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第二十六話 神に見放された国

 王城の廊下は、対応に追われた文官たちが忙しなく走っている。


 ケインは不思議に思いながらも、早足でカーサーの部屋へと向かった。

 いつもの調子で扉を開けたが、漂う重苦しい空気に思わず息を呑む。


 外の騒がしさとは裏腹に、室内は不気味なほど静かだった。



「お呼びと伺いましたが……」

「……ああ」

 ソファーで項垂れていたカーサーは、長い沈黙の末、ゆっくりと顔を上げた。


 久しぶりに見るその姿は、まるで別人のようだった。

 げっそりとこけた頬。血の気のない顔色。乱れたシャツの襟。



「どうされたのですか?」

「……聞いていないのか?」

 その問いが、何を指しているのかケインにはわからなかった。


「……教会が閉鎖されたと伺いました」

「ああ、そうだったな」

 カーサーはそれきり口を閉ざした。


 ケインは扉の前に立ったまま様子を窺っていたが、カーサーに手で合図され、静かにソファーへ腰を下ろした。


「……アミティーが」

「はい」

「アミティーが亡命した」

「は!?」


 ケインは思った以上に大きな声を上げてしまい、慌てて口を噤んだ。

 カーサーはのっそりと顔を上げ、じっとケインを見つめた。


「アミティーは国を捨てた。私を捨てたのだ」

「そ、それは……」

 ケインは口ごもった。


「最初から計画していたのだろうな……」

 カーサーは、遠くを眺めながら呟いた。


「アミティー嬢は今、どちらに」

「恐らく総本山に匿われているだろう」

「総本山……」

 ケインは、はっと息を呑んだ。


「ああ。総本山になど、行かせるのではなかった。私とシルビアが行っていれば、こんなことには……」

 カーサーは項垂れた。


「ですが、シルビア様は総本山行きをお断りになったと聞いております」

「ああ、そうだ。寒いから嫌だと言ったのだ。……そういうことか」

 カーサーは顔を上げた。


「シルビアは協力者だったのか?」

「そんなことはないでしょう」

「だが、シルビアはアミティーと仲が良かった!」

 カーサーはおもむろに立ち上がると、従者に叫んだ。


「シルビアを呼べ!」

 血走った目で命じられ、従者は驚いて一礼すると、すぐに部屋を出ていった。




「わたくしではございません」


 呼び出されたシルビアは、優雅にソファーに座りながら言った。

 何人もの侍女が、彼女のために扇で風を送っていた。


「こんな暑い最中、くだらないことで、わたくしを呼び出さないでくださいまし」

「なっ! くだらないだと」


 カーサーは反論しようと口を開いた。

 だが、シルビアはお構いなしに言葉を続けた。


「そうではありませんか。わたくしが、わざわざやる気のない人間のために、何かをしてさしあげる必要がございまして?」

「そ、それは」

「あの子が去ったのは、あの子自身が選んだことでしょう? それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

「……」

 カーサーは返す言葉が見つからなかった。


「それより、王都は大変なことになっていますわよ。何か対策はされているのですか?」

「暴徒は騎士たちが抑えている」

 カーサーの言葉に、ケインは静かに頷いた。


「それは対策ではなく、時間稼ぎですわ」

 シルビアは、呆れたように言った。


「王都を離れれば、比較的涼しいと聞いておりますので、わたくしも夏が終わるまでは領地で過ごそうかと思っておりますの」

「……好きにするといい」

「ええ。準備が忙しいので、これで失礼しますわ」


 シルビアは、それ以上話すつもりはないと言わんばかりに、早々に部屋を退出した。



「ほんと、殿下にも困ったものですわ」

「まったくでございます」

 シルビアの言葉に、背後の侍女が頷いた。


「失ったものに執着して。あれでは、国など見えておりませんわね」

「シルビア様がお支えになりますから」

「そうね。でもアミティー様ったら、少し見直しましたわ。あそこまで思い切った決断ができる方だとは思っておりませんでしたもの」


 シルビアは口元に笑みを浮かべながら、早々に王城を後にした。



 自室に取り残されたカーサーは、教会の様子を自分の目で確かめようと、ケインを伴って教会を訪れた。

 すでに門の前に市民の姿はなく、騎士たちが周囲を巡回している。


「私は、何を間違えたのだろうな」

 聖騎士が去った後の教会内は、がらんとしており、靴音だけが虚しく響いた。


 埃をかぶった廊下には、いくつもの足跡だけが残されている。

 壁には、くすんだ神青のタペストリーが今も掛けられていた。


 カーサーは何気なく、その布に指先で触れた。

 次の瞬間。

 触れた場所から神青の色がすっと消え、布は砂のようにさらさらと崩れ落ちていった。


「なっ!」


 カーサーが振り向くと、ケインも同じように目を見開いていた。


 不意に、教会全体が軋むような音を立てた。

 耳をつんざく鐘の音が響き渡り、ぱらぱらと壁の表面が崩れ始めた。

 やがて轟音とともに天井が崩れ落ちた。


 ケインはカーサーを庇いながら扉へ走る。

 教会を出ようとした瞬間、カーサーは何かに引かれるように振り返った。



 神像が、静かにこちらを見つめていた。

 次の瞬間。

 神像は、ゆっくりと目を閉じた。


 たった今、この国から神龍の加護が消えた。

 理由など分からない。

 それでもカーサーだけは、確信していた。



 ガラガラと、崩れ落ちる教会。

 少し離れたところで座り込んで呆然と見ていたカーサーの指先は、いつの間にか黒く染まっていた。




 その日を境に、エルディア王国は「神に見放された国」と呼ばれるようになる。


 王都周辺では作物が育たず、実ったものもすぐに腐り落ちた。

 人々は生きるため、王都を捨てて僻地へ移り住むしかなかった。


 王族たちは最後まで己の非を認めることはなかった。



 神に見放された国、エルディア王国。


 その滅びは、静かに始まった。




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