酒? あれが?」
アミティーは、のっそりとベッドから起き上がりながら考える。
過去、何度かワインを口にしたことがあるが、そのどれとも違った。
「なんか、めちゃくちゃ熱かったけど」
「熱い、ですか?」
「うん。焼けるかと思った」
アミティーは昨晩の熱を思い出し、喉元を擦る。
「龍の聖水は、非常に度数の高いお酒ですので、そのせいではないでしょうか? あれを平気で飲むのは、龍人族だけと聞いております」
「へえ……」
アミティーの脳裏に、昨夜の記憶が断片的によみがえり始めた。
ダンスホール。
グラスの中に揺れる琥珀の液体。
甘く、喉を焼く感覚と、胃の奥に熱湯を流し込まれたような衝撃。
「学園のパーティーで、なんでそんなお酒が?」
この国の飲酒年齢は十六歳。
アミティー自身その資格を持っているものの、アカデミー主催の場で酒を出すことは、規則で厳しく禁止されている。
「恐らく、どなたかにはめられましたね」
「えっ⁈」
ミケの言葉に、アミティーは驚いて顔を上げた。
「カーテンの裏で爆睡しておいででしたので、見つからず、放置されていたのが幸いでしたが——」
ミケは、なかなか帰ってこない主人を心配し、こっそりダンスホールまで迎えにいった。
鼻が利く猫人族の彼女は、酒の匂いをぷんぷんさせてカーテン裏で爆睡するアミティーを見つけ、半ば引きずるようにして寮まで連れ帰ったのだった。
「アカデミーの関係者に見つかっていたなら、間違いなく退学だったでしょう」
ミケの言葉に、アミティーはゾッとして腕を擦った。
「体調が悪いようでしたら、お薬をお飲みになりますか?」
ミケは、二日酔いの薬をアミティーの前に差し出した。
「いや、それがさぁ……ミケ」
だがアミティーは腕を組んだまま、ゆらゆらと頭を左右に振る。
「?」
「びっくりするほど気分爽快なの!」
アミティーはそう言うと、おもむろに立ち上がり、両腕をぐるぐると回し始めた。
長年悩まされた肩こりや片頭痛、胃痛は跡形もなく消え、視界まで驚くほど澄み切っていた。
開け放たれた窓から吹き込む風が心地よい。
窓辺に飾られた花の甘い香りが鼻先をくすぐる。
アミティーは何度も瞬きをし、深呼吸を繰り返した。
まるで生まれ変わったように、身体の調子が良かった。
「それは……ようございました。では、冷めないうちに朝食をお食べください」
ミケはサイドテーブルに、消化の良い食べ物を並べた。
「ありがと」
「いいえ」
素直な礼に、ミケは嬉しそうに笑った。
ミケは、実家で唯一味方になってくれた侍女だ。
アカデミー入学の際にも、嫌がらずに付いてきてくれた。
「ふうっ。ごちそうさまでした」
半分ほど食べたアミティーは、カトラリーを置く。
彼女の食事量は、同年代の平均的な食事量よりもはるかに少ない。
忙しくて食事もままならないことが多く、いつの間にか胃が小さくなってしまっていた。
だが、今日はいつもよりも食べた方だった。
「たくさん食べましたね。でも無理は禁物です。アミティー様は目を離すと、すぐに無理をなさいますから」
「全然元気なのに~」
アミティーは、ミケに促されるままに再びベッドに横になった。
「ねえ、ミケ」
「はい?」
「私、なんでこんな生活送ってたんだろ?」
アミティーは天井を見ながら、すっきりした頭で、最近の日常を思い返した。
ここ数か月、頼まれた仕事が多すぎて、日付が変わる前に眠れた記憶がない。
それが「当たり前」だと思っていた。
「まるで奴隷みたい、だった」
アミティーは自分で言って、少しだけ背筋が寒くなった。
睡眠不足と疲労は、人から判断力を奪う。
今になって、ようやく自分がひどい状態だったのだと実感した。
「ふんっ!」
アミティーは突然勢いよくベッドから飛び起きると、窓の外に広がる青空を指差した。
「でも今、とっても気分がいいの! 大空に飛び立てそうよ!」
「気のせいです、お嬢様」
ミケは静かに突っ込んだ。
「ですが……確かにアカデミーに入学されてからのお嬢様は、別人のようになってしまわれました」
「やっぱり?」
「はい。舌打ちも地団太もしなくなり、成長されたのだと思っておりましたが――」
「え……」
「どうやら勘違いだったようですね」
ミケは苦笑すると、どこか安堵した表情を浮かべた。
きっと心配させてしまっていたのだろう。
アミティーは、照れたように笑った。
「うん。今、とっても気分がいいの」
「それは結構でございます。とはいえ、無理は禁物です」
「うん。それでね、ミケ。私、思ったの」
アミティーは、ずいっとミケに近づいた。
「何でしょう?」
真剣なアミティーの表情に、ミケは思わず顎を引いた。
「『龍の聖水』って、実は回復薬なんじゃないかって」
「…………は?」
「だって、こんなに体調が良いのよ? 間違いないじゃない!」
「いえ……」
「絶対そう! そうに決まってる! この絶好調な私を見て‼」
アミティーはベッドの上で、上腕二頭筋を見せつけた。
——まったく筋肉はついていない。
ミケは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「学生の身での飲酒は、控えるよう校則で定められております」
「聖水でしょ? 聖なる水。大丈夫、大丈夫~」
「お酒です」
「神様が許してくれそう」
「許しません!」
「あの舌がとろけるような甘さと衝撃的な熱! 刺激的な喉ごし。最高だったの! 忘れられない! また飲みたい!」
「すでに依存症ですか?!」
「違うわよ!!」
「絶対飲ませません!」
「お願い! ミケ! 一回だけ! 本当に一回だけ!」
アミティーは、ミケの前で拝むように掌を合わせる。
「……一回だけですよ?」
ミケは呆れたように肩を落とした。
アミティーは、きらきらした瞳でうんうんと頷く。
「ただし! 一人で飲まないこと! 絶対に!」
「うん! 約束する! ありがとう~ミケ!」
アミティーはミケに抱き着くと、根負けしたミケは小さく息をついた。
結局ミケはアミティーの勢いに押し切られる形で、龍の聖水を用意することになった。
なお、この日。
アミティーは日頃の寝不足を解消するため、アカデミーも公務も休んだ。
もちろん、仮病である。
惰眠をむさぼる彼女の頭には、第一王子カーサーのことなど、一片たりとも残っていなかった。
その代わりに——
チリーン、チリーン。
——遥か遠くの空の彼方で、涼やかな音が鳴り響き、ゆっくりと、金の瞳が開いたのだった。




