表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/12

第三話 龍の聖水

「アミティー様がお飲みになったのは、『龍の聖水』でございます」


 寮の自室。

 ベッドの上で目を覚ましたアミティーは、枕元に立つ侍女ミケの言葉を、半拍遅れて受け止めた。


「……りゅうの、せいすい?」

 寝起きのまま、ぼんやりと聞き返す。


「はい。神事に用いられるお酒ですね」

「え、お酒? あれが?」



 アミティーは、のっそりとベッドから起き上がりながら考える。

 過去、何度かワインを口にしたことがあるが、そのどれとも違った。



「なんか、めちゃくちゃ熱かったけど」

「熱い、ですか?」

「うん。焼けるかと思った」


 アミティーは昨晩の熱を思い出し、喉元を擦る。



「龍の聖水は、非常に度数の高いお酒ですので、そのせいではないでしょうか? あれを平気で飲むのは、龍人族だけと聞いております」

「へえ……」



 アミティーの脳裏に、昨夜の記憶が断片的によみがえり始めた。



 ダンスホール。

 グラスの中に揺れる琥珀の液体。

 甘く、喉を焼く感覚と、胃の奥に熱湯を流し込まれたような衝撃。



「学園のパーティーで、なんでそんなお酒が?」


 この国の飲酒年齢は十六歳。

 アミティー自身その資格を持っているものの、アカデミー主催の場で酒を出すことは、規則で厳しく禁止されている。



「恐らく、どなたかにはめられましたね」

「えっ⁈」

 ミケの言葉に、アミティーは驚いて顔を上げた。


「カーテンの裏で爆睡しておいででしたので、見つからず、放置されていたのが幸いでしたが——」



 ミケは、なかなか帰ってこない主人を心配し、こっそりダンスホールまで迎えにいった。

 鼻が利く猫人族の彼女は、酒の匂いをぷんぷんさせてカーテン裏で爆睡するアミティーを見つけ、半ば引きずるようにして寮まで連れ帰ったのだった。



「アカデミーの関係者に見つかっていたなら、間違いなく退学だったでしょう」

 ミケの言葉に、アミティーはゾッとして腕を擦った。



「体調が悪いようでしたら、お薬をお飲みになりますか?」

 ミケは、二日酔いの薬をアミティーの前に差し出した。



「いや、それがさぁ……ミケ」

 だがアミティーは腕を組んだまま、ゆらゆらと頭を左右に振る。


「?」

「びっくりするほど気分爽快なの!」


 アミティーはそう言うと、おもむろに立ち上がり、両腕をぐるぐると回し始めた。



 長年悩まされた肩こりや片頭痛、胃痛は跡形もなく消え、視界まで驚くほど澄み切っていた。

 開け放たれた窓から吹き込む風が心地よい。

 窓辺に飾られた花の甘い香りが鼻先をくすぐる。


 アミティーは何度も瞬きをし、深呼吸を繰り返した。

 まるで生まれ変わったように、身体の調子が良かった。



「それは……ようございました。では、冷めないうちに朝食をお食べください」

 ミケはサイドテーブルに、消化の良い食べ物を並べた。



「ありがと」

「いいえ」

 素直な礼に、ミケは嬉しそうに笑った。


 ミケは、実家で唯一味方になってくれた侍女だ。

 アカデミー入学の際にも、嫌がらずに付いてきてくれた。





「ふうっ。ごちそうさまでした」


 半分ほど食べたアミティーは、カトラリーを置く。


 彼女の食事量は、同年代の平均的な食事量よりもはるかに少ない。

 忙しくて食事もままならないことが多く、いつの間にか胃が小さくなってしまっていた。

 だが、今日はいつもよりも食べた方だった。



「たくさん食べましたね。でも無理は禁物です。アミティー様は目を離すと、すぐに無理をなさいますから」

「全然元気なのに~」


 アミティーは、ミケに促されるままに再びベッドに横になった。



「ねえ、ミケ」

「はい?」

「私、なんでこんな生活送ってたんだろ?」


 アミティーは天井を見ながら、すっきりした頭で、最近の日常を思い返した。



 ここ数か月、頼まれた仕事が多すぎて、日付が変わる前に眠れた記憶がない。

 それが「当たり前」だと思っていた。



「まるで奴隷みたい、だった」

 アミティーは自分で言って、少しだけ背筋が寒くなった。



 睡眠不足と疲労は、人から判断力を奪う。

 今になって、ようやく自分がひどい状態だったのだと実感した。



「ふんっ!」

 アミティーは突然勢いよくベッドから飛び起きると、窓の外に広がる青空を指差した。



「でも今、とっても気分がいいの! 大空に飛び立てそうよ!」

「気のせいです、お嬢様」

 ミケは静かに突っ込んだ。



「ですが……確かにアカデミーに入学されてからのお嬢様は、別人のようになってしまわれました」

「やっぱり?」

「はい。舌打ちも地団太もしなくなり、成長されたのだと思っておりましたが――」

「え……」

「どうやら勘違いだったようですね」


 ミケは苦笑すると、どこか安堵した表情を浮かべた。


 きっと心配させてしまっていたのだろう。

 アミティーは、照れたように笑った。



「うん。今、とっても気分がいいの」

「それは結構でございます。とはいえ、無理は禁物です」

「うん。それでね、ミケ。私、思ったの」


 アミティーは、ずいっとミケに近づいた。


「何でしょう?」

 真剣なアミティーの表情に、ミケは思わず顎を引いた。



「『龍の聖水』って、実は回復薬なんじゃないかって」

「…………は?」

「だって、こんなに体調が良いのよ? 間違いないじゃない!」

「いえ……」

「絶対そう! そうに決まってる! この絶好調な私を見て‼」



 アミティーはベッドの上で、上腕二頭筋を見せつけた。

 ——まったく筋肉はついていない。


 ミケは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。



「学生の身での飲酒は、控えるよう校則で定められております」

「聖水でしょ? 聖なる水。大丈夫、大丈夫~」

「お酒です」

「神様が許してくれそう」

「許しません!」

「あの舌がとろけるような甘さと衝撃的な熱! 刺激的な喉ごし。最高だったの! 忘れられない! また飲みたい!」

「すでに依存症ですか?!」

「違うわよ!!」

「絶対飲ませません!」

「お願い! ミケ! 一回だけ! 本当に一回だけ!」


 アミティーは、ミケの前で拝むように掌を合わせる。



「……一回だけですよ?」


 ミケは呆れたように肩を落とした。

 アミティーは、きらきらした瞳でうんうんと頷く。


「ただし! 一人で飲まないこと! 絶対に!」

「うん! 約束する! ありがとう~ミケ!」


 アミティーはミケに抱き着くと、根負けしたミケは小さく息をついた。


 結局ミケはアミティーの勢いに押し切られる形で、龍の聖水を用意することになった。




 なお、この日。

 アミティーは日頃の寝不足を解消するため、アカデミーも公務も休んだ。

 もちろん、仮病である。

 惰眠をむさぼる彼女の頭には、第一王子カーサーのことなど、一片たりとも残っていなかった。




 その代わりに——



 チリーン、チリーン。



 ——遥か遠くの空の彼方で、涼やかな音が鳴り響き、ゆっくりと、金の瞳が開いたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ