第二十話 神域への侵入者
大聖堂に併設されたホールへと続く回廊は、いつになく慌ただしかった。
神官や給仕が行き交い、式典の出席者たちをもてなしている。
アミティーは、ホール全体を見下ろせる貴賓室からその光景を眺めていた。
隣には、リューシャがいた。
「ドレス、良く似合ってる。可愛いね」
ドレス姿のアミティーを見て、リューシャが微笑んだ。
「ありがとう」
アミティーは頬を染めた。
今日身に着けているのは、アミティーが自分の給金で買った既製品だった。
カーサーから贈られた装飾品は、ほとんど換金してしまっている。
おかげでアミティーの懐は温かかった。
「色、戻ってきたね」
リューシャはアミティーの髪を一房手に取った。
「色?」
「ほら、青色が濃くなってきてる。力が戻っている証拠だ」
もともと灰青だったアミティーの髪は、ここ数日で艶を取り戻し、その色にも変化が現れ始めていた。
「力って……?」
体調の話だろうか、と聞き返そうとした、そのとき。
壇上で、教皇が朗々と祝辞を述べ始めた。
アミティーは口を閉じて、じっと話に聞き入った。
ふいに、リューシャがアミティーの頭を優しく撫でる。
何となく懐かしい気持ちになり、リューシャの側へぴたりと寄って、その肩に体重を預けた。
祝辞が終わり、教皇への挨拶が始まると、不自然に周囲を彷徨っている見覚えのある人影が見えた。
「あ、探してるっぽい」
アミティーは、彼らを目で追いながら呟いた。
「ミティーを?」
「うん。うちの国から参加した人たち」
リューシャも、アミティーの視線を追う。
「ミティーがいなくても、困ることなんてないだろう?」
「国からの献上品があるんだけど……。まさか、目録を持ってきてないとか?」
式典は、各国が神龍の加護へ感謝を捧げる神事でもある。
各国は献上品を総本山へ納め、その目録を読み上げる。
それは同時に、国の威信を示す場でもあった。
各国の名が呼ばれる中、ついにエルディア王国の番となる。
大司教らはへこへこと頭を下げながら前に出て、ぼそぼそと何かを話した後、すごすごと引き下がった。
もちろん、目録など読み上げもしない。
周囲の視線が、あからさまに彼らの方を向いていた。
アミティーは驚いた。
いつもふんぞり返っている彼らの姿しか知らなかったからだ。
まさか、仕事中の姿があんなにも情けないとは思いもしなかった。
「仕事って、適当で良かったんだ……」
その事実が、一番の衝撃だった。
一方大司教。
愛想笑いを浮かべながら、そそくさと柱の影に隠れた。
「お前、目録を持っていなかったのか!」
大司教が腹心たちに怒鳴り散らした。
「申し訳ございません。ですが、今回の読み上げはアミティー・フォールが行う予定でした」
「なぜいない!」
「探したのですが、見つからず……」
「くそっ、肝心なときに姿をくらましおって!」
いくら柱の陰とはいえ、あまりの怒鳴り声に周囲の視線が集まり出した。
少し離れたところで見ていたライルは、思わず後退る。
「アミティー、アミティー・フォールを探して連れてこい!」
「承知しました!」
「あいつめ、どこへ行ったのだ。出来損ないのくせに!」
「まったくです」
「全部あいつの責任だ」
「ええ。我々に落ち度はございません」
彼らは話しながら、自分たちの失態をアミティーに擦り付ける。
自分たちは悪くなく、アミティーだけが悪いのだと意見が一致すると、給仕を呼びつけ、酒をあおり始めた。
周囲の人々は、その会話をしっかりと聞いていた。
その日を境に、エルディア王国の名は、望まぬ形で各国へ知れ渡ることになる。
「くそっ。腹が立ってきた。見つけたらタダではおかんぞ!」
大司教たちは、酒を飲み、並べられた食事を食べ散らかし、辺りを物色し始めた。
彼らの目の前に、給仕の女性が通り過ぎた。
思わず腕を掴んで引き寄せた。
「……どうかなさいましたか?」
女は彼らを一瞥したものの、体勢を立て直して無表情で聞き返した。
エルディア王国の神官なら、頬を染めて甘えた声を出し、しなだれかかってくる。
ここでも同じだと思っていた。
「……いや、茶色い髪の女を見なかったか」
「茶色でございますか……。そう言えば、先ほど庭園の方でお見かけしたような気もいたしますが」「どこの庭園だ!」
「あの扉を出て左にある庭園でございます。仕事がございますので、私はこれで」
女は一礼して去っていった。
「なんと可愛げのない」
「生意気そうだ」
「街の女の方がよほどマシだ」
「今から行くか」
「賛成だ」
彼らは顔を見合わせると、今朝まで入り浸っていた店へ向かうため、ホールを後にした。
少し離れた場所からその様子を見ていたライルは、父の情けない姿に拳を握り締め、唇を噛み締めていた。
大司教たちが回廊を歩いていると、遥か向こうに、茶色い髪の女を見つけた。
「おい、あれアミティー・フォールじゃないか?」
腹心の一人が指差す先へ、皆が一斉に視線を向けた。
だが、距離があり、顔までは判別できない。
「あの背格好、間違いない。出来損ないだ」
大司教がそう言うと、息を吸い込み、女に向かって怒鳴った。
「アミティー・フォール! 貴様、仕事を放り投げてどこに行っていた!」
怒鳴り声は、回廊に不快なほど響いた。
その瞬間――
周囲に突風が吹き荒れる。
「うわっ!」
「なんだ!」
木々が激しくざわめき、大司教の声は掻き消された。
「くそっ」
大司教はもう一度、大きく息を吸い込んだ。
「アミティー・フォール!」
再び風が唸りを上げた。
突風に吹き飛ばされそうになり、身を屈めた彼らを、回廊にいた人々が、一斉に足を止めて見ていた。
「失礼します。エルディア王国からの来賓とお見受けしますが」
目の前に、いつの間にか神官が現れた。
「う、うむ。いかにも」
神官は、座り込んだ彼らを見下ろし、にっこりと微笑んだ。
「献上品の目録をお預かりいたします」
「は?」
「頂けないと、献上品の照合ができません」
「アミティー・フォールが持っておる。そいつから受け取れ」
大司教が、履き捨てるように言った。
「アミティー・フォール様ですか」
「そうだ。エルディア王国からの使者の女だ。あいつのせいで、こちらも困っておるのだ」
腹心の一人が、アミティーが先ほどいた場所を指差した。
だが、そこには誰もいなかった。
「……そうですか。教えていただきありがとうございます」
神官は静かに一礼した。
大司教たちは、よろよろと立ち上がると、アミティーのいた方に足を向けようとする。
「それ以上は進まれませんように。その先は特別区域でございます。関係者以外の立ち入りは、厳しく制限されております」
神官が冷たい声で言った。
「特別区域だと?」
「はい。神域に最も近い区域です。関係者以外の立ち入りは許可されておりません。それでは失礼します」
神官は一礼すると、その場を後にした。
「ふん、何だったんだ」
そう言うと、大司教は、神官の言葉を無視して、特別区域内をずんずんと進んでいく。
エルディア王国の神龍教会は、神龍を敬うというよりは、形骸化しすぎて象徴程度のものに成り下がっている。
神罰も神の加護も、彼らにとっては古い教えに過ぎなかった。
歩みを進めた、その瞬間だった。
足元の絨毯の毛足が、みるみる長く伸び始める。
「……っ!?」
景色が揺らぎ、回廊は見たこともない空間へと姿を変えていた。
「……おい、ここ、どこだ?」
答える者はいない。
次の瞬間、何かに吸われるように身体から力が失われ、床に突っ伏した。
指一本動かせない。
唯一動かせる眼球をわずかに上げると、目の前には神官たちの靴が並んでいた。
その背後から、音もなく現れた聖騎士たちが彼らを取り囲む。
抵抗する暇すら与えられないまま、大司教たちは地下牢へと連行された。




